元伊勢・内宮 
皇大神社
名 称 皇大神社
所 在 地 京都府福知山市大江町字内宮
主 祭 神 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
相 殿
奥 宮 天岩戸神社
摂 社 天手力雄命社 栲機千々姫命社
末 社 熊野神社 三女神社以下八十社
熊野神社、三女神社以下80社
確認できた境内社は、梅宮神社、浅間神社、大年神社、加茂神社、倭文神社、砥鹿神社、住吉神社、二荒山神社、出石神社、高瀬神社、春日神社、洲崎神社、愛宕神社、敢国神社、寒川神社、氷川神社、高良神社、宇倍神社、水無神社、玉前神社、新良神社、枚岡神社、杵築神社、吉備津神社、白山神社、箱崎神社、気多神社、南宮神社、香取神社、伊射波神社、倉稲魂神社、若狭彦神社、大鳥神社、風之宮神社、伊雑神社、月読神社、荒祭神社、伊佐奈伎神社、伊佐奈美神社、瀧原神社、日前神社、天御柱神社、国御柱神社、大原神社、石上神社、貴船神社、宇佐神社、物部神社、興玉神社、気比神社、大神神社、鏡作神社、日吉神社、都佐神社、大国魂神社、廣瀬神社、龍田神社、中山神社、由良姫神社、鹿嶋神社、三島神社、田村神社、厳島神社、大山祇神社、玉祖神社、八坂神社、與止日女神社、鹿児島神社、少童神社、三上神社、出雲神社、浦嶋神社、玉依姫神社、籠守神社、松尾神社、三日月神社、曲玉神社、斎宮神社。
御由緒
第十代崇神天皇三十九年(西暦紀元前五十九年)に、「別に大宮地を求め鎮め祀れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を求め、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑(現奈良県桜井市)を出御されたのが、いまを去る二千数十年前の遥かな昔であった。そして、まず但波(丹波)へ御遷幸、その御由緒により当社が創建されたと伝えられている。
皇大神は、四年ののち、御神蹟をおとどめなされて再び倭へおかえりになり、諸所を経て、崇神天皇二十六年(西暦紀元前四年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(いまの伊勢の神宮)に常永遠にお鎮まりになった。しかし、天照皇大神の御神得を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は、引き続いて当社を内宮の元の宮として「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと呼び親しみ、今に至るも庶民の篤い信仰が続いている。
皇大神社の社殿は神明造であり、本殿の勝男木は十本、千木は内そぎで、左右に棟持柱があります。
特筆すべきは鳥居の形状で、杉の木を皮を剥がないまま組まれています。これは黒木の鳥居と呼ばれる形で、全国的にも数例しか見られない大変珍しい形です。
皇大神社の社殿向かって左側に、「龍灯の杉」と呼ばれる一本の杉の巨木があります。樹齢二千年に近いと推定されるこの巨杉に、毎年節分の夜の丑三つ時、龍神が梢に明かりをともしにやってくるとの伝説からこの名があります。残念ながら龍灯の杉は、一九六一年に信者の灯明の火から火災に見舞われ無惨な姿になってしまいましたが、それでも枯れることなく現在に至っています。
龍灯の杉
龍神伝説と海人族との関連は有識者が常に指摘するところであり、境内末社には三女神社(宗像三女神を祀る)が古より鎮座している事からも、近年古代史関係者の注目を集めています。
一の鳥居を潜ってすぐに異種異様な姿の巨木が目に付きますが、これは「癌封じの樹」と呼ばれている樹です。人間の病気を吸い取ってくれる霊験あらたかな樹なのだそうです。
日本一美しいピラミッド?
岩戸山(亦名・城山、日室ヶ嶽)
岩戸山は、皇大神社近くにある標高四二七メートルの山で、美しい錐の形をしています。この山は千古斧鉞を入れざるご神体山(神奈備)であり、夏至の日の夕刻、皇大神社の遙拝所と呼ばれる場所から岩戸山を眺めたならば、夕陽は岩戸山の頂上に沈むと言われています。頂上付近には倭姫の磐座と呼ばれる巨大な岩の構造物があるとされており、縄文時代には既に岩戸山が信仰の対象となっていた事が伺えます。
古神道家の聖地
古代より皇大神社一帯は聖地とされていましたが、明治以後、聖地としての色合いは一層鮮明になりました。事の発端は大本開祖・出口ナオと大本聖師・出口王仁三郎が皇大神社を真の元伊勢と崇敬し、天岩戸神社の清水で禊ぎを行った事に遡ります。
天岩戸神社境内
天岩戸神社は岩戸山と皇大神社を隔てる五十鈴川渓谷に鎮座する神社で、御座石・神楽岩・大神の産盥・鯉返し岩などの奇石を有する、皇大神社の奥宮に位置づけられる神社です。
岩戸山の亦名を日室ヶ嶽と申しますが、この名は恐らく「神籬(ひむろぎ:大昔、神を祀る時、清浄の地を選び、周りに常磐木を植え、神霊の宿る場所としたところ)」
静寂感漂う素晴らしい神社
そして…
神霊宿る
神域を感じられる
とっても素晴らしい神社でした
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