前回の記事で司馬遼太郎のことについて少し触れた。司馬遼太郎は私の好きな作家で、大学生の頃に「坂の上の雲」を夢中で読んだ記憶がある。小説の方はそれほど多く読まなかったが、随筆については30代半ばくらいまでの間に読めるものは全部読んだ。

 司馬遼太郎を読んでいると、その柔軟な発想というか、思考の運びが心地よい。無理なことまで言おうとしないし、しつこく踏み込もうとはしない。そんな司馬遼太郎の略歴を概括すると以下のようになる。

 1923年(大正12年生まれ)、1996年(平成8年)死去。大阪市生まれ、旧制大阪外国語学校卒業。1943年学徒出陣。戦車連隊入隊。満州の戦車学校後、中国に配属。1945年本土決戦のため、新潟、栃木と移り、陸軍少尉で終戦。

 その後、新日本新聞京都本社、産経新聞社記者。1960年(昭和35年)『梟の城』で第42回直木賞を受賞、翌年に産経新聞社を退職して作家生活に入る。 1981年(昭和56年)日本芸術院会員、1993年(平成5年)文化勲章受章。

 1950年(昭和25年)初婚。長男をもうけるが4年で離婚。1959年(昭和34年) 再婚。

 司馬遼太郎にはマニアというかめちゃ詳しい人がいそうで、私が書くことはずいぶん荒っぽいことになると思うけれども、まあそれはそれ、一庶民の司馬評があっても悪くはない。そのつもりで書いてみたい。

 司馬遼太郎というと"司馬史観"を連想する。これだけでもかなりなことのような気がする。つまり、一小説家が感じ取った歴史が、世間に一つの史観として知られたということになるからだ。まるで思想家のようだ。それだけ訴える力が強かったということだろう。

 その司馬史観とはどのようなものだろうか。ウィキペディア(Wikipedia)には「その特徴としては日清・日露戦争期の日本を理想視し、(自身が参戦した)太平洋戦争期の日本を暗黒視する点である。人物においては、高評価が「庶民的合理主義」者の織田信長、西郷隆盛、坂本龍馬、大久保利通であり、低評価が徳川家康、山県有朋、伊藤博文、乃木希典、三島由紀夫である。」との記載がある。

 まあ、私の司馬史観に対する認識とそれほど違わない。司馬史観の出発点は大東亜戦争に対する疑問であるように思う。「実にくだらない戦争につきあわされた」という被害感が強かったようだ。というのも、日本軍の戦い方にあまりにも合理性がなかったからで、それで命を捨てろと言われたところでバカバカしいとしか感じなかったのだろうと思う。

 それは特攻隊のことを考えるだけでも、凝り固まっている人でなければ了解可能だ。特攻隊員一人ひとりはお国のためにと信じ込んで命を捨てたのだと思うから、大変に立派な精神を持っていた。問題は特攻をさせた上層部になる。

 特攻をさせることが少しでも戦況に影響するというのであれば意味があるが、特攻隊など戦争の勝ち負けには何の影響もなかった。要するに無駄死にをさせただけのことになる。むしろ、貴重なパイロットを次々に死なせてしまったことで日本の戦闘力を弱体化させた。あるいは戦後の復興の力を削いだ。日本人にはそんなことも理解できない人がかなりいる。

 実は私の父親が司馬遼太郎と年齢が近く、短期間だったが軍隊経験があったものだから、私は司馬遼太郎の気分がよく分かるような気がする。というのも、私の父親も、バカバカしいことをさせられたという思いが強かったからだ。

 毎日砂浜に穴を掘って、号令一下荷物を抱えて走り出し、その穴に飛び込む訓練をさせられたらしい。何のためかというと、上陸してきたアメリカ軍の戦車が穴の上を通った時に、穴の中から磁石付きの爆弾をくっつけるための訓練だったという。戦車は腹の部分の装甲が薄いのだそうだ。

 何という原始的というか、非効率的というか、これではまるで「アメリカ軍対未開の原住民」の戦いだ。大東亜戦争がいいとか悪いとか、アメリカを騙したとか騙されたとか、目的は何だったとかいろいろな言われ方をするけれども、誰にでも分かる圧倒的な日本の欠点は、末端の者に行わせるこのような一つ一つの具体的な戦闘というか、戦法というかの稚拙さ、愚かさであるように思う。これについて行けるのは本物の馬鹿だけだ。

 「一所懸命竹槍の訓練をしてB29を撃墜する」というのが最も極端な例になるけれども、本当に日本人というのは未開民族であると思う。その非常識さは想像を絶する。そして残念なことに現在でも、日本人は未開の原住民レベルを脱していないのであって、それは今回の新型コロナ騒動や対策、マスクやワクチンなどを見てもよく分かる。マスクをしながら食事を食えとか、ソーシャルディスタンスとか、パーティションとか、深夜は宴会をするなとか、感染防止効果のないワクチンを打てとか、本物の馬鹿しかついていけないような指示がいろいろ出された。大東亜戦争時とちっとも変わっていない。

 

 話がそれた。そんなわけで司馬史観の出発点は、大東亜戦争に兵隊として参加して、こんなバカバカしいことをさせられるのは御免被りたいという実感だったと想像がつく。そこで司馬遼太郎は考える。「日本は一体いつからこんな愚かな国になったのだろうか」と。

 その結果、「どうも、日露戦争までの日本はきちんとした国だったのではないか」というのが司馬史観になる。そこで、自分の書く歴史小説も日露戦争までを美化して創作し、世に出した。それは歴史的な事実を問うというよりも、「明治までの日本は賢かったのだから、それを見習い、大東亜戦争のような馬鹿みたいな戦争をするのはやめよう」という呼びかけだったように思う。

 私の極めて主観的な見方からとすると、実際には司馬遼太郎は明治の日本がそんなに素晴らしい国だったとは評価していなかったのではないかと思う。つまり、あえて嘘を書いて明治の日本は素晴らしかったことにしたのではないかと私は疑っている。

 そして、この作戦は大成功だった。なぜなら明治維新が素晴らしいものだったとするフィクションは、日本人にとって大変に受け入れやすいものだったからだ。というのも歴史的な距離感が適切だったのだと思う。司馬遼太郎にとって大東亜戦争当時の日本を褒めることは不可能だ。自分に嘘をつくことになるし、それが嘘だということを知っている人も大勢いる。

 また、江戸時代のことになると、距離が遠くなりすぎて他人事になってしまい、どのように書いたところで感動を呼んだり、教訓を得たりすることが難しくなってしまう。

 ところが、明治維新くらいの適度な過去であれば、日本人にはなじみがある。「ああ、そういう人がいたな」とイメージが湧く。その一方で、司馬遼太郎が何を書こうが、褒めるにしろけなすにしろ、自信を持ってそれを否定できる人もいないくらいの過去にはなる。だから、あることないこと書いて、大東亜戦争の対極、つまり日本の理想的なあるべき姿を示そうとしたのだと思う。

 そんな司馬遼太郎の嘘に物の見事に騙されたうちの一人が私になる。本来の日本人は大変に思慮深く、文化的でもあるのだけれど、大東亜戦争に限っては狂ってしまったという司馬史観を漠然と受け入れるようになっていた。

 そのまま死んでいければ何のことはない、平和な人生だったと思うけれども、この年齢になって突然新型コロナ騒動、ロシア・ウクライナ紛争の馬鹿騒ぎ。いやいや、驚いたのなんのって。今まで見たどんな映画よりも、今まで読んだどんな小説よりも、奇妙奇天烈なことが現実として目の前で展開された。

 何にそんなに驚いたかといえば、日本人の愚かさに対してだ。いまだに夢ではないかと思うくらいに。ごく普通の人だと思って接してきた人が、マスクを外さない、ワクチンを何回も打つ、どういうこと? 何も知らないくせに悪いのはロシアだと騒ぎ始める。どういうこと?

 政治家に至っては、総理大臣を筆頭にしてマスクをかけること、ワクチンを打つことを推奨する。どういうこと? 自国民を殺してどうしたいわけ? シャモジまで持ってウクライナに応援に出かける。どういうこと? 負けることがはっきりしている悪を支援して、日本国民の税金をばらまいて、どうしたいわけ?

 私も現在は大分理解が進んだせいか、人間というものは"お化け"を信じて行動するものであること、また、"お化け"を利用して人を操ろうとするものであることが分かってきたけれども、それにしても日本人たちよ、騙されすぎ、騙しすぎじゃありませんか?

 ウィキペディアによれば、司馬遼太郎は「庶民的合理主義」を好んだというけれども、最近の日本にそのようなものはかけらもない。一から十まで不合理で覆い尽くされている。なおかつ、そのことに疑問を持つ人はごくわずかだ。

 結局のところ、司馬史観は誤りであると私は考えるようになった。ここまで愚かな日本人というのは一朝一夕でできるものではない。つまり、100年や200年でできるものではない。大東亜戦争当時だけが狂っていたのではなく、400年も500年も前から日本人は遅れていたと思い始めた。

 そもそも、こんな東の最果ての島国に誰が好んで住もうと思うものか。移り住んできたのは犯罪者、奴隷、その他大陸では満足に生きていけない欠陥人間ばかりだったに違いない。そして、飛鳥、奈良の昔から中国の猿真似をすることで社会を維持してきた。

 唯一日本が輝いていたのは、戦国時代(1500年代)だったのではないだろうか。日本人が主体的に考え、主体的に行動して、日本を作ろうとした。そこにはリアリズムに基づいた合理性があった。今も残っている日本人の知恵というのは、その多くが戦国時代に作られたといってもいいように感じられる。戦国時代は、世界的に見たって日本は指折りの国だったはずだ。

 それをダメにしたのは、鎖国だったろうと私は考える。浅学非才の私が思うことだから当てにはならないが、日本をダメにしたのは鎖国以外に考えられない。鎖国によって日本の進歩は、日本人の思考は停止してしまった。とはいっても、鎖国をした(できた)のは、地政学的な条件が大きいのだろうから、ある意味日本の宿命だったのかもしれない。

 そして、明治維新のときにはすでに欧米列強に大きく水を開けられた状態であり、明治維新以後、日本は欧米の属国にされたまま現在に至る。単に軍事力で太刀打ちできなくなったばかりではなく、国民の精神発達も遠くに置かれたままの状態だった。大東亜戦争で欧米に牙を向けたものの、それは反抗期、あるいは中2病にかかったくらいの出来事であると考えた方がいい。

 しかし、時代は確実に動いている。日本の宗主国である欧米が衰退してきているのはもはや隠しようもない。新型コロナ騒動にしろ、ロシア・ウクライナ紛争にしろ、そのことの表れといってもいい出来事に見える。日本が欧米の属国をしていれば安泰という時代ではなくなったことを示している。

 アメリカの忠犬である岸田政権が国民の支持を全く得られないことも、時代の変化を表しているように私には感じられる。もはやアメリカには日本の面倒を見るだけの国力などなく、落ちぶれ、傾いた帝国と化している。アメリカを当てにできなくなった日本には、この先明治維新以上の混乱が待ち受けているのかもしれない。100年、200年、300年先を見据えながら舵取りをしていくことが必要な時代になってきている。

 「アメリカの属国ができないのであれば、中国の属国になればいいや」というのは、日本人の考えそうなことだと思うが、私としては世界情勢が大きく変わるのであれば、それを利用して自主独立を目指す国になってほしいと願う
(核兵器を持てという意味ではないので念のため)。しかし、今の日本人の民度の低さを見ている限り、1000年早いかもしれない。