私が10代の頃はフランス映画が隆盛を極めていた。「太陽がいっぱい」「男と女」「雨の訪問者」「さらば友よ」「シェルブールの雨傘」「白い恋人たち」、アラン・ドロン、ジャン=ポール・ベルモンド、カトリーヌ・ドヌーブ、ブリジット・バルドーなどなど。音楽も含めてなんとも優美というか、優雅というか。ああいう上品な美しさを求める方向性というのは安心できるし、素直に楽しめるし、老人としては昔は良かったと言いたくなる。

 20代になると、アメリカ映画一色になってくる。超巨大スペクタクル巨編なんてのが売りになって、とにかく派手で、刺激が強くて、巨額の費用をかけて、それを回収するために多くの観客を集めて。映画の内容はといえばアメリカらしくスカスカだったけれども「大きいことはいいことだ」で楽しませてくれた。しかしまあ、映画一つとっても、アメリカ人というのは単純というのか、中味がないというのか、バレバレのような気がする。

 ところが、10年前かもっと前か忘れたけれども、「近頃の若い人は日本映画を見るらしい」ということを知って大変に驚いた。考えてみれば、私の若い頃に日本映画なんてなかったからね。洋画に駆逐されてしまい、かろうじて見ることができたのはヤクザ映画か日活ロマンポルノかそんなところ。

 若い頃フランス映画を楽しんだ私としては、今の日本映画は幼稚すぎるような気がする。そうでないと客が入らないのかなあ。ただし、全部ではないがアニメは面白いと思う。脚本だってなかなかのもの。なぜだろう。アニメと実写映画の格差をなくしてくれればいいと思うけれど、難しいのだろうね。

 いずれにしても、映画の世界では欧米の勢いがすっかり衰えた。そして、これは欧米の文明や文化の衰えとも連動していることを感じさせる。もっといえば、欧米は国力が低下してきている。

 私はアメリカのTVドラマを見て育った世代で、例えば「名犬ラッシー」。立派な家、立派な台所、立派な車、強くて理解のある父、美人で優しい母。いずれも、当時の日本の家庭にはなかったものになる。それだけでも日本人はアメリカに引きつけられた。古き良きアメリカ。憧れの的。

 しかし、現在はアメリカを羨ましいとは思わなくなった。立派な家だけれど、あれを掃除するとなったら大変だろうと思う。そのために人を雇えるのは限られた金持ちだけだろう。立派な車だけれど、燃費も悪いし、アメ車だから故障するだろうと思う。理想的に見える父と母も、今のアメリカならその多くが離婚だろう。貧富の差は激しく、道徳は荒廃し、"意識高い系"なども文化の衰退を思わせる。

 映画やテレビドラマの世界ならいくらでも創作可能なのだから、世界の人たちが見てうらやましくなるような、見習いたいと思うようなものを嘘でもいいから作ればよさそうなものだけれど、存在しないものは作れないようだ。欧米は他国に向けて文化を発信する力を失った。

 現在は、私という一個人から見ても欧米のここが羨ましい、ここを見習いたいと思うところがなくなってしまった。もちろん各国それぞれ長所もあれば短所もあって、全否定するつもりはないけれども、それをいえば日本も同じという程度になった。かつてのように圧倒的に水を開けられている感じがしない。

 政治においても、現在の日本の総理大臣は過去と比べても最悪・最低で、バイデンのポチだけれども、ではそのバイデンは立派な大統領かといえばあまりにもお粗末であり、岸田総理よりマシであるともいえない。悪人である分害が大きいかもしれない。

 そうやって改めて眺めてみると、欧米は、政治でも、経済でも、軍事力でも、技術力でも、文化でも、豊かさでも、道徳でも、すっかり劣化してしまった。いや劣化したというよりも、他国と比較して相対的に優位性を失ったのだろう。

 欧米が地盤沈下してきたのは、欧米以外の国が発展してきたことが原因になる。欧米の製品でほしいと思うものはもうさしてないだろうなあ。日本で最後に売れた欧米製品はiPhoneだろうけれど、そのあまりの価格の高さに私などにとってはもはや非現実的なものになった。つまり、現段階で欧米は世界から必要とされる存在ではなくなったといえる。

 ところが、それでは困るというのが欧米の立場になる。特にアメリカは世界の覇権を握っていると思いこんでいる国であるために始末が悪い。自分たちが支配的な存在でなくなったことを受け入れられない。実力もないくせに格好をつけて空威張りをしようとする。

 欧米の一番欲しがっているものは昔から一貫して"金(カネ)"になる。世界の覇権を握っている証として、自分たちは世界一の裕福で贅沢な暮らしをするべきと考えており、そのためには金が必要になる。しかし、現在の欧米は真面目に働くことで人並み以上の金を稼げる能力を失っている。

 ならばどうするか。3つの選択肢がある。1つ目は、新たな発明なり発見なりによって、他国以上に儲けられる産業を創設すること。2つ目は、犯罪的な手段を用いて、強引に他人の富を略奪すること。3つ目は、そのままズルズルと貧困に落ちていくことになる。

 1960年代を中心としてアメリカが順調に成長していた頃は、第1の方法で国を維持していた。例えば自動車産業、鉄鋼産業、住宅産業、宇宙産業など。このようなときのアメリカは鷹揚で付き合いやすい魅力的な国だった。

 しかし、近年コンピュータ産業の成長が一段落してしまうと、アメリカには売るものがなくなってしまった。そして、それをカバーしようとして犯罪に手を染めるようになり、今のアメリカに至る。人間苦しくなってくると、自殺する者、路上生活者になる者、精神異常になる者などが現れてくるが、中には犯罪者になる者も生じる。アメリカの場合は国そのものが犯罪者になった。

 最近のアメリカの犯罪は、まず4年近く前に新型コロナ騒動を起こし、不良品のワクチンを売りつけるところから始まった。不良品を売りつけるのだから、その儲けは大きい。大昔、イギリスが中国にアヘンを売りつけたのと同じようなものだ。

 次いでアメリカが始めたのが戦争ビジネスになる。アメリカは以前から戦争ビジネスに熱心な残虐な国だったけれども、騙しも騙し、ペテンもペテン、詐欺も詐欺というロシア・ウクライナ紛争を始めた。もちろん詐欺だけで終わらせるつもりはなく、ロシアという国ごと強奪することが最終目標だった。

 しかし、アメリカにとっては残念なことに、他の国にとっては幸いなことに、計画はものの見事に失敗に終わった。アメリカは振り上げた拳の行き場に困り、急遽イスラエルでの戦争に変更した。そんなやっつけ仕事をしていては、成功することは難しいだろう。

 それにしても、こうやって整理してみると、文化というものが実に大切なものであることが分かる。人々を支配したり、コントロールするためには飴と鞭が必要になってくるが、その飴が文化になる。その魅力で人々を引きつけ、納得させ、引っ張っていく。大航海時代においては、宣教師がその役割をになった。キリスト教は先進文化そのものだったから。

 そして、人間社会をまとめるためには、残念なことに鞭も必要になるらしい。つまり"軍事力"になる。そのことは戦争嫌いの私も渋々認めざるを得ない。どうも人間というものは、そこにお宝の山があった時に、一番強い奴がそれを独り占めし、残りの者はおこぼれにしかありつけないというあり方が好きらしい。

 それでは、軍事力が世の中を決めていく全てかと、逆の問いを発するとそうではないことが分かる。軍事力だけが強くても何の役にも立たない。その理由を考えると、お宝を奪うためには軍事力が必要であっても、強盗だけをして身を立てていくことはできないからだ。この点に関しては日本人も誤解してしている人が多い。

 富を運用して増やす、自分でも生産をする、より効率的な生産手段を開発する、他国と交易をするなどのことによって、はじめて国全体を豊かにすることができる。現在のアメリカはそこで失敗している。あまりにも軍事力や、詐欺などの犯罪的手法に頼りすぎるようになった結果、国が傾いてきてしまった。

 額に汗して働くということは、現代の世の中にあっても、最も基本であり正統派の考え方であるといえる。それを忘れてしまうと、アメリカのように世界中に出かけていって不要な戦争を仕掛け、詐欺で騙し、それでありながら自国が沈んでいくことになってしまう。

 

 以上常識的なことを書いたつもりでいる。常識の欠点に、常識ばかりに囚われていると飛躍ができない、発展性に乏しいということがある。どこまで常識に沿うか、どこで常識から外れるかの判断は、結果が出るまでその成否が分からない。

 ただし、アメリカは明らかに常識から外れすぎて失敗しており、また、日本の総理大臣も逐一挙げるのが面倒なほどの非常識ぶりを発揮している。欧米と一緒に沈んでいく気満々といったところだろうか。