今日(2月10日)の小樽は天候晴れのち雪、最高気温 1.1℃ (9:51)、最低気温-2.5℃ (6:06)、最大風速 4.6m/s (0:50)、積雪深93cm(17:00)。

 今は冬のまっただ中だけれども、ここまで来ればもうしめたもの。北海道の冬で本当に厳しいのは1月の後半。1月の後半は飛行機やJRが完全に運休するくらいの嵐がやって来ることが1回や2回はある。

 ところが2月に入るとその確率はぐっと低くなる。札幌市の毎年行われる大イベントの雪祭り。今年は2月5日から2月11日まで。あ、今日が最終日だ。一番天候が荒れる時期をちゃんと外している。まあ、当然のことか。日が少し長くなって、日差しも少し強くなった。世界が明るくなっていく。

 今年の冬は暖かくて大助かり。この調子で毎年温かくなってくれれば、北海道としてはありがたい。日本は北海道に限らず暖冬らしいけれど、あの嘘つきNHKが地球温暖化と騒がない。これは心を入れ替えたのではなくて、今年は北米が大寒波で大変なせいだと思う。アメリカが騒がないことには、日本で何が起きていても冷たくあしらうのが日本のマスメディア。あ、日本政府も。能登半島がどうなろうが知ったことじゃない。

 

 ということで一夜明けて、今は2月11日の午前4時30分なのだけれど、雪が積もりました。現在積雪深116cm。世の中全体が静かになったのが、部屋の中にいても分かる。雪は吸音材になるから。

 

 私の好きな小椋佳の歌に「思い込み - part II」というのがあって、その歌詞の中に「寒さが特に嫌だといって 雪の日がただ好きなのは ものみな全てが 無口になるからだ」という一節がある。全く私の感覚と同じ。100%共感。東京に住んでいても分かるんですね。

 

 ついでに書くと、この歌の最後の方に「海辺の街に去った友達 話聞こうか久しぶり 私はコーヒーにヨットを浮かべる」というところがあって、この歌が頭にあったものだから、今は海辺のマンションで生活している。いいでしょ。

 

 昨日と今日、「焼きそば」を作ってみた。まあ、つまらない話なのだけれど、スーパーで3食入り115円という安物を買ってきて、それを1食分ずつ。肉やイカなどは切らしていたから、入れたのはキャベツのみ。あとは、ついていた粉のソースと、家にあったマヨネーズと、アオサ。

 でも、フライパンが良くて楽しかった。フライパンに関してはずっとストレスを感じていて、というのも底が熱で歪んでしまうから。ガス火だと気にならないと思うけれど、IHクッキングヒーターだとカタカタ安定しなくなるし、そうなると熱効率も悪くなっていそうだ。

 どうも我が家でいつも購入する1000円程度のフライパンでは底面のでこぼこを避けるのは不可能らしい。そこでしびれを切らしてというか、短気を起こしてというか、エイヤーとばかりに、高いフライパンを買ってみた。高いといっても4000円ちょいだけれど。

 底面三層構造のマイヤーという会社のもの。厚めの底だから絶対に歪みそうもない。ただし、重い。でも、男には苦になるほどではない。ガス火と違ってIHではフリフリもしないし。

 このマイヤーという会社、「1951年に香港にて設立、その後アメリカカリフォルニア州へ拠点を移転し、本格的に調理器具の生産を開始しました。」と書いてある。私の嫌いなアメリカにある会社だけれど、品物自体はしっかりMaid in China。許す。

 このフライパンがまるで厚手の鉄板のような雰囲気を出すから楽しい。三層構造のところに蓄熱するのだろうね。麺を炒めているときに水を少し注ぐと「ジュー」と音がして湯気が上がる。出来上がってフライパンごと食卓テーブルの上に、というか鍋敷きの上に上げておくと、ちゃんと焼きそばの下の方が焦げている。「オーッ、鉄板焼き、鉄板焼き」と思いながら食べることができる。

 これがまた、気分のせいかおいしい。久しぶりに「風月」の焼きそばを思い出した。風月というのは北海道で多分一番大手の、焼きそば・お好み焼きのチェーン店。今から55年くらい前かな、私の通っている高校の近くに、大阪から若いお兄ちゃんがやってきて小さな店を開いたのが始まり。

 当時お好み焼きが70円、焼きそば大盛りが90円だったような気がする。今はもちろん10倍ではきかない。目の前で作られる焼きそばを見ているうちに、焼きそばの作り方は覚えたけれども、お好み焼きは真似をしようとしてもたどり着けない。あんなにサクサクしているのは、ふくらし粉でも入れているのだろうか。

 それにしても、食料品の値上がりにはついていけない。コロナ禍から、いや、ロシア・ウクライナ紛争以降かな値上がりしたのは。25%くらいは値上がりしているように思う。最初は小麦粉製品だったろうか。卵かな。その程度ならまあいいやと思っているうちに、米も、肉も、魚も、納豆も、お菓子や果物まで、どれもこれも全てが値上がりしてしまった。

 今じゃ、スーパーに行ってもちょっとつらいものがある。全部が高いから、何を買っていいのか分からなくなる。今のところは、賞味期限切れ間近の値引き品を見つけると即行で買うようにしている。現役で働いているならまだしも、年金生活者はこの先収入が増える見込みなんてないからね。

 まあ、円がこれだけ安くなってしまうとそうなるよなあ。輸出企業は大もうけ、インバウンドも大もうけ。アメリカも中国も、日本の不動産や株を安く買うことができて大もうけ。皆さん中国がどうのこうのと騒いでいるけれども、実は日本を一番買い叩いているのはアメリカ。中国など可愛いもの。そうそう、政府も増税で大もうけ。国民の預貯金を減らそうとする政策は今のところ大成功のように見える。日本国民以外みんな大もうけ。

 いずれにしても、岸田政権はアメリカから命令されるままに、日本の超大安売りを始めてしまった。次はNTTなんだって?

 ちょっと話が堅くなって申し訳ないけれど、1991年にソ連が崩壊してロシアになった後に、そのロシアに入り込んで安値で何もかも買い漁ったのがアメリカ。そのせいで、ロシア人は寿命が短くなったという。食べるものもなければ、着るものもなければ、病院にも行けずで、極貧の生活になったのが寿命の短くなった理由。民営化の名の下に、エリツィン政権が全てをアメリカに売り渡してしまったせい。アメリカが儲かった分、ロシア人は貧乏になった。

 「1992年から2001年の間までの死者数は、例年より250万人から300万人多かったと推定される。戦争や飢餓、あるいは伝染病がないのに、これほどの規模の人命が失われたことは近年の歴史ではなかったことである」(国連開発計画「人間開発報告書2005」)とされている。

 そんな悲惨なロシアを救ったのが、プーチン大統領になる。だからプーチンはロシアの英雄。お見事としか言いようがない。国内に入り込んできたアメリカ人を叩き出したのだから。寿命を元に戻し、経済もすっかり回復させた。そんな素晴らしい政治家は世界にいないでしょ、プーチン以外には。

 でも、結局のところはプーチンというよりも、ロシア人が賢かったのだと思う。いくらプーチンが優秀といっても、一人では何もできないからね。このままでは国が滅びると思って、みんなで一所懸命頑張ったのだと思う。

 その点、日本は心細いね。30年間アメリカに侵略されっぱなし。最近では寿命すら短くなった。なのに、政治家は裏金作りに一所懸命。ずさんな計画を立てた万博でさらに莫大な赤字を出す予定。災害が起きたって放ったらかし。ワクチンで何十万人死のうが知らんふり。

 ロシア人は立ち上がったのですよ。そして、うまいことアメリカを追い出したのですよ。日本人はアメリカの言いなりになって、座して死を待つのでしょうか。それとも真珠湾攻撃? アホな日本人が考えつくのはその程度。

 あ〜あ、話がつまらなくなったから話題を変えてと。2月5日に港の方を見ていたら、軍艦が入ってきた。結構な大きさ。さすが軍艦はその色合いからして物騒というか、厳めしいというか、非友好的いうか、そんなものを感じさせる。双眼鏡でのぞいてみたけれど、普通の国旗は掲げていない。吃水線のあたりに錆が出ていて、何だかみすぼらしい感じ。ロシアの軍艦かと思ったけれど、ロシアの軍艦が小樽に来るわけないね。

 調べてみたら、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦「ラファエル・ペラルタ」。全長155m、全幅20m、喫水9.70m、排水トン数9,580トン、最大速31ノット、マストの高さ46.6m、最大上陸人員319人だそう。進水が2015年というからまだ新しい。

 小樽の後は、北上してロシアに近づいて、嫌がらせをするのだろうか。日本では、中国やロシアの船・飛行機が近づいてきたことしか報道しないけれど、アメリカ軍はそれ以上に嫌がらせしていると思うよ。アメリカに正義などということはあり得ないのだから。

 あ、またこんな話になってしまった。話を変えて、と。

 時の流れのことを書いてみよう。よく聞くのが、時の流れが速いという人の話。気がついたら今年も1か月過ぎてしまったとか、もう年末とか、あっという間に還暦とか。でも、私はどちらかというと、時が長いと感じる方。特に、仕事を辞める前が長かった。待てど暮らせど年金生活がやってきてくれないという感じ。

 そこから考えると、きっと楽しいことを待っている人間は時が経つのが遅いのではないかと思う。小さいときだって、クリスマスプレゼントやお年玉を楽しみにしていると、明日クリスマスというその明日がなかなかやって来ない。 "待ち遠しい" という言葉があるけれど、確かに待ち遠しいことは遠くにあると思わせられる。

 その正反対が、嫌なことがあるとき。例えば、1か月後に嫌な仕事がある、嫌な人と会わなければならないなんてときには、あっという間に1か月が過ぎてしまい、「えっ、もう?」という感じになってしまう。そういえば夏休みが終わるのも速かったなあ。あっという間に2学期。その2、3日前に宿題に取り組んでいると、夏休みの短さが恨めしかった。

 しかし、自分のことを考えると、先の楽しみというか、幸せというのは、今の自分の不幸を消してくれるような気がするから待ち遠しいのだろうなあ。今の自分の境遇と比べると段違いだから待ち遠しい。

 その反対に、不幸というのは今の幸せが消えることなんだろうな。ハッと気がつくと幸せが消えて不幸がやってきている。その落差がつらい。死ぬときはどうなんだろう。最後の最後はとってもハッピーな気分になれるのだろうか。それとも地獄の苦しみなのだろうか。あるいは突然電源が落ちる感じなのか。こればかりは死んでみないことには分からないというか、分かった瞬間死んでいるというか。そこがいいところかな?