最近、私の敬愛する武田邦彦教授(一面識もないので念のため)が、大東亜戦争に関してホームページ(YouTube)で解説をしておられる。私と同じ意見であるところが多いのだが、話を聞いている限りでは、その結論において私とは隔たりがあるのではないかと感じる。

武田教授が強調していることの中に、「日本は悪くなかった」というものがある。これは私も全く同感である。左翼あるいはアメリカの占領軍に洗脳された日本人は、とかく日本は悪かった、悪質な戦争をしたと言いたがる。しかし、これは完全に間違いである。

では、日本が正しく、アメリカは悪かったのかというと、ここは私と武田教授との意見の違うところかもしれないが、それも違うというのが私の意見である。私は、戦争には良いも悪いもないと考える。戦争は善悪の問題ではないのである。

このことは、日本の戦国時代を思い浮かべると、おそらく誰にでも分かる簡単なことではないだろうか。天下分目の関ヶ原の戦いにおいて、東軍と西軍、徳川家康と石田三成はどちらが正しくて、どちらが悪者だったのだろうか。実際のところそんなことは意味のない議論である。論点とならない。桶狭間の戦いで織田信長と今川義元はどちらが正しく、どちらが悪かったのだろうか。同じである。

では、論点になることは何かと言えば、それは強い弱いであり、勝ち負けである。戦争に良いも悪いもない。あるのは勝つか負けるかのみである。そして日本は戦争に負けたのである。犠牲は大きかった。日本人が300万人ほども命を落としたという。広島、長崎には原爆を落とされ、東京は焼け野原となった。

こうやって書いてしまえば簡単なことだが、戦争で死ぬことは、私のような老人が病気で死ぬのとは質が違う。私などいつ死んだところで当たり前の、ただそれだけのことだが、戦争で亡くなった人は一人一人が悲劇である。その悲劇が300万回も生じたのである。どれほど強烈な精神的後遺症が日本人に残ったことか。

私は、アメリカとの戦争に敗れて300万人もの日本人を死なせ、領土も奪われたことなどの損失の大きさを考えると、大東亜戦争は誤りだったと考える。仮に、勝つことができていれば、それは正しい戦争であったが、負けたのだから、負けたことを日本は反省すべきである。やるのであれば勝てる戦争でなければならない。

これは実に明快なことであり、また間違ってはならないことでもある。例を挙げると、現在アメリカと中国の雲行きが怪しい。武力を用いての戦争になる可能性はほとんどないだろうが、武力以外のあらゆる分野で争いが起きるかもしれない。かつての米ソ冷戦のように、どちらかが白旗を揚げるまで、勝つか負けるかの争いになる可能性がある。

では、日本はアメリカと中国、どちらの陣営に入るべきか。答えははっきりしている。勝つ方に与するべきである。戦いとはそのようなものである。仮に何らかの事情で負ける方についたとすれば、それを決定した政府は誤りを犯したことになる。正しいから負けてもいいということには絶対にならない。

大東亜戦争も同様に考えるべきであり、順当であれば日本がアメリカに勝っていたはずというなら、戦争をしたのは正しいことである。しかし、どう考えても日本がアメリカに勝つ可能性はなかった。最大で引き分けである。

なぜ勝つ可能性がなかったかといえば、第1に日本は、アメリカ本土に攻め込んでアメリカを支配することを考えてもいなかったし、そうする能力もなかった。その反対に、アメリカは日本本土に攻め込んで支配する力があった。要するに、本土を攻められる心配のないアメリカにとっては、最悪でも負ける心配のない戦争だったのである。最初から大きな
ハンディキャップがある。

第2に、国力の差がありすぎた。経済力、軍事力、生産力、科学力など、すべてにおいてアメリカが日本を上回っていた。大人と子供である。要するに互角に戦える相手ではなかった。日本は局地戦で部分的な勝利を収める程度がせいぜいだった。総合的に見れば、どうやっても負けるしかなかったのである。

いやそうではない、アメリカがあまりにも横暴だったので、「窮鼠猫を噛む」を選択するしかなかったのだという論もあるかもしれない。しかし、これも間違いである。もし日本が戦争をしなければ、日本人は1億総虐殺だったのだろうか。そうではあるまい。

これも日本は戦国時代を経験しているので分かるはずである。自分が負けると分かっている強い相手が攻めてきた時どのようにすべきか。答えは「和睦」である。和睦しか手はない。日露戦争でも、日本勝利とはいえ、結局のところは和睦だったことをご存知だろうか。

アメリカとの和睦となれば、かなり不利な条件を突きつけられたに違いない。しかし、歴史の現実となった日本の敗戦以上には犠牲を払わなくて済んだはずである。300万人殺され、日本本土以外の領土を全て奪われた敗戦を思えば、いくらでも交渉の余地はあったはずである。

不利な条件で和睦をするくらいなら討ち死にするという選択も考えられる。しかし、日本の戦国時代の戦いと違って大東亜戦争は、領民、つまり国民を巻き込む戦争だった。それで討ち死にはあり得ない。一億総玉砕など、狂人の発想である。

それゆえ、まだ戦力を失っていない段階で、できるだけ有利な条件で和睦をするというのが正しい選択であった。戦力が損なわれていない段階で戦線を縮小し、本土防衛に精力を傾ければ、アメリカもおいそれと手出しはできなかったはずである。

そもそも、戦争する以前にアメリカと敵対関係になるということが間違いでもあった。相手は白人で人種差別の国であり、そんな国と友好関係など結べるはずがないというのは確かにそのとおりである。

しかし、当時の日本には力が、つまり戦力があった。ハワイまで出かけていって奇襲攻撃を成功させるだけの軍事力を持っていたのである。無抵抗でなぶり者にされていた他の有色人種とはわけが違う。その軍事力を外交上の力として用いれば、局面は違っていたはずである。今も昔も、日本人は外交が下手であることが分かる。というか、日本人は外交というものを知らないのではないかとさえ思わされる。

徳川家康に山口県の小国へ追いやられた毛利藩は250年の時を経て江戸幕府を打ち破り、安倍総理へとつながっている。アフリカからアメリカに奴隷として連れてこられた無力な黒人は、400年近くの時を経て大統領を生み出すまでの力を持った。

そんなことを考えると、大東亜戦争前の日本の外交など、打つ手はいくらでもあった。日本人に賢さが足りなかっただけである。

 

武田教授は、「日本人が誇りを失った一番の根元は、大東亜戦争が素晴らしい戦争だと思えないところにある」とおっしゃる。しかし私はそうは思わない。日本人が誇りを失ったのは戦争に「負けた」からである。そして、誇りを取り戻すのに必要なことは、次の戦争に勝つことである。

 

次の戦争が何年後にあるのか、それは経済戦争なのか、AI戦争なのか、それとももっと別のものなのか、それを推測することはできないが、人間社会が存続している限りどんな形であれ戦争は必ず起きる。その戦争では是非とも日本に勝利を収めてほしいものだと思う。毛利藩は250年もかけて戦争に勝利し、誇りを取り戻した。

 

もっとも、「人間万事塞翁が馬」である。戦前の日本が外交努力によって国体を保ち、現在まで続いているのと、アメリカに占領された結果、自由が浸透した今の日本と、どちらを選択するかといえば、私は今の日本を選択したいような気がする。天皇皇后の写真に否応なく最敬礼しなければならないような国を私は好まない。北朝鮮じゃあるまいし。

あ、だからといって、天皇の写真を燃やして踏みつけろと言っているのではない。あんなことをさせる知事は頭がおかしい、と思えるくらいの常識は私にもある。