よりみち | Life is the very ART

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命こそ、人生こそ芸術作品だ!!

生きることを心から謳歌したいという願い、
やりたい放題生きると決めた

書を、文章を、落書きを、写真を、クルマやバイクを通じて
試行錯誤しながら考え、気づき、実践する
そんな「にんげん 伊藤 義之」のBlog

昔、私の友人に・・・

 

目的地があるなら、そこに一直線に行くのが最上。

寄り道、まして間違って回り道をしてしまうなど、もってのほか。

 

そんな価値観を持ったひとがいました。

時間も約束もキッチリ守るし、

信頼を損なうような言動は一切ない。

だから私も安心して交流することができたのですが、

とにかく効率厨(笑)。

 

最たるものはどこかへ出掛けたときなどで、

ある目的地へ目指してクルマでドライブなどしてるとします。

 

私は運転が大好きなので、大抵ハンドルを握るのは私の役目。

 

しかしここに落とし穴があって、

ナビが一般的な装備ではなかった時代ということもあって、

テキトー大好きな私は、通過する予定だった経路を、

間違うことがしばしばあったのです。

 

私本人はそういうの全然気にしなくて、

間違えたなら戻ればいいし、

なんなら変な道を通れて、ちょっと冒険気分。

到着は遅れるかもしれないけど、これはこれで!!

 

そんな呑気な、

ある意味無責任ともいえる考え方の持ち主でした。

 

しかし友人は違います。

 

道を間違えたとわかった瞬間から、もう顔が曇る曇る・・・

 

そして、

あんなに地図を確認してたのに、何で間違えた?

と詰め寄られ・・・

 

まぁ回り道も悪くないじゃない、的なコトを私が口にしたが最後・・・

 

そんなだからお前は!!

目的地に時間内に行けなかったらどうするのか!

飲食店の開店時間内にたどり着けなかったら、

一体どうするつもりなのか!!

 

など、烈火の如き怒りに見舞われたものです。

 

当時の私は(今もあんまり変わらないですが)、

出掛けるとすると、バイクでソロ、

もしくはクルマでもソロ(笑)がほとんど。

 

単独行動が多い弊害で、

そもそも綿密な予定を組む、という習慣がなく、

行き当たりばったりを積極的に楽しむというスタイル。

 

何かの目的に何としても間に合わせる、だとか、

明確な目的地に向かってひた走る、という必要がなく、

 

「走ることそのもの」

 

が目的といえば目的だったので、

コイツはなんでこんなに怒るのか・・・?

と、申し訳なく思いながらも理解に苦しんだものです。

 

その友人と付き合いが長くなるほどに理解したのは・・・

 

同じ遊びに行く、どこかへ出掛ける、という言葉でも、

内包している意味が人それぞれであり、

他人と何かをするときには、

お互いに認識の擦り合わせは必須だし、

お互いにどれぐらい歩み寄るか、

ということもちゃんと考えなくてはいけないのだ、

という、

あまりにも当たり前のことでした。

 

それはそれで、私の人生における大切な学びだったので、

機会があれば別のお話にするとして・・・

 

 

前述の

 

「道を間違えた」

 

ということに対する発想の違いを例に話を進めましょう。

 

 

「道を間違えた」

 

つまり

 

「よりみち」

 

という予想外の出来事は、私にとっては・・・

 

予想してなかった体験ができるかもしれない、

何なら見たこともない景色やお店に遭遇するかもしれない・・・

そういうものだったのですが、

友人にしてみればそれは・・・

 

当然享受できるはずの楽しみが受けられないかもしれない。

予想していたことが、実現しないかもしれない。

現地に着いたら、あれもしようこれもしよう、と考えていたのに!

 

件の友人の怒りの内容は、

だいたいこんな感じだったと予測します。

 

ある目的のために今回出掛けているのだから、

その目的が達成できなければ、

このお出掛けの意味は限りなくなくなってしまう!

だから何より現地到着を最優先に行動すべし!

 

それまでちゃらんぽらん(今もですけどね)に生きていた人間には、

こういう思考、発想は非常に新鮮且つ的を得ているように感じられ・・・

 

成る程、

だからボクは、ものごとを成すことがなかなかできないのだ。

と、大いにヘコんだものです。

 

 

時は移り・・・

 

 

「自分の人生そのものを芸術作品にする芸術活動」

 

をするのだと決意して、

その視点、世界観でものごとを見ていると・・・

 

たしかに目的地に一目散に脇目も振らず、

最短距離を突き進むことが必要な場合も、

たまにはあるし確かにあった・・・

 

でも、

これまでの私の人生を色とりどりにしてくれて、

これからの私の人生をもっと豊かにしていこうと、

そう思わせてくれたものの一端は紛れもなく

 

「よりみち」

 

だったなぁ、と思い返すことが増えてきました。

そして今も、事あるごとにそう思うことが増えています。

 

まだ幼稚園にも入っていないような幼い頃から、

私の実家には、いずれ私が読んでくれるように、と

ブッ◯ローンのチャイクロや、百科事典が置かれており、

何かを調べたいというときなど、大いに役立ったものですが・・・

 

なにより役立ったのが、

 

「よりみち」

 

例えばある昆虫の名前を調べていたとすると、

昆虫図鑑をぱらぱらめくれば当たり前ですが、

他の昆虫の写真やイラストも目に入ってきます。

 

お目当ての昆虫を見つける前に目にするそれらを見て、

 

「こんなキレイな虫がいるんだ!本物見てみたいなぁ!」

 

とか、

 

「今度、近所の石の下を探してみよう!」

 

など、

頭の中にある私の宇宙に、お目当ての昆虫に加えて、

いくつもの新しい昆虫が書き加えられていきます。

 

 

辞書を引く、という行為もまた、

 

「よりみち」

 

だらけだった思い出ばかりです。

 

ある言葉を国語辞典で調べれば、

その言葉だけしか目に入ってこないということは稀で、

その周囲にある似たような言葉も、併せて視界に入ってくるし、

ついつい覚えてしまう言葉も少なくなかったものです。

 

目的以外の余計な情報が、

私の世界を豊かに満たしていってくれていたのです。

 

 

書の活動は今一番、熱を入れて取り組んでいる事ですが・・・

 

「書は人なり」

 

と、偉い人がおっしゃっているんですね。

 

まぁ、あらゆるものごとはすべからく

 

「人なり」

 

だと思っているのですが、

 

「書」

 

というものを通じて、

 

「自分」

 

というものを表出させてみたいと願っている私などは・・・

 

もちろんサッサと大きな実績を出して、芸術家だ!!

としてもいいのですが・・・

 

欲張りなのかもしれません。

 

「もっと豊かに、もっと芳醇に!!」

 

などと思ってしまい、

いろんな体験をしたがります。

 

書の修練も、

それはそれで非常に心身を豊かにするものですが、

 

「他のものごともいろいろ首を突っ込んでみたい!」

 

と思わずにはいられません。

 

「書の道を修める」

 

というたったひとつの目的、観点に於いてはその発想が、

 

「よりみち」

 

になるのだとしても。

 

 

本来の目的、絶対に成し遂げたい目的。

そういうものがある場合は当然、

そこへ辿り着くのが大前提ですし、

わざわざしろとまでは言わないものの、

 

「よりみち」

 

は、その道中を面白おかしく、

また色鮮やかな飾り付けとなってくれる、

実り豊かにしてくれる、

大切なエッセンスだと思えてなりません。

目的へまっすぐ脇目も振らず寄り道もせず・・・だと、

目的は果たせるかもしれませんが・・・

 

「目的以上のものごと」

 

だとか、

 

「目的と全く違う価値をもつものごと」

 

をすっ飛ばしてきてしまう。

 

それはそれで、

目的には辿り着くのだからよいのかもしれないけれど、

ちょっと寂しいというか、

ちょっと栄養が偏っているというか・・・

 

そんな感じがするのです。

 

 

もっと豊かに

もっと実り多く

 

もっともっと

この世界の

この宇宙の素晴らしさ

美しさを味わっておきたい

 

そう思わずにはいられないのです。

 

 

ちなみにこの写真は、

なんだか気になった側道にふらふらと立ち寄って撮ったもの。

とても気に入っています。

 

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