丹生川上神社

[みんな:01]丹生川上神社・中社

所在地 奈良県吉野郡東吉野村大字 小968
位置 北緯34度23分25秒
東経135度59分11秒

祭神 罔象女神

罔象女神は、伊邪奈伎、伊邪奈美の神の御子神で、伊勢神宮の天照大神とは御姉妹であらせられる。
伊邪奈伎、伊邪奈美の神は、国を造り成された神であり、あらゆる御神徳を具えられているが、この御神徳の中、特に水に関する一切の神徳を受けられたのが、岡象女大神であって、古来から皇室を始め、全国を挙げて御尊崇申し上げている。水は五穀をはじめ万物の生成化育の根源で太陽と共に我々の日常生活に一瞬も欠くことの出来ないもので、その御神徳の広大無辺なること云うを俟たない。

photo:01



由緒及歴世の崇敬
当社は今を去ること1300余年前、天武天皇白鳳4年「人声ノ聞ヱザル深山吉野丹生川上二我ガ宮柱ヲ建テテ敬祀セバ、天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霖雨ヲ止メン」との御神教によって斎祀せられた。そしてこの年から五穀の豊穣を祈願する祈年祭が行われたことを併せ考えると、五穀の生命を司る雨水の神を祀る当神社の御鎮座は、愈々その意義が深い。従って歴代朝廷の御崇敬は篤く、国家に大事のある時は必ず祈願を籠められ、天皇、皇后の行幸啓五十余度、淳仁天皇の天平宝字7年5月の奉幣雨乞、光仁天皇宝亀6年9月の奉幣祈晴を始めとして、応仁乱世に至る迄、歴世神祓官御差遣の上、奉幣祈願されたことは実に96回に及び、奉幣に際しては特に祈雨の黒毛馬を止雨には白毛馬を奉られるのが常例で、誠に鄭重を極めた。

後醍醐天皇御製
この里は丹生の川上ほど近し祈らば晴れよ五月雨の空

信仰
歴代の御崇敬はかくの如くであるから、民間に於ける信仰も今更云う迄もなく、古くより雨師の明神として全国中の名神大社と仰がれた。大神に対する信仰は、炎天打続き霖雨降りしきる際には、雨乞或は止雨の祈願となり、水の恵みを感謝するにつけてその御神徳を称え奉った。殊に毎日水恩に浴する農家、林業家、水利業者を始め、水の縁から商業関係者、一家の主婦の如き最も崇敬の念篤く、参拝者は年毎に多きを加えている。
今日は水道設備、水源地、貯水地、潅概ダム、水力発電ダム等の守護神として、又水の良否と深く関わる酒造りの守護神としても崇敬せられ全国の各地より大神の御分霊を戴いて奉斎しておられる。又神武天皇が戦勝を祈願された事に依り勝利の神、勝運の神、開運の神として篤く崇敬され、更に水は火を消す所から、火難消除の神としても信仰されている。

神階及び社格
御神階は、嵯峨天皇の弘仁9年4月従五位下を授けられ、宇多天皇の寛平9年12月には従二位迄進ませられ、御社格は延喜の制に於て国中の名神大社として四度の官幣及特に祈雨、止雨の祭に預り、式内二十二社の一であらせられた。大正11年10月官幣大社に列せられ、蟻通神社を丹生川上神社と御治定あらせられた。

本社の環境
本社は吉野郡東北部、北から三尾川、南から木津川、東からは日裏川が東の滝となって流れ落ちる三川合流の地に在り、見渡す連山は清新な深緑に覆われ、社頭を流れる御手洗川(丹生川)、千古に聳える大樹の中に仰ぐ御社殿は自から我々を大地に額かしめる。春は新緑、夏は鮎、秋は紅葉によく実に俗界を離れた風景絶佳の地である。
本殿及東西殿は文政年問の極彩色建築で絢爛、御神威の程が偲ばれ、朱の鳥居と神橋蟻通橋は深緑の中に隠顕して、社頭の紅葉が丹生川に映ずる美しさは誠に一幅の絵である。
10月16日の御例祭近い日曜日に(小川祭り)氏子八ヶ大字から太鼓台を繰出して奉舁し、近郷稀なる賑いを呈する。境内には摂社丹生神社、未社東照神社、重要文化財弘長3年の銘ある石燈籠、神武天県御聖蹟、古野離宮趾碑、森口奈良吉大人を頌へまつる歌碑及び俳人原石鼎の句碑がある。

丹生津姫命御巡幸
古祝詞「天野吉門」の伝えによれば、神代、紀伊国伊都郡奄田村石口に天降られた丹生津姫命は吉野川(紀ノ川)沿いにこの丹生川上の地に上られ「国かかし給ひ」(国内の水脈、水流、池、田地等を眺める謂)米作りと云う生産の安定を図りつゝ十市、高市、宇智郡、紀州の幾箇所かを経て、現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野丹生都比売神社に御鎮座された。丹生津姫のニフはニハ、ニヒ、ニへ、ニホと共に新穀(稲)の意と考えられ、米作り〔新嘗)の神が当地を巡幸の出発点とされたことは、水の信仰との関わりに於いて意義が深く、丹生川上の丹生も蓋しこの神名に由来するものであろう。更に神武天皇東征の砌、丹生津姫命の巡幸路を進まれ、特にこの地に於いて御親祭の顕斎、宇気比がなされたこととも強く関連し、後の吉野離宮の濫觴となる。

神武天皇聖蹟丹生川上
本社の境域は、皇祖神武天皇建国の始め、大和国御平定の折、天祖の神訓に基いて、親しく天神地祇を杞り給うた御聖蹟の地として、昭和15年2月7日、神武天皇御聖蹟地として決定され、象山に神武天皇聖蹟丹生川上顕彰碑が建てられている。

夢渕(誓の渕・灌所の渕・三交の渕)
日本書記に「吾今フ当ニ厳瓮ヲ以テ丹生ノ川ニ沈メム、如シ魚大小トナク悉ク酔ヒテ流レムコト、讐ヘバ猶、披葉ノ浮流クガ如クナラバ、吾必ズ能ク此ノ国ヲ定メテム、如シ其レ爾ラズバ、終シテ成ル所無セント宣ヒテ、乃チ厳瓮ヲ川ニ沈メ給ウ」とあり。神武天皇御自ら天神地祇を御親祭遊ばされ、天津日嗣の大御業の成否を天祖に誓い給うて、やがて吉兆現れて大小数多の魚が秋の木の葉の如く酔うて流れ、尊い神助の瑞祥をこの丹生別上に得させられた。後世宝柞の無窮を寿ぎ奉る萬歳旛の厳瓮と魚の御紋様の起源は即ちこの皇祖御親祭の故事を写し給うたものである。

神橋蟻通橋
本社と摂社丹生神社とを連絡する丹生川に架けられた橋であってこの橋上からの眺望が素晴らしくよい。西村天囚博士が「蟻通橋の上より見渡せば山高く四面に聳えて、萬樹緑濃かに、蒼翠滴たらんとするまゝに、深山躑躅の色鮮かに、一水右より来り、一水左より合し、中なる峰より一水又落ちて、涼々自ら瀑布を成し、三水此に会して、碧潭となり、流れて吉野川(丹生川)となる。辺りの景色得も云はずよし」と歎称している。この辺りは又、象の小川とも云われる。

東の滝〔秋津野滝・丹生滝・み芳野滝)
日裏川が夢渕に流れ落ちる所にある。東の滝と云うのは吉野離宮の東にあるから名付けられた名で「東の滝の御門に侍へど昨日も今日も召すこともなし」(萬・一八四)の歌がある。

吉野離宮跡
神代、新嘗の女神丹生津姫命の巡幸の起点であり神武天皇が親祭を行わせられた丹生川上の地は、実に肇国発祥、千古幽邃の聖地であるから、歴代皇室の崇敬が極めて篤く国家に大事ある時は祈願の為に度々行幸あらせられた。その御宿所が吉野離宮で「神代より吉野の宮に蟻通ひ」と詠まれている所以である。
天武天皇はまだ皇子の時、妃の後の持統天皇と壬申の乱を前にして此の離宮の地に逃れ給い、只管神祇の御加護を祈られた甲斐あって、遂に勝利を得て、御即位され前記の神宣を得られたので、神恩を感謝し社殿を創建せられたのが、この丹生川上神社の起源と考えられる。又、神社の後の小牟漏岳につぐく小野榛原は、雄略天皇行幸御猟の時、虻が飛んで来て、天皇の習に止ったのを、蜻蛉が忽ち飛び来て虻を喰えて飛び去ったので、天皇は非常に喜こばれて、ここを秋津野と名付けられたと云う。


行きたくなりましたアップ
丹生川上神社・下社
丹生川上神社・中社

ママ友さんに
声をかけると

「 嬉しいチャンスに
声をかけて貰ったかも…
行きた~いビックリマーク

と言う事で


我が家➡丹生川上神社・下社
120分

下社➡中社
50分

ママ友さんとは
とっても久しぶりのお出かけ
コンビニでおにぎりおにぎり・おやつを買い、車内で楽しみながら

尽きない話に楽しさアップアップ

ママ友さんと一緒に
神社巡りに行って来ました車DASH!



透明度の高い川の水に感動しながら
遊泳ファミリーがいましたよ~サーフィン

高所恐怖症私叫びあせる
赤い吊り橋・滝周辺では
ママ友さんに手を引いて貰いながら

宮司様の奥様に
うちわを頂きました[みんな:02]

嬉しいプレゼントアップ


心配を抱えていたママ友さん
おみくじは、虹大吉

幸先の素晴らしさ
間違いナシ[みんな:03]

帰宅後、

「 いいタイミングで素敵なパワースポットに連れて行って頂きありがとう✨ 」

と嬉しいメールを頂きましたビックリマーク

こちらこそ、
ママ友さんのお陰で
素敵な神社巡りが出来ましたアップ

ママ友さん[みんな:04]ありがとう





iPhoneからの投稿