最近 #事件の多い世の中に思うこと
私は、毒女を沢山見てきました。
毒男も沢山見てきまし。
毒女は、自分が気づいた時にはもう手遅れw
時すでに遅し
遅かれ早かれ、そこそこの金銭的負荷はすでにこなしてきていると思う。
でも、数分でも惚れた弱みは、自己責任だ
それが数年経ち、10年経ってやっと気づいて精神的に限界に来たら、断捨離せねば
負の遺産だけが重く圧し掛かってくるから、
毒女の場合は、早めの決断で自己責任を補えるんで1日も早く別れた方がいい
しかし、毒女でも毒男でも、他人への些細な加害であっても、それは事柄が別である。
(事柄が適切な表現なのかは責任は持てませんので)
私も友人も、こう言う経験と解釈がある
「結婚できないこと、しなかった後悔よりも#間違った人と結婚することの方がよっぽど怖い」
と悟った事だ
こんな事件が過去にもあったけど、目黒の5歳女児の虐待による死亡事件や最近は、
同棲中や結婚後まもなくDV事件や殺人事件を犯すとか
それはそれで、予測が不可能な場合と恐怖を感じながら事件性を予測出来ていても
誰にも相談できなくて怯えている状況下にいる人達が多くいるのではと思う最近の事件は
残虐性が凄すぎる
その昔、神戸黒薔薇事件や宮崎勤事件などもあるが、ここ数年は、事件の数が比ではない気がする
内容が残虐性に移ったが、本題に戻せば
男女が付き合う段階でこれが見抜けないのが恐ろしいと感じる
もし、これが結婚してから事件に巻き込まれたら、なおさらだと思う
だから、人を見抜いてから同棲すればいいとか、結婚すればいいとか思うのは
不適切なのかもしれない
ただ、残虐性を持った人は見抜けるとゆうか、
日ごろからその残虐性の兆候が必ずあるんです
仕事柄、DV家庭の支援活動を手伝っていたことがあるので、よく感じる事柄なので
しかし、大都会近郊では、他人の生活に踏み込まない、関わらないとゆう風潮が大きくて
事件が起こり始めないと手を差し伸べられないことも事実である
近隣や他人が思うに、仕返しされたら怖いとゆう観念だ
事実、私は若いときは、オラオラなんか怖くとも何ともなく、支援活動の時は
逆にイケイケで、福祉担当者や警察の刑事さんから、やりすぎないようによく注意を受けたが
ある日、歳をとったなあと感じた瞬間から、怖さが増してきて、支援活動を辞退した経験がある
前記したが「結婚できないこと、しなかった後悔よりも#間違った人と結婚することの方がよっぽど怖い」
と感じたのは、支援活動を通して、長年感じたことだからですね
私の周りにも、既婚者と離婚者、独身者と独身主義者が大勢います
自身の死が近いと、ガンガン働いていた時は微塵も感じなかった事が
スライドショーの様に脳裏に現れ、夢にまで出てくる
そして、当人たちに直接問いかけたことは当然ない
聴くのが怖いと言うより、聞くことが「不適切」な時代だと感じている
今でも、困っている人やその様な場面では、手を差し伸べることが出来るときは差し伸べるし
間違ったことに対しては、はっきり言うし、間違っていれば謝るし、
しかし本題の
「結婚できないこと、しなかった後悔よりも#間違った人と結婚することの方がよっぽど怖い」
は、不適切ではないと思う
マスコミは、独身者をすぐに孤独死の対象者のごとく報道したり、記事にして煽っている
世界中で人それぞれの人生がある
それはその人が背負っている自身であって、生き方なのだとおもう
#間違った人と結婚することの方がよっぽど怖い と思うことが不適切だとは思わない
だから、結婚したから幸せだとか、幸せでないとか、マスコミや評論家さんは、個人の人生観を安易に述べるべきでないと思う
⇩こんな事件がなぜ減らないのか、心が痛い
3歳女児を洗濯機に入れ… 逮捕の男を「殺人未遂」容疑で送検