今日も気楽な話でお茶を濁すことにしよう。ん?「お茶を濁す」ってどういうことだろう。辞書では「いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす。」(デジタル大辞泉)となっている。はて、いいかげんにお茶を点てると濁ってしまうのだろうか。どうもそうではなくて、素人が茶の礼儀作法を真似だけして、カシャカシャと茶せんでかき混ぜ、濁った抹茶を作って出来上がりとすることらしい。

 つまり、素人でも玄人でも、どちらも見た目上は濁った抹茶ができるけれども、素人の点てたお茶は見せかけだけのまがい物で、玄人とは違うということになるようだ。しかし残念なことに、私は抹茶の味が分かるほど飲んだことがない。抹茶を出されて、それが高級品なのか普及品なのか区別はつかない。まして、点てた人が一流なのか三流なのか、それとも素人なのか分かりようもない。

 まあ、下賎な身としては仕方のないところ。なにしろ生まれてこの方、我が家で茶せんなど見かけたことはないのだから。ただ、やはり日本人に生まれてきたからには、お茶やお花の心得くらい身に付けておきたいものだとは思う。まあ、次に生まれてきたときにということで。

 新しく買った中古車がとってもご機嫌だ。もう車に乗って喜んでいる年齢ではないだろうにと思うが、楽しいものは楽しいのだから仕方がない。どうしてだろうと考えているところだけれど、ひょっとして一番の理由はモーターのトルクの太さかもしれない。

 諸元表を見ると、私の買ったホンダフィットハイブリッドのモーターのトルクは253N・m/rpmで、今まで乗っていたレガシィアウトバック(
2498cc)のエンジントルクは235N・m/rpmというから、小さな車に力の強い動力を積んでいることになる。しかもほとんど無音で、震動がなく、最初から高トルクを発生させる。

 フィットにはエンジンもついているのだけれど、街中を運転している限りは発電・充電専用になっている。エンジンが動いているときにも、車を走らせる力を出しているのはモーターのみ。このモーター走行にまだ慣れていないのと、とっても快適なことが楽しさを生んでいるようだ。

 ちなみに、ハイブリッドだけあって燃費も良くて、満タン法で計算してみたら22km/Lだった(4WD)。今までのアウトバックは9km/Lくらいだったから、倍以上走ることになる。冬になると、ハイブリッド車はずいぶん燃費が悪くなるみたいだけれど、それでも今までと比べるとどう考えても良さそうだ。ガソリンタンクの容量を見ても、前の車は65L、今の車は40L。

 ハイブリッド車はそもそもの販売価格が高いので、いくら燃費が良くても10万kmくらい走らなければ元は取れないという話を聞いたことがある。これはディーゼル車も同じだった。ところが、中古車の価格というのはどこでどう決まっているのか知らないけれど、ハイブリッド車とガソリン車でそれほど違わないことや、ハイブリッド車のほうが安い場合さえある。中古車は不良品をつかまされているかもしれないわけで詮索すると切りがないけれど、先のことはともかく、今のところ私の場合は成功。たまたま安く売っていたのを買ったので。

 他に、車が小さくなったのにも感激している。車の長さで79cm、幅で12.5cm、回転半径で70cmの違い。あまり違わないような気もするけれど、実際問題としてはUターンの時でも、右左折の時でも、駐車の時でも、こんなに扱いやすいとは思わなかった。

 10年前は大きな車に乗ることが何の苦でもなかったけれど、これは多分年齢のせいで、今は運転するのに手間のかからない方、楽な方が嬉しい。ならば軽にする方が良いのかといえば、そこは車のしっかり感や動力性能が違いすぎて、軽までは踏み切れない。

 では反対に、フィットというコンパクトカーで何の問題もないかといえば、高級感のなさはいかんともしがたい。いろいろあるけれども、後席のドアを閉めるときのペタンという音などは安っぽさの代表。ただし、これって高級感だけの問題で実用上は何の支障もない。価格の安いコンパクトカーにそこまで求めても無理というもの。それでも、前席のドアはどこかを細工しているらしく、後席のドアほど安っぽい音を出さない。このあたり、メーカーの涙ぐましい努力を感じる。

 装備面ではいうことなし。10年前にスバルの最上位車種のレガシィアウトバックについていた装備がほとんど付いている。確か、オプション装備として10万円を足して付けた衝突軽減ブレーキや追従機能付クルーズコントロールなども、フィットでは標準装備となっている。実際に使ってみてもちゃんと使える。

 我ながらアホだなと思うのが施錠するとき。オプションを装備してあるせいで、ドアを閉めてドアノブに触れるだけで施錠され、サイドミラーが畳まれる。しかし、そうせずとも車から一定距離離れるだけで、やはり施錠されてサイドミラーが畳まれる設定にもできる。ただし、その場合は本当に施錠されたか不安なので(稀に何かのはずみで施錠されないこともある)、後ろを振り返って確認している。

 どちらが手間かというと、後ろを振り返って確認する方が手間がかかるのだけれども、どうも車から離れるだけで施錠されるという方が嬉しくてそちらの設定にしてある。その方が車に仕事をさせているようで気分がいいのかな。自分が苦労しないで、上膳据膳は気持ちいいからね。はは。

 話は変わって、"悠々自適"という言葉がある。仕事を辞めてからというもの、私としては悠々自適の生活を送れるようになったことが嬉しくて仕方がない。サラリーマン生活はくだらないことを山のようにしなければならなかったからねえ。

 そんなものだから、毎年出す年賀状にも、「悠々自適の生活を楽しんでいます」なんて書いて送った。それにケチをつけて来たのが我が細君になる。「そんなことを書くのはおかしい」などと言うんだよね。私としては意味が分からず「へっ?(ポカーン)」といったところ。

 話を聞くとどうも細君の感覚としては、「悠々自適=金持ち」ということらしい。実際には持ってもいないくせに、自分は金持ちだなどと見栄を張るべきではないと言いたいらしい。見栄を張るなという点に関しては私も同意するけれど、「悠々自適=金持ち」という説は承服しがたい。

 数日前にそのことを思い出して辞書で調べてみた。「世間のことに煩わされず、自分の思いのままに暮らすこと。」(デジタル大辞泉)、「俗世間のわずらわしさを超越して、心のおもむくままにゆったりと日を過ごすこと。」(四字熟語を知る辞典)、「俗世間から身を引いて、のんびりと暮らすこと。定年退職後などの落ち着いた暮らしをいう。」(学研 四字熟語辞典)などとなっている。

 ほ〜ら、私の思っていたとおりだ。悠々自適という言葉に「金に余裕がある」などという意味合いはどこにもないだろうに、と思う。学のない女はこれだから困る(内緒)。私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩が大好きなのだけれど、私の"悠々自適"という言葉のイメージはあの詩に近い。

 「野原の松の林の蔭の 小さな萓ぶきの小屋にいて」「一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜をたべ」るような生活が悠々自適だなどと思っている。それにしては、現在、中古とはいえ鉄筋コンクリートのマンションに住んで、キッチンあり和室ありのLDKにいると、自分にしてはいささか贅沢すぎると感じる。食べ物も、肉がたべたきゃ肉、魚がたべたきゃ魚を食べることができる。少しばかり悠々自適から外れているのかもしれない。細君とは逆の意味で。

 しかし、日本にもこうやって立派な詩を作る人がいたのにね。私はこれを中学校の国語の時間に教えられた。その国語の教師は宮沢賢治ファンで、授業の度にクラス全員で「雨ニモマケズ」を音読させたために、当時の私は全部そらんじることができた。

 そんな「雨ニモマケズ」の世界を全部ぶち壊してくれたのがアメリカであり、アメリカと結託してきた日本の政治家や商売人になる。その手口の汚いこと。人のやることじゃないね。「次にぶち壊されるのはアンタたちだ」と大見得を切りたいところだけれども、それだけの金も力も私にはない。あ〜残念。