デロリアンDMC-12は 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するタイムマシンのベースカーとして使われた事で有名ですね~

そんな デロリアンDMC-12 と、新潟で出会った~



これに乗って、過去に 未来に 行ってみたいものですぅキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラくるまb⇒


Ps. ここからは デロリアンDMC-12 ウンチクなんで、ご興味がない方は スルーして下さいませぇ~にかー下矢印

DMC-12は 長い開発期間を経て1981年に登場したアメリカのデロリアン社 唯一のモデルで、イタルデザイン社のジョルジェット・ジウジアーロがデザインし、ロータス・カーズがメカニカル設計を請け負った。 デロリアンの計画は常に資金難に見舞われ、その開発や生産は遅々として進まず、イギリス政府との板挟みとなったロータスの創業者であるコーリン・チャップマンの心労は甚だしい物があったと伝えられている。 結局、DMC-12はチャップマンの生涯における最後の製品となった。 バックボーンフレーム上に FRPボディーを載せる構造はロータスが得意とした手法であるが、メンテナンス フリーを狙って外部全体を無塗装ステンレスで覆ったことが極めてユニークである。 無塗装ヘアライン仕上げの外板と近未来的なガルウイングドアは 後年まで同車のイメージを決定づけた。 なお、車高や最低地上高が高いのは 当時の法的基準におけるヘッドランプの高さを満たすためと、北米の道路事情を配慮した実用性確保のためである。 エンジンは フランス製PRV・V型6気筒 SOHC 2849cc プジョー ・ルノー ・ボルボが乗用車用に共同開発した量産品を後部に搭載する リアエンジン レイアウトを採った。 このパワートレインとレイアウトは トランスミッションの歯車比やエンジンのチューニングは異なるものの、アルピーヌ・ルノーA310・V6とも共通する。 このエンジンは当初90°バンクのV型8気筒として設計されていたが、1973年のオイルショックの影響で出力よりも経済性を重視せざるを得なくなり、そのままのバンク角で 2気筒を切り落とした経緯を持つ実用型である。 従ってDMC-12は スーパーカー的な外見を持ちつつも、実際は個性的なスタイルに重点を置いたスペシャリティ・クーペという成り立ちであった。 前宣伝の効果も手伝って、多くのバックオーダーをかかえる中でのスタートとなり、初年度は約6,500台を販売するなど売り上げは好調であった。 この時期はターボチャージャー の搭載や、4枚ガルウイングドアの4座仕様などの追加計画もあったが、発売価格が2万5,000ドルと高額であったことや、品質の低さに起因する大量のキャンセルなどから、翌年以降はたちまち売り上げ不振に陥った。 また、北アイルランドへの工場誘致の条件として交付されていたイギリス政府からの補助金が停止された。 後にエンロンの会計監査も行ったアーサー・アンダーセンが、デロリアン社の資金を社長ジョン・デロリアンが私的に流用するなどしたことを黙認していたことがマスメディアの調査などで明らかになっている。 さらに1982年に、社長のジョン・デロリアンがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生したことにより、会社は資金繰りが立ち行かなくなり、倒産に至った。 DMC-12の短い生産期間中には風変わりなバージョンも製造された。 1981年モデルの最後を締めくくったのが2台の純金パネル仕様車で、1台12万5,000ドル以上という。 1台は現在もネバダ州リノの National Auto Museumに展示、もう1台はテキサス州のSnyder Bankに展示されていたが、2004年頃に撤去された。 なお最後に製造された車も純金パネルであったが、これは宝くじ のような富くじ方式で一般人の手に渡った。 最終生産車が作られたのは工場閉鎖後のことで、工場に残っていたパーツ等で 1982年12月24日に作られた4台が一般向け生産の最後となった。 最終的に8,583台が製造されたと見られているが、500台が調整用として確保されたため実質8,083台と思われる。

また、来年の 2013年に、デロリアンEV として、電気自動車のデロリアンが、世界で30台限定で復活する事になったのだ!
その仮予約は 日本での代理店・レッドスターが受け付けている。 今回の仮予約受付は 日本市場のマーケティング活動を主な目的としており、製造ラインへの投資規模、最終顧客の需要規模、プロフィールがどの程度か見積もるために行なわれるため、予約金などは一切不要。 車両価格は オプション抜きの純粋な車両価格は 1000万円前後らしい・・・


宝くじが もし当たったならば~

買ってみよっかなぁ~にかー¥





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