わが家にテレビがやってきたのは、確か私が6歳の頃だった。以後現在までの60数年間、私はアメリカのプロパガンダにさらされて生きてきた。アメリカ制作のテレビドラマが、吹き替えという手法によってそのまま日本のお茶の間で数多く放送されたのが、日本の初期のテレビ放送だった。

 考えてみれば、アメリカ人が日本語を話しているのだから不自然きわまりないが、それにさしたる違和感もなく、アメリカ製ドラマを楽しんでいた。おそらく最初は「名犬ラッシー」くらいからだったように思う。

 「コンバット」というアメリカ軍がドイツ軍相手に戦うドラマではサンダース軍曹を応援し、西部劇では凶暴で残酷なアメリカインディアンを次々と殺しまくる正義のガンマンたちに声援を送ったものだ。

 そこまで図々しいアメリカだったが、さすがに、日本軍を相手にして戦うドラマは放映されなかった。おそらく、そのようなドラマもあっただろうが、いくらアメリカが無神経とはいえ、そこまで日本人を馬鹿にして反発されることが心配だったのだろう。

 しかし、アメリカのテレビドラマが常時放送されていても、当時の日本の大人たちは何も言わなかったように思う。自分たちは負けたのだから、何も言う資格はないと自粛していたのか、あきらめていたのか、そんなところなのだろう。すっかり去勢されていたわけで、気の毒といえば気の毒、情けないといえば情けなかった。

 その後も、挙げれば切りのないくらいたくさんのアメリカ製ドラマに親しんで私は大人になった。アメリカのドラマは何がそんなに面白かったのだろうか。答えは簡単で、アメリカの豊かさがドラマを通じて日本人に伝わってきた。それが西部劇であったとしても、舞台設定の豪華さ、ドラマスケールの大きさなど、日本では真似できないものばかりだった。

 まして、現代ドラマともなれば、立派で広い家、芝生の庭、場合によってはプール、広い台所に四つ口コンロ、オーブン、冷蔵庫、デラックスで大きな車、ハイセンスなドレスと美人の奥さん、着飾った紳士淑女とおいしそうな料理のホームパーティなどなど、貧しい生活をしていた日本人にとってはいずれも別世界だった。

 当時のアメリカは圧倒的に世界一の国だった。昭和20年代には世界のGDPの50%がアメリカだったという。世界は、「アメリカとその他多くの国」という構成だった。そして、それを裏付けるかのように、テレビや映画を通してアメリカ文化が世界に広がった。アメリカさえ存在していれば、他の国は不要であるといってもいいくらいだった。

 世界の覇権というものは、一部の識者が勘違いしているのとは違い、軍事力で決定されるものではない。現在でも、軍事力の比較を行えばアメリカが絶対優位になるはずだが、今アメリカを尊重する国は世界で日本くらいしかない。あとはせいぜいドイツかな。どちらも負け犬根性から抜け出せない国だ。

 では、なぜアメリカは軍事力でNo.1を誇りながら、かつてのような圧倒的な世界覇権を失ったのだろうか。その答えは、「文化的な優位性」を失ったことにある。そう、アメリカはかつてのように圧倒的に豊かな国ではなくなっている。というか、日本を始めとする世界の主要国も、それなりに豊かになったせいで、アメリカの豊かさが目立たなくなった。

 今アメリカ映画を見ても、そりゃ日本にないくらいの豪華な屋敷が出てくることもある。しかし、それを見せられてもちっともうらやましくない。なぜなら、こんな日本の片田舎に住む年金暮らしの老人である私でさえも、取り立てて不便だったり、栄養が不足していたり、不潔な生活を強いられてはおらず、贅沢はできないものの必要な物は得られているからだ。

 おまけに、アメリカは豊かさを取り除けば、特別見るべきもののない国だ。精神性が単純・幼稚であり、底が浅いというか、面白みがないというか、精神の深い部分に感動を与えられるほどの哲学や芸術性を持たない国だ。

 アメリカは豊かさ、つまり金の力で自分たちの優位性を誇ってきたものの、それが珍しいことではなくなってしまうと、文化的な力を失ったというか、逆にアメリカの精神文化のお粗末さが鼻を突くようにさえなってきた。アメリカ人は全員が「田舎のプレスリー」と化したと考えていいだろう。

 アメリカご自慢の "ウォーク(Woke )" は駐日アメリカ大使が先頭切って旗振りをする気の狂いようだが、「田舎のプレスリー」の称号を進呈したいくらいだ。卑しい生まれであること、気品に欠如していることなどを、もはやアメリカ人は隠すことができなくなった。焦れば焦るほど知性と教養のなさが透けて見えるようになってきたのだが、そのことに対する幾分かの自覚さえない。

 文化的に遅れてしまっては、いくら軍事力で頑張ろうが、経済力で相手を打ち負かそうが、勝ち目はない。教養の低い金持ちは誰からも尊敬されない。教養の低い武闘家も軽蔑されるばかりだ。金や力を裏打ちするものは実は文化であることを人々が理解するいい機会だ。

 実は、低文化にあえいでいる現在のアメリカもそのことを全く理解しないわけではない。何とか自分たちの金や軍事力に文化を乗せようと努力はしている。しかし、当然のことながら、文化が一朝一夕で身に付くはずがない。下賎の者が焦れば焦るほど馬脚を露す。

 その顕著な例が新型コロナ用ワクチンになる。アメリカの高い技術力を用いて、風邪のワクチンを作り、その結果人類の救世主として拍手喝采を浴びる予定だった。しかし、そもそも単なる風邪の特効薬程度に、なぜそこまで力を入れる気になったのか意味不明だった。癌の特効薬というならまだしも。

 その結果も惨憺たるもので、世界を相手にジェノサイドを行ったのと同様のことが生じた。つまり、無差別大量殺戮が行われた。これではアメリカの文化を誇るどころではなく、逆にアメリカの残虐さと文化の低さを証明したようなものに終わった。

 なぜこのようなことになったかといえば、それはアメリカ人の能力の低さと、そのことに対する自覚に乏しいことが影響している。アメリカ人でも、コンピュータの制御くらいはできる。なぜなら、コンピュータは単純な機械だからだ。最近は "AI" がもてはやされているが、AIにしたところで、原理的には単純なものになる。

 そして、その調子で生物に挑戦したのが、今回の新型コロナ用ワクチンになる。生物は、たとえウイルスというような単純なものであっても、その複雑さはコンピュータの遠く及ばないものであり、比較にも何もならない。

 生命は実に複雑なものであって、人間はどんな単純な生命体であっても作り出すことができない。生命がどのようにしてでき上がっているかに対して無知であるせいだ。生命体を作り出すことができないばかりではなく、生命体の真似をすることもできない。例えば、道端にいくらでも生えている雑草。取り除こうと思っても、すぐにまた生えてくる難儀なものだが、では、この雑草が行っている光合成を人間は真似できるだろうか。

 つまり、太陽光と、水と、二酸化炭素と、窒素を用いて、炭水化物やたんぱく質を効率的に供給できるだろうか。もちろんできない。そこらの雑草が何の苦もなく行なっていることを、人間は真似することができないのだ。

 ソクラテスは「無知の知」を持ち出して、自分の優位性を示したようだが、アメリカ人に一番欠けているのが無知の知になる。すっかり増長して舞い上がり、自分が知っていることと知らないこと、できることとできないこととの区別がつかないくらい堕落している。

 というか、生物というものに真摯に向き合ったときに、少し物の分かった人であるならば、それが現在のところ人知を超えた厳かな存在であることに気付かざるを得ないのだが、アメリカ人はそこに気付けるだけに文明化されていない。斧を片手に襲いかかるような野蛮人そのものだ。力任せにぶった切れば思いどおりになると思っている。

 しかし、少し知恵の付いた人間になると、力任せではどうしてもうまくいかないことがあることに気付いている。最近は日本人もそのことを少しは理解してきただろうか。というのも、岸田総理の支持率が激減したからだ。岸田総理は金と権力さえあれば全て自分の思いどおりになると考える人だ。なにしろ「日本で一番権限があるから総理大臣になった」と言った人だからね。

 金と権力さえあれば何でも思いどおりだと考えて、アメリカにすり寄り、ワクチンで多数の日本人を殺した。皆さんもっと怒っていいのだけれどねえ。日本政府が日本国民を殺しまくったのですよ。この意味、理解できますか?

 以上説明してきたけれども、要するに、アメリカは世界の覇権国としての要件を欠くようになった。その一番のものは、アメリカ文化が世界に通用しなくなったことであり、文化の衰退は同時に覇権の衰退になる。そして、今さら付け焼き刃でどうにかなるようなものではない。

 アメリカが衰退することによって、一番問題が大きく表れるのが日本になる。戦後の日本は国策を誤った。なぜかアメリカの属国兼植民地となる道を選択した。独立しようとは考えなかった。アメリカのコバンザメとして生きていこうとするようになった。

 誰がそれを決めたかといえば、戦後の日本政府・自民党政権が一貫してその道を歩いてきた。まずは男として情けない。さらに、アメリカの衰退に伴って徐々に独立・自立への道を歩むかと思えば、逆方向に進み始めている。「中国と戦争をしますから、私を捨てないでください。」と今の自民党はアメリカに言っている。「憲法を改正して戦争のできる国になりますから、私を捨てないでください。」と今の自民党はアメリカに言っている。「ワクチンをもっともっと国民に打たせて殺しますから、私を捨てないでください。」と今の自民党はアメリカに言っている。「LGBT推進法を成立させましたので、私を捨てないでください。」と今の自民党はアメリカに言っている。

 聞くところによると、岸田総理は来春バイデンに呼び出されたそうだ。そういえば、菅前総理も辞任前にバイデンに呼び出されていた。「ミスター・キシダ、お前はミスター・スガ以上に日本人をたくさん殺して、アメリカ発展のために貢献してくれた。礼を言うぞ。余生はのんびり暮らしてくれたまえ。」
とでも言われて、おめおめと帰ってくるのだろう。

 

 後日、ご褒美兼口止め料として、米軍からいくばくかの金塊でも届けられるのだろうか。


ドンマイ!コバンザメくん