新型コロナ騒動が勃発して以降、私は日本人に幻滅し続けている。そのあまりのひどさ、愚かさに "百年の恋も冷める" 状態だ。

 日本の安倍、菅、岸田という総理大臣を先頭にして、優秀と思われていた官僚、医者、さらにはマスメディアや財界までも一斉に誤った方向へと突っ走り始めた。ロシア・ウクライナ紛争でも同様の失態で、まるで大東亜戦争(負け戦)の再来だ。

 新型コロナ用ワクチンでは、日本はいつの間にか接種率世界一の国になってしまった。つまり、日本人は世界一愚かな民族であると証明されたようなものだ。

 少し前、ダイハツの不正が表面化し、全車種が出荷停止になっていると報道された。その不正の中には安全性試験で不正をしたことも含まれていた。では新型コロナ用ワクチンはどうだろうか。誰一人、ワクチンの安全性を確かめた者はいない。それでいながら、国を挙げてワクチン接種が推奨された。

 その結果はどうなっただろうか。日本人がバタバタと死んでしまった。厚生労働省に報告があっただけでその数は2,000名を超えた。暗数を含めると実際には30万人程度亡くなっていると私は推測している。

 ワクチン接種が始まる前、日本人の平均寿命は毎年少しずつ延びていたのだが、ワクチン接種が行われた2021年、2022年は、日本人の平均寿命が短くなった。1億2500万人もいる日本人の平均寿命が短くなったというのだから、これはジェノサイド的な殺戮が行われたと考えていいだろう。

 それにしても、安全性試験が行われていないワクチンを接種しようと、我も我もと押しかけた日本人の愚かさをどのように理解したらいいだろうか。私はそのことを継続して考え続けている。だってそうでしょ? 安全性の確認されていない飛行機に乗ろうと思いますか? 安全性の確認されていないパンを買って食べようと思いますか? 安全性の確認されていない車に乗ろうと思いますか?

 なぜ、ワクチンに限っては安全性の確認されていないものを、自分の体内に入れようと思えるのだろうか。摩訶不思議としか言いようがない。少し考えれば、中学生にも分かることではないだろうか。

 しかも、新型コロナは単なる風邪だ。平均的な健康状態の者であれば、風邪など安静にしているだけで自然と治る。私は新型コロナ騒動が始まって以降、新型コロナでどれくらいの被害が出るのかについて注目していた。最初に緊急事態宣言が出された2020年に、日本の全死亡者数は2019年よりも減少した。

 国を挙げて「大変だ、大変だ」と大騒ぎした感染症、緊急事態宣言まで発出された感染症が流行した年に、日本の死亡者数は減少したのである。お分かりになるだろうか。新型コロナがいかに無害な感染症であるかを。

 そしてまた、新型コロナ用ワクチンが打たれるようになってからは、平均寿命が短くなるほど日本人の死亡者が激増するようになった。これについてもお分かりになるだろうか。ワクチンがいかに危険な、人々を死に追いやるものであるかを。

 少し考えれば分かるようなことが日本人には分からない。分かろうとしない。その理由についてはこれまでもいろいろ考えてみた。ある種の信仰なのだろうか、同調圧力なのだろうか、いじめ社会のせいだろうか、独裁政治ということだろうか、流行なのだろうか、マインド・コントロールなのだろうか、集団ヒステリーなのだろうか、民度や知能が低いのだろうか、奴隷根性のせいなのだろうか、などなど。

 そして、今回は、日本人は思考回路が貧弱であり、あるかないか分からない程度の思考回路しか持っていないという面から検討してみたい。

 日本は江戸時代までは基本的に中国文明の支配下、影響下にあったと考えられる。西欧文明が日本に流入したのは明治維新からであり、そこで中国文明を捨てて西欧文明に乗り換えた。とはいえ、明治維新以降まだわずか150年余しか経過していない。いくら頑張って背広を着て椅子に座ってみたところで、所詮は借り物でしかない。

 中国といえば科挙が思い浮かぶ。人材登用としての試験制度であり、合格者はエリートとしての身分が保証される。科挙の試験に合格するのは、応募者が多すぎて大変な難関であり、そういう意味ではこれ以上ないくらいのできのいい人材を登用することができた。

 しかし、試験制度というのは大変な欠点がある。というのも、試験にいい点数をとることと、実際の仕事で成果を挙げられることとは無関係だからだ。そのことは例えば日本の霞が関にいる高級官僚を、全部東大卒にしたらどうなるかを考えるとよく分かる。日本は破綻してしまうだろう。

 どのような試験であれ、良い点数をとるということは机上の空論に長けているということであって、その人が実務上で使い物になる保証はない。その反対に、高等小学校卒で総理大臣まで上り詰めたのが田中角栄だった。学もなければ教養もなく、人格的に見ても欠陥が多かったが、実務センスは抜群で東大卒は足下にも及ばなかった。

 昔からいわれていることだけれども、試験というものは問題を人が作って与えるものであり、正解や模範解答のようなものも存在する。要するに、出題者のお眼鏡にかなうかどうかがポイントになる。そこに主体性は必要がなく、受動的で指示待ちであり、自分で考える必要はどこにもない。

 しかし、世の中は正解や模範解答のあることばかりではない。予期せぬこと、つまり想定外のことがたくさん起きる。あるいは、誰も経験したことのないことが起きる。そうなったときに知識や理屈は通用しない。直感的な判断力が全てになる。そこで、力量のある人間と、口先だけでしかない人間が区別される。

 試験制度を重視し、点数のいい者を優遇した中国はその点で間違っていた。そして、中国文明の影響下にあった日本も同じ間違いを犯した。試験制度を始め、学閥、門閥、藩閥、コネなどによって、誰かのお気に入りになれるかどうか、ひいきにしてもらえるかどうかが物を言う社会にしてしまった。

 それはそれで一つの社会のあり方であるけれども、そんな社会で暮らしていると、人間には考える力、思考力がなくなってしまう。それは中国を見ていてもよく分かる。中国は多弁な国であり、何かにつけて大言壮語するけれども、誰もそれを本気にはしていない。おそらく、当の中国人も本気ではないのだろう。

 しかも実態がどこにあるのか誰も分からない。中国は新型コロナに対してどのように対応しようとしたのか、アメリカとは仲がいいのか悪いのか、ロシアとは仲がいいのか悪いのか、一帯一路はどこまで本気なのか、大変に分かりにくい。

 全体としての中国を見ていると、基本方針というか、一貫した政策というか、基本原則というか、そのようなものに欠けている。権力者がいて、その周りをできの良い優等生で固めて、あとは風の吹くまま気の向くまま、その時々の状況でどうにでもなるという国が中国に見える。

 中国で権力者の周りの優等生には思想・信条は求められない。斬新な発想力や強力な課題解決力も求められない。それどころか、そのような者は権力者にとって脅威であり、排除されてしまう。必要とされるのは、もっぱら従順で気が利き、教養が豊かで体力もあるという、 "スーパー秘書" のような使い勝手のいい者たちだ。

 一方、欧米はどうだろうか。欧米も試験制度はあるが中国ほどに重きは置かれない。そして、欧米は実績主義だ。この東洋と西洋の違いは大きい。中国や日本は何かを行う前に試験をしてその人間の価値を判断しようとする。一方、西洋は実際にやらせてみて成果を挙げた者に高い評価を与える。

 実務を与えられて、それをうまくこなせと指示された場合人間は考える。工夫する。自分のやり方次第で売り上げや儲けなどが変わるからだ。あるいは、成功失敗が分かれてくるからだ。しかし、試験でいい成績を上げるためには考える必要はない。それよりも記憶する必要がある。試験問題の傾向と対策を把握し、出題範囲や問題の解き方などを頭に入れなくてはならない。その代わり考え、判断する力は必要がない。

 日本や中国には博識な者が多い。学歴が高ければ高いほど、試験に強ければ強いほど、実にたくさんの知識を身に付けている。しかし、特にコンピュータの発達してきた現代では、それはあまり必要のない能力になってきた。

 なぜなら、誰でもコンピュータでデータベースを検索できるようになり、必要なことを簡単に知ることができるからだ。昔なら大きな図書館に出かけていって、専門書を何冊も開いて調べなければならなかったことが、今ではスマホから検索すれば大抵のことは調べられるようになってきた。

 ということは、日本や中国で高い評価を受けてきたような人間は、もう必要性があまりなくなってきたことになる。試験の点数がいい者は使い道がなくなってきた。

 一方、実務上で成果を挙げられる人間は、コンピュータでは置き換えることができない。思考力や判断力はAIの出現した現在でも、コンピュータは人間の足下にも及ばない。新たな発見や発明もほとんどできない。事業の拡大もできない。コンピュータが発達すればするほど、人間は知識を必要とされることがなくなり、その代わりに考える力や判断する力が求められるようになってきた。

 この点日本人は大変にお粗末だ。あまりにも考える力、判断する力に欠けている。それは、冒頭に書いたように、日本人が危険なワクチンを世界一接種したことが何よりの証拠になる。少し考えれば分かることなのに、日本人には分からない。

 日本の支配層や上層部にしたところで同じことで、やはり、少し考えれば分かるようなことが理解できない。「ワクチンや薬やサプリなどで人間の健康を作ることはできない」という、きわめて当然のことを理解したり判断したりする思考力に欠けている。専門家であるはずの医師の多くがそんな簡単なことも理解できていない。ウクライナがロシアに勝てるはずなどないという、きわめて当然のことを理解したり判断したりする思考力にも欠けている。プロの政治家でさえ理解していない者がほとんどだ。

 おまけに、現段階でここまでみじめな失敗をしておきながらも、最初に立てた計画を変えようとせず、どこまでも間違った方向に突き進もうとする。負け戦だった大東亜戦争でも同じだった。状況を見て考え、判断し、善後策に移るだけの思考力がない。一度方針を立てたら滅びるまで何も考えずに猪突猛進となる。

 新型コロナ用ワクチンにしても、ロシア・ウクライナ紛争にしても、日本の政策は誰から見ても大失敗だったことは十分すぎるくらい理解可能な状況にある。それだけではない。日本の経済政策も大失敗だったことがすでに判明している。

 一刻も早く、政策を変えなければならないのだけれども、今の日本では総理大臣を含めて、政治家も、財界も、官僚も、医者も、マスメディアも、「今だけ 金だけ 自分だけ」であり、不正をしながら私腹を肥やすことにしか興味がない。これについても、そんなことをしていて日本という国がどうなるのか、少し考えれば分かりそうなことだけれども、貧弱な思考回路しか持っていない日本人には、総理大臣を含めて理解が及ばない。

 

 日本は明治維新以降、継続して西欧にやられっぱなしで現在に至る。そこにはアジアの試験制度と西欧の実績主義という人材登用方法の違いが背景にある。資格等を取得してしまえば考える必要のない試験制度社会と、いつも自分の頭で考え続けなければならない実績主義社会の優劣の結果だろう。日本の中でも特に政治は劣悪であるけれども、それも世襲という、試験制度以上に考えることを要求されないシステムが影響している。日本が強かったのは戦国時代までだった。戦国時代は一から十まで実績主義だったから。

 

 世襲は、試験制度以上に劣悪なシステムになる。日本の政界は、”馬鹿トノ” と ”馬鹿ヒメ” でその多くが占められてしまった。適正な判断ができないだけでなく、裏金が横行する、つまり賄賂が横行するようなすっかり腐り切った世界になった。かつては中国のことを "袖の下社会" であると笑いものにしていた日本が、今ではすっかり袖の下社会、裏金社会、賄賂社会という腐敗した国になった。

 

 現在の日本は国難に直面しているといっていいように思う。ワクチンでは人がどんどん死に続けているのに、一向に改めようとする気配を見せない。それどころか、日本だけがより危険なワクチンの開発を進めて国民に打ち込もうとしている。ロシア・ウクライナ紛争では、日本はいつになったらウクライナの負けを認めるのだろうか。いやそれどころか、アメリカに日本からパトリオットミサイルを輸出するのだという。ロシアに宣戦布告でもするつもりだろうか。また戦争を始めたいのだろうか。

 経済政策も、アベノミクスの大失敗を改めようとするどころか、増税をして景気を悪化させることが基本方針になっている。それに加えて岸田総理は、日本人の預貯金を海外にばらまくことにも熱心になっている。日本人を貧乏にすることに猪突猛進している。一体どうしようというのだろうか。少しは考えたらどうだろうか。

 もう少しものの考えられる人間が日本に現われないことには、このままでは日本が滅びてしまう。