今(21日22時)の小樽は雪がしんしんと降っている。積雪が18cm。これが来年の2月下旬頃には積雪130cmくらいになる。平地で完全に解けるのが3月下旬くらいかな。熊じゃないけれども、それまでの間はどうしても冬ごもりという気分になる。

 私にとっては嬉しい季節ではないから、せめて早く2月になってほしいと思う。2月に入ると北海道でも日差しが少し強くなったことを実感できる。雪は深くても、そうなればこっちのものという気分になれる。

 12月は今の日本のようなもので、だんだん沈没していくイメージ。1月はとにかく厳しい。中旬から下旬にかけて、交通網が麻痺することも珍しくない。家の中は、北海道は関東などと比べると温かいけれども、外の景色と外気温の低さはいかんともしがたい。室内が同じ20℃であっても、外気温が10℃の時の室内20℃と、外気温がマイナス10℃の時の室内20℃とでは温かさが全然違う。

 お陰様で、私の風邪の方は完治したよう。もう何の違和感もない。こういうときだけ健康のありがたみをつくづくと感じる。今日一つ面白いことに気がついたかもしれない。それは、朝食と体感温度との関係。

 私はたいてい朝食を満足に摂らない。おにぎり1個とか、トーストとか、それにコーヒを飲む程度。それから夕食までは何も食べない。もう10年も20年もその調子なのだけれども(完全に朝昼抜きのときも10年以上あった)、今年はなぜかひどく寒かった。室内気温は大体いつも20℃だから、私の体の方が変化していることになる。

 今日はたまたま豚肉の薄切りをタレに漬け込んであって、10時半頃かな、どんなものかと味見をした。おいしかったので調子に乗って100gくらい食べたかな。その後薄いコーヒーを飲んだ。そうしたら不思議不思議、今日は体が寒くない。今もどちらかというとポカポカしている。

 こんなんで温かくなるのであれば、毎日午前中に肉を100g食べようかと思う。考えてみれば、全ての動物は北へ行けば行くほど、大きくデブチンになる。熊など好例。月の輪熊は小さいけれど、北海道のヒグマはずっと大きい。白熊になると巨大。

 どうも人間を見ていてもそのような傾向があって、北海道の人は本州の人と比べると太っている。寒さ対策としてたくさん食べるせいではないかと思う。でも、考えてみるとハワイでは太って大きな人がいたなあ。私の考え方ではうまく説明ができない。ひょっとしてハワイって寒いのだろうか。まさか。

 最近YouTubeで見るようになった人に、「日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき)」という人がいる。「そうきチャンネル」で動画を公開していて、最新の動画は「『ハマステロ事前察知?』・謎の大量「空売り」戦」(2023.12.20)というもの。

 この人の動画を見ると、私は「ああ、ちょうどいい」と感じる。何がちょうどいいかといえば、言い過ぎず、言わなさ過ぎずというところだろうか。いろいろな人の動画を視聴していると、どうしても「これは少し言い過ぎているな」と感じることがある。その反対に、「こんなにボカシてしまっては、何を言っているか分からない」という場合も少なくない。物事をちょうどよく言うのはなかなか難しい。

 その点、渡辺惣樹氏は、言いすぎず、ボカシ過ぎずの頃合いを知っているようで、聞いていて抵抗を感じることが少ない。さらに、言い過ぎかボカシ過ぎか以前の問題として、私が聞いて賛同できる内容であることが大変に多い。ごく自然な主張、自然な見解であるかのように聞こえる。

 欠点はインパクトに欠けるというか、印象が薄いと感じるところだろうか。しかし、大変に印象深い物言いをする人が、往々にして中身が希薄であることには注意しなければならない。例えば誰かな。ドラえもんじゃなくて、○○えもんみたいな。その点渡辺惣樹氏は安心して話を聞いていられるような気がしている。

 その渡辺惣樹氏の略歴はあまりはっきりしない。1954年生まれというから69歳。静岡県下田市出身。1977年(昭和52年)、東京大学経済学部卒業。日本専売公社に勤務。1982年(昭和57年)、カナダに移住する。ソーワトレーディング代表を務める。とりあえずYouTubeに書いてあるのはその程度。

 ところで、私自身は英語を含めて外国語はちんぷんかんぷんだし、海外に行ったことも新婚旅行の時に1回だけだし、日本での生活においても日本人以外と接することは全くない。それでありながら、話を聞いて共感するのは、この渡辺惣樹氏のように海外で生活しているとか、海外での生活経験が長いとか、外国語の情報源に常日ごろ接しているとか、そういう人が多い。

 純日本人の話は、枝葉が多すぎるような気がする。そして、本筋が見えない。結論がないというか、どうしたいのかも見えない。たまに、岸田総理のように、「増税」、「軍備増強」、「戦争」と、自分のやりたいことをはっきり打ち出す人もいるけれど、そういう人は言わない方がマシということしか言おうとしない。お粗末この上ない。

 「なるほどよく考えた、そういう方法もあるかもしれない」というようなことを日本人は言えない。全部が利権に縛られているせいかな。誰も本気で考えようとせず、仮に真面目に考えて優れたアイディアが提供されたとしても、余計なことを言うなと利権側に潰されてしまう。この流れを断ち切らないことには、日本はこのまま衰退途上国路線をひた走ることになってしまうが、利権側に考えを改めようとする気持ちは皆無だ。経団連会長をはじめ、自分たちの懐を肥やすことばかりを考え、誰も日本のことを考えようとしない。

 

 今大騒ぎになっている、政治家の裏金問題も要するに「今だけ 金だけ 自分だけ」ということだし、そういえばダイハツの欠陥車騒ぎも同じことだね。軽自動車なんて、燃費偽装問題が騒がれたのはついこの間のような気がするけれど、自分たちの姿勢を正そうとするつもりなど全くなかったことが分かる。日本が経済発展しないというけれども、日本人が今のような姿勢である限り発展などするはずがない。それぞれが不正をしてでも自分だけうまいことをしようとしているのだから。ずいぶんひどい国になってしまったものだ。

 

 YouTube動画を見ているうちに、「スローなブギにしてくれ」というのに行き当たった。映画と曲は1981年(昭和56年)。私はこの頃の記憶があまりない。何しろ、結婚をするのに忙しかったから。つまり、私は昭和56年から横道にそれたということか。ハハ。

 今、この動画を見ていると、何から何までそこに昭和があると感じる。「そうそう、私はこういう世界で大きくなり、こういう世界で生きてきた」という思いがする。何だろうねえ、この独特の情緒的な世界は。

 最近の世の中には、情緒が無くなっているような気がする。人はもちろんそうだけれども、建物などの人造物からも情緒的なものを取り除いていっているような。アメリカナイズってそういうことなのかな。情緒はおしゃれじゃないから?

 本来の自然な情緒が取り除かれている一方で、コロナ怖いとか、ウクライナかわいそうなどという、金儲けのために作られた情緒に人々が簡単に乗せられてしまうというか、洗脳されるというか。LGBT推進法などというのもその手のものだよね。

 情緒的ではなくなったように見えるけれど、実は原始的で単純な情緒しか持つことが許されなくなってきたということかな。要するに官製情緒だね。つまらない世の中になってきたものだ。岸田総理お勧めのグレートリセット、そしてその後の世界というのも、官が一人一人の情緒をコントロールしようとするものなんだろうなあ。これ以上ない基本的人権の侵害であるように思うな。ていうか、人を人とも思わぬ所業だよね。

※来客中につき、次回お休みします。よろしくお願いします。