難聴者の方々が、事務所に来てくださり、「こんなことで困っているんだ」というお話を聞かせてくださいました。
耳(聴覚)に何らかの不自由を抱えている、感じている方は、なんと国民の10人に1人にのぼるという推計もあるそうで、もはや他人事ではありません。
もちろん、その程度は様々です。
どうしても「耳が不自由」と聞くと、「生まれながらに耳が聞こえなくて、手話をされる方」をイメージしがちですが、先に述べた数字の大半は、突発性難聴や加齢によって、耳の聞こえが悪くなった方々です。
手話の習得が難しいこと。
障害があることを気づいてもらいづらいこと。
ゆえに外出などが億劫になり、孤独になっている方が多いこと。
などなどでした。
(もっと色々、具体的な話、提案もありましたが、それはいずれ議会で取り上げようと思います)
当日は、要約筆記者同席のもとでお話を伺いましたが、あまりそれに頼ることなくコミュニケーションを取ることができました。
難聴と言っても「まったく聴こえない」わけではないのです。
相手が難聴者であることを理解した上で、ハキハキとゆっくりと、そして『口元をしっかり見せながら』喋れば、それで十分に通じるのです(通じる難聴者が多いのです)。
「障害者」と一言で言っても、それは様々です。
健常者と障害者の明確な区分があるのではなく、まさに「障害はグラデーション」です。
そのグラデーションの中には、「一目で障害があるとわからない方」「見えづらい障害の方」がたくさんいて、難聴者もそのうちの一つだと思います。
他にも、高次脳機能障害や、内部障害、関節障害など、たくさんあります。
そういう方々の暮らしやすさは、周囲のほんの少しの配慮で大きく変わるものだと思います。
・そういう障害の存在を知ること
・それぞれの障害に対する「配慮の仕方」を知ること(難聴者であれば、口元を見せて喋るなど)
・ヘルプマークや、耳マークなどの普及促進(モノだけでなく、当事者が恥ずかしがらずにマークをつけられるような、社会の理解の促進)
などです。
行政の障害者施策は、どうしても「重い障害」「わかりやすい障害」に目が向きがちです。私たち議員の議会での議論もそうです。
もちろんそれも大事なのですが、こうした「見えづらい障害」にも、しっかりと目を向けていきたいものです。
私もこれを機会に、「見えづらい障害」の問題にも取り組もうと思います。
このブログをご覧の皆様も、これらのマークをつけた方を見かけたら、「口元をみせて、ゆっくり、ハキハキしゃべる」。このことだけでも、ぜひ実践してみてください!