なんだか頭の中が煮詰まってきたので、今日は茶飲み話に避難させていただきます。(^^;)

 いやあ、ここ小樽は雪がたくさん積もりました。これを書いているのは9日の午後7時半ですが、現在の積雪深は82cm。昨日と今日はほとんど降らなかったのですが、一昨日の7日にどっさり降りました。積雪深が19cmだったものが一挙に84cmにまでなりました。

 豪雪の日に家の中から外を見ていると、空が本気になったような気がします。一心不乱に雪を降らせ続けます。空に占める雪の密度が濃いのですよね。

 お陰様で、年末年始は穏やかな日が続きました。雪があまり降らず、気温もそれほど低くなく、風も弱く。ただし、その調子でいつまでも過ぎるわけがなく、こうしてドカッと雪に降られると「やっぱりな」と感じます。

 幸いなことにマンション暮らしをしていますから、雪がいくらたくさん降っても支障はありません。車も自走式の立体駐車場に入っているので、どんな大雪でもスッと出すことができます。

 ただし、やっぱり雪がたくさん降ると精神的には重い感じがしてきます。 "閉じこめられた感" みたいなものを持ってしまうのかな。関東で4年ほど暮らしたことがありますが楽でしたねえ。家の中は北海道よりも寒いくらいでしたが、冬なのにいつでも気軽に外に出ることができるという気持ちの軽さはとっても快適でした。

 北海道では吹雪くなどすると、のんきに外に出ていこうものなら行き倒れになるという不安を感じてしまいます。それが気の重さにつながるのかもしれません。子供の頃は無邪気なもので、寒くなろうが雪が降ろうがちっとも苦痛ではありませんでした。むしろ雪が積もると嬉しかったりして。

 「犬は喜び 庭駆け回り 猫はこたつで丸くなる」は北海道の子供と大人にそのまま当てはまります。

 そういえば、北海道にはこたつがありません。多分寒すぎるのでこたつは意味をなさないのだと思います。今の住宅にはきちんと断熱材が入るようになりましたのでこたつでもいいのかもしれませんが、昔の家は断熱なんてしていませんでした。そのせいで寒いったら寒いったら。

 まるで冷凍庫の中で暮らしているようなものでした。寝る前にストーブの上で煮えたぎっていた薬缶の中のお湯が、朝起きるとカチンカチンに全部凍っていたものです。居間が氷点下20℃くらいになっていたのでしょう。布団の襟元も自分の吐く息で、朝になると霜が降りたようになります。

 ストーブは石炭を燃やしていましたが、鉄の部分が熱で真っ赤に焼けていました。どこの家にも石炭庫があって、毎年秋になるとトン単位で石炭を買って保管してありました。燃えた石炭殻を家の外に捨てて、石炭庫から新しい石炭を運んでくることは、小学生も高学年になると子供の仕事でした。

 それに比べると、今の暮らしの快適なこと。何もする必要がありません。長生きするはずです。コロナ用ワクチンを接種する前までは、日本人の平均寿命はわずかずつですが延びていました。出産後の母子と、死にそうな老人に関しては医療が効果を発揮しているのですが、それ以外に関しては、生活環境が改善された影響が大きいようです。

 夏冬を通して室内が適温であること、上下水道の完備、風呂やトイレの充実、栄養の偏らない食事、ぐっすり眠れる寝具、適度な趣味や楽しみといったものが人間の寿命を延ばすようです。医者や薬が健康な生活に貢献している部分はほとんどありません。薬は基本的には毒であり、ワクチンは有害であり、医者は薮です。例外を除いて。

 年末に「かい巻き布団」(別名丹前)を購入しました。多分北海道では丹前(たんぜん)と呼ぶのが一般的。これがとっても調子がいいです。おそらく、子供の頃から使い慣れていたせいですね。ちゃんと使いこなしを憶えているみたい。

 長所は何といっても首や肩が冷えないこと。かい巻き布団は何年か前まで使っていたのですが、古くなったからと捨ててしまいました。そして、昨年末に風邪を引いて以来また使い始めたわけです。使い始めて気がついたことは、ネックウォーマーが不要になったこと。つまり、かい巻き布団とネックウォーマーは私にとってどちらか一つが必要という関係にあるみたいです。

 北海道では丹前(たんぜん)と呼ぶのでネットで調べてみると、「丹前風呂に通う町奴などの風俗。丹前風。丹前姿。また、その姿をした者。」となっています。では、「丹前風呂」とは何かというと「江戸初期、・・・容色のすぐれた湯女 (ゆな) を置いて、遊客を誘い、繁盛したという。」(デジタル大辞泉)

 ふ〜ん。意外に色っぽい話が飛び出してきました。昔々の若いお兄さんたちは、丹前を着込んできれいなお姉さんのいた風呂に通ったということかア。少しあやかりたいな。今日の夢ででも。アハハ (;´o`)

 歩くことは私にとって長年の課題になっていて、今でも試行錯誤が続いています。特に不自由を感じることはないのですが、歩いていてどこかおかしいと感じるのが理由になります。うまく歩けている気がしなくて、不全感がつきまといます。

 そのために、ジョギングに精を出したこともありまして、終いにはフルマラソンにも1回だけ挑戦しました。毎週末に20km走ってみたり、毎朝5km走ってみたり。でもそのようなことでは解決しませんでした。筋力の問題ではなく、歩き方の問題だったようです。

 このブログのコメントで、「足の親指と人差し指に輪ゴムをクロスして掛けるといい」というヒントもいただいて試してみました。その頃から少しずつ良くなってきたようです。最近気をつけているのは、歩くときに膝から足を出すということ。結局のところは腿を上げて歩くということなのですが、腿を上げろといわれても上がるものではないですね。ところが膝を前、あるいは「前方やや上に出す」ように意識すると比較的スムーズです。

 しかし面白いですねえ、うまく歩けなくなるなんて。これは老化という一言で済ませられるものではなくて、バランスの崩れのような気がしています。筋力、俊敏さ、基礎代謝、体重などいろいろなものが変化してきて、若いときと同じ感覚ではうまく歩けなくなるように思います。私の場合、走ることはできても上手く歩けないという感覚だったのでこのような解釈になります。

 結局、赤ちゃんのように、一から歩き方を憶えないとダメみたい。それで自分の体のバランスにあった歩き方を見つけるということかな。長距離歩けばいい、長時間歩いて訓練すればいいという問題ではなく、歩く方法の問題になります。

 山本太郎(れいわ新撰組)が能登半島地震の被災地に行ったことで、一部から批判されているようです。ここでも愚かな愚かな日本人が顔をのぞかせていますね。相変わらず日本政府の言うことはアッパラパーだし。「政府や県は救助、救援に支障が生じるとして、能登方面への移動を控えるよう呼び掛けている。」(2024.1.9 JIJI.COM)のだそうです。(゚゚;)エエッ

 東京者だから災害を経験したことがないのでしょうか。そうかもしれないなあ。応援に来た者に対して「邪魔だから何もせんでそこに立っておれ」ということはあるかもしれません。しかし、応援に駆けつけてくれたその心意気には感謝したいというのが被災者の気持ちでしょう。一緒にカレーを食べてくれるなど、ありがたくて仕方がない。食料が不足しているのでない限り。

 被災者の心情の第一は「不安」あるいは「心細さ」です。何が起きたのか、自分はこれからどうなってしまうのか、生きるのか死ぬのか、身内や仲間はどうなった、そんな不安でさいなまされています。そこを被災地以外の元気な人が掛けつけて励ましてやることで、被災者は元気を分けてもらったような気持ちになれます。政治家でも、専門家でも、救助隊でも、ボランティアでも、できるだけ多くの人が駆けつけきてほしいと思っています。ただし、あくまで自己責任で。つまり、駆けつけたことで事故などに巻き込まれても責任は持てないですから、甘い気持ちでは困るということですね。

 それに、政治家や専門家が現場に行って実際に見て確認するということは、「イロハのイ」ともいうべき鉄則であるはずです。子供の頃サンダーバード(国際救助隊)というテレビ番組を見たことがないのかなあ。まずは足の速いサンダーバード1号が駆けつけて現場の状況を本部に伝えますよね。災害救助はそこから始まります。これは専門家でなくても分かる常識になります。

 それを無視して岸田総理は、テレビ番組に出演して余計なことを言って笑い、新年会に出ては笑いしていました。このズレまくった感覚、誰か「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ」と言ってやってほしいですね。

 まさか、15分都市を先取りしているということではないのでしょうね。一定の区域から外に出てはいけない? あるいは、原子力発電所が危険な状態にあって、危ないから近寄るなということなの? あまりにズレたことをされると、余計なことまで疑わざるを得ないですよね。災害対策一つとっても、岸田内閣の能力の低さ、あるいは狂いが露呈していますね。今まで何をして生きてきたのだろうとさえ思ってしまいます。

 いずれにしても、何かおかしい。一刻も早く駆けつけて、一刻も早く助けるというのが災害対応、災害救助の基本だと思いますけど、また何か良からぬことを考えていますね。まさかあの駐日アメリカ大使、ホモ丿・エマニュエルでしたっけ? にまた操られているんじゃないでしょうね・・・・あり得るな岸田総理なら。
(≧o≦;)