「女の一生」(Une vie)はフランスの小説家ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)の長編小説になる。高校生か大学生の頃になぜか最後まで翻訳を読んだ記憶がある。そんなに面白いとは思わなかったが、おそらく女の人に対する興味・関心の強さが読ませたのだろう。

 読み終わっても特段の感動はなかった。何しろ若い頃の私といえば、男と女は原則同じものという考えからスタートしていたから。そのせいで、「女の一生」を読んでも、今なら逐一頷いたり否定したりできると思うけれども、何だか妙だなあという感覚が残った程度だった。

 男の女性観は極めて単純なもので、私などは "男も女も人間"  "男女平等" なんて世間で言われるものだから、精神的にも同じなのだろうとしか思っていなかった。戦後の教育の影響も多分にあるのかな。家族には、母親も妹もいるのだけれど、そこから何かを学びとるだけの鋭さを私は持ち合わせていなかった。

 その点、女の人はしっかり理解しているから、ある意味男は女にかなわない。女の人は生まれながらにして、あるいは本能的に、男という種族ががどういうものであるかを察知することができる。これは、男にはない能力になる。仮にどこかの男が女性のことを分かっているとすれば、それは経験の中から学んだものになる。

 と、女の人のことについて書き始めたけれど、最近の世の中はすっかり歪んでしまって、女の人のことを書くのは神経が張る。そんな社会ではいけないのだけれどね。何かあるとすぐに、ハラスメントや男女差別などにつなげたがる人もいるから対応に困る。もちろん、犯罪となれば話は別になるけれども。

 私の場合は、こんな老人だし、金もなければ権力もなく、おまけに信用や影響力もないから、適当に書きたいことを書いてもとがめられないだろう。独り言のようなものだから。ということで、以下独断と偏見で好き勝手なことを書いていくことにしよう。

 おそらくはアメリカの命令によって、近年になって日本の女性の社会的役割が変化してきている。一番はっきりしているのは「女も社会に出て働け!」という国になってきたことかな。私はこれに大反対だ。女性の場合は、キャリアウーマンになるか、家庭の主婦になるか、その他になるか、自分の好きな道を選択するべきであって、国の都合で方向を示すような問題ではないと思うからだ。

 これは女性の政治家、管理職についても同じことで、なりたい人はなればいいし、なりたくない人はならなければいい。アメリカの手前、一定の割合が必要などという性質のものではない。

 女性が自分の人生を好きなように選択する権利があるのは当然だけれども、とはいえ、それは今日の昼食はカレーにするかカツ丼にするかという問題とは性質が違う。自分の一生を左右する問題であり、かつ、どのような生き方を選択したところで相応の苦労がまとわりついてくることは避けられない。女の人には苦労が多いけれど、では男は楽をして生きているのかとなると、それは言えないことだからね。

 似たような問題に、移民や終身雇用がある。アメリカは移民をどんどん増やせ、終身雇用はよろしくないと指示を出してくる。しかし、欧米のように移民を大量に受け入れ、企業がいつでも社員の首切りができるようになったら、日本は今のように平和な国ではなくなる。

 また、派遣社員や移民が増えてきて明らかになってきたことは、労働者の質の低下だ。労働者の質が低下すれば、製品やサービスの質も低下し、競争力を維持できなくなる。もっともそれがアメリカの狙いともいえる。日本の競争力の低下は、ゼロサム思考のアメリカにとっては自国の利益につながると考えるからだ。

 日本の政府はそんなことは意に介さない。アメリカのお気に入りになろうとへつらい、媚を売る。また日本の財界は財界で、目先の利益を追い求めて日本や日本人全体の利益を考えようとしない。安い労働力が手に入るならば日本が滅びてもいいと思っている。

 女性の生き方や働き方についても同じことであって、財界は女性を働かせることによって安い労働力をほしがっている。アメリカは日本の文化を崩すことによって、日本の道徳を荒廃させ、社会を弱体化させることを狙っている。日本政府は、財界やアメリカの提灯持ちをしたがっている。

 アメリカは悪の根源ともいえる国だけれど、最近は特に雲行きが怪しい。アメリカという国全体が幼児化しているように感じる。例えばそれは、駐日アメリカ大使を見たって分かる。アホでしょ、あんなのは。ロシア・ウクライナ紛争にしても、イスラエル・パレスチナ紛争にしても、中東外交にしても、アフリカ外交にしても、アメリカはことごとく失敗している。もちろん、アメリカの誇るビッグファーマもワクチンで大失敗をした。

 「アメリカよ、一体とうしたというのだ」と偏見を持たずに考える人は皆思うのではないだろうか。そのようなことでは、現在いくら軍事力があろうとも、いくらドルが強かろうとも、国が衰えていくのは必定になる。実際問題として、アメリカは衰退する一方だ。加えて、アメリカの猿マネをするしか能のない自民党が政権を担っているものだから、日本の落ちぶれようといったら世界でも際立っている。

 さて、ずいぶん回り道をしたけれども、ここから本題に入っていく。アメリカの混乱ぶりというか、退廃ぶりというか、衰えは特にバイデン民主党政権になってから目に余る。それは一部のアメリカ人にとっても、その理由をどこに求めていいか理解の難しい不思議な問題と感じられている。

 前々回ご紹介した「耕助のブログ」では、James Howard Kunstlerという私の好きな人の記事が載っていたことがあるけれど、そこで彼が面白い指摘を行っている。それは「アメリカ民主党は活動家の女性に支配されるようになり、女性活動家は次の2つの顕著な行動傾向を示した。彼女たちは何かにつけて感情に基づいて決定を下す傾向があった。そして、彼らは男性よりも政治的戦いにおいてはるかに冷酷だった。彼女たちの感情は、フェアプレーの精神など古くからの価値観をひっくり返して、汚い手口に手を染めた。」というものだ。

 Kunstlerの記事を当ブログで取り上げたのは、昨年の1月8日になるが、今ごろになってじんわりと私の心を占めるようになった。なぜかというと、現外務大臣の上川陽子に総理大臣の呼び声があるとどこかのサイトで見たからだ。下手をすると日本は上川陽子総理大臣の国になるかもしれない。大変に恐ろしいことだ。

 実は私が上川陽子外務大臣の記事を当ブログで書こうかと思っていたときに、YouTubeで「上川陽子外相へ・和製ヌーランドになるなかれ」という動画がアップされた。

 動画に登場する渡辺惣樹という人は以前ご紹介したことがあるが、考え方が私と極めて近いと勝手に思っている人で、この動画も私とほぼ同意見になる。ただし、私はそれを一歩進めて、女性が権力を発揮できるような地位に就く場合には、政府、マスメディア、専門家、国民は細心の注意を払って用心しなければならないことを付け加えたい。

 これは男だって同じことではあるけれども、例えば岸田総理などは典型的な例で、あんな人を総理大臣にしたのは完全な誤りだった。もっとも、今の自民党にはあれ以上の人材がいないのかもしれなくて、そうであるならば自民党は自ら政権を返上するべきなのだが。

 岸田総理は大変に弱い人だ。お分かりになるだろうか。どうも、リーダー的な地位に就く人というのは弱い人ではダメらしい。この場合、強い弱いとは何かとなるとそれだけで大きなテーマになってしまうけれど、一言で言えば "精神的な独立性" ということになると思う。

 岸田総理も、一部の女性も、精神的に独立することが苦手だ。苦手だとどうなるだろうか。誰かに頼ろうとする。頼ればその者の意向に従うことになる。ということは自分で考えようとしなくなる。さらには、頼ろうとする相手の歓心を買おうとする気持ちにもなる。例えば、岸田総理のように無条件でアメリカに尻尾を振り始める。

 おまけに、ライバルなどいようものなら、つまり、頼ろうとする相手に自分よりも重用する存在があろうものなら、それに負けじと必死になってライバルと戦い、相手を蹴落とし、自分だけのものにしようとする。一言で言えば「寵愛を得るための戦い」が生じる。

 これが、女同士の戦いになった場合は、しばしば熾烈なものになるのは、女の人であれば理解できるだろう。寵愛を得るための争いには、ルールもなければ、手段が制限されることもない。あるのは勝つか負けるかだけになる。勝つことが全てになる。

 そのような戦いを勝ち上がった女性として私が思いつくのは、ビクトリア・ヌーランド、ヒラリー・クリントン、ナンシー・
ペロシ、日本では小池百合子と上川陽子になる。より地位が低くなれば、そのような女性たちをかなりの数発見できるはずだ。彼女たちの背後には大物が控えている。それは男になるのだが、彼女らは女の感性をフルに生かして、自分を支えてくれる男が何を考えているかを探る。そして、その探った結果を元にして、先駆けして大胆に振る舞い、歓心を買う。それが、寵愛競争に勝つ方法になる。

 国を仕切るようなポストに女の人が就いた場合には、そのような競争を勝ち上がったと考えていい。それゆえ、そのような女性のすることは過激であり、ルールがないがしろにされ、手段を選ぼうとせず、時としてこれ以上ないくらいに残酷になる。

 上川陽子を例にとって説明してみよう。上川陽子は法務大臣をしていたときに、オウム真理教の死刑囚全員(13人)の死刑執行にサインをした。2018年7月のことだった。上川陽子が法律に違反したわけではなく、道徳的に問題があるのでもない。しかし、死刑の執行にサインをすることを大抵の法務大臣は嫌がる。まして相手がオウム真理教で13人もとなると厄介だ。誰も手を上げなかったのだろう。

 しかし、日本政府にはどうしても死刑を執行したい理由があった。どんな理由かというと、これは単なる私の勘繰り、想像でしかないが、その後に予定されている新型コロナ騒動、そしてワクチン接種によって、国が多数の日本人を死に追いやる可能性があると分かっていたためだ。

 そうなってから、オウム真理教の死刑を執行したのでは、世間の抵抗・非難を招くと判断したのだろう。私のように、 "ワクチン接種による殺人はオウム真理教よりも悪質だ" なんて言い出す者が出てくるからね。

 そのため、新型コロナ騒動が持ち上がる前に死刑執行を済ませておく必要があった。そこでどこかの黒幕の意向を受けて手を上げたのが上川陽子だったのだろう。以上はあくまで想像上の話だが、政治の世界で優れた女性、有能な女性、社会の脚光を浴びる女性、華々しく活躍する女性にはそのような面があると考えていいように私は思っている。そして、上川陽子は渡辺惣樹氏の指摘するように、現在日本の外務大臣として、世界の平和を乱すために活躍中だ。

 そのような様子を見ると、女性が社会的な戦い、競争、勝負といったものに向いていないことを示している。男はある意味生まれながらの兵士であり、戦うための本能が備わっている。そのため、男の戦いにはルールがあり、手段も定められる。ちょうど狼が腹を見せた段階で、敵の狼がそれ以上攻撃をできなくなるようなものだ。

 もちろん、全ての男がそうであるとまではいえず例外もある。例えば、ビル・ゲイツのように女の腐ったような者が現われると、ルールも手段もわきまえない金儲けを始めて、世界を混乱に陥れる。ただし、それはあくまでも例外であって、女の人がともすれば陥りがちなルールのない世界とは違っている。

 さて、バイデン政権は全くの恥知らず政権であり、それは神に逆らうからだ。信仰もしていない私が神を持ち出すのはおかしいが、一般的的に使われる言葉だと自然に逆らうということになるだろう。植物が緑色であることには理由がある。人間に男と女があるのには理由がある。人間が病気にかかるのには理由がある。ユダヤ人が嫌われるのにも理由がある。

 アメリカバイデン政権はそのようなことを一切無視する。無視した上で、全てを同一色に染め上げようとする。全部まぜこぜにして、特徴のなくなった灰色のものを提示して、これで効率が良くなっただろう、管理しやすくなっただろう、儲かるだろうなどと言い始める。

 しかし、自然に逆らって、つまり、神に逆らって事を為そうとしたところでうまくいくはずもない。今のアメリカは世界中から不評を買っている。それがある意味BRICS等の結束を強めていることを考えると、来期もバイデンに継続してほしいような気もするが、水戸黄門ではないけれど「助さん、格さん、もういいでしょう」というところかな。

 と、いろいろ書いてみたけれど、あれこれ言ってはみても、全体としての日本女性は賢いのではないかと私は期待している。ワクチンを除けば、それほど国に騙されているようでもない。男のように特攻隊で死ぬような、あるいは死なせるような馬鹿な真似を女の人はしないからね。政府が何と言おうがしっかり自分の損得を考えるのが女性というものだ。

 しかし、女性の中にはビクトリア・ヌーランド、ヒラリー・クリントン、ナンシー・
ペロシ、小池百合子、上川陽子のように、寵愛を勝ち得て暴走する人間も出てくるわけで、そのような罠にかからないように賢く生きていくことが必要とされる。誤った道を選択すると、自分をも満足させることのできない女の一生になってしまう。