横山やすしという漫才師がいた。大変に有名な人だから、知っている人はとてもよく知っているに違いない。

 

私はといえば、「知っている」程度にしか知らない。ただし、漫才については、横山やすしと西川きよしのコンビ以上に面白い漫才は見たことがないと思っている。というか、私は落語はとてもいいもので日本の伝統文化だと思っているが、漫才については、あんなものなくなればいいのにと思うくらい嫌いである。あまりにも見えすいた決まり文句多発という感じがして、見るとすぐに嫌気が差す。

 

そんな私でも、横山やすしと西川きよしの漫才だけは笑える。今でも、YouTubeに動画がたくさんあり、好きなだけ見ることができる。「おもろいやっちゃなあ」と素直に感心する。面白いのは西川きよしよりも横山やすしである。なぜそんなに面白いのだろうか、少しでも理由を知りたいと思い、ここに書いてみることにした。

 

横山やすしは1944年に高知県で私生児として生まれた。実父は旅回り芸人一座の団員だったという。これだけで、ああそうだったのかと思う。天才の始まり、不幸の始まりである。

 

生後3か月で、大阪から疎開に来ていた木村家の養子に出され、敗戦後は大阪府堺市で生活する。養父は市役所で調理の仕事、養母は遊郭を営んでおり3日に一度しか家に帰ってこなかったという。そのため、養父の夕食の準備は毎日横山やすしが行っていた。実母が時折尋ねて来ることがあったらしい。養母は近所の溜め池に落ちて亡くなり、養父は仕事中に電車に挟まれて亡くなったという。子供の頃はとにかく負けず嫌いな子だったようだ。

 

中学生時からラジオ番組(素人参加番組「漫才教室」)に友人とコンビを組んで出演しており、中学校卒業後すぐに漫才師としてデビューする。天才少年漫才師と話題にはなったが、売れなかった。そのため2年後、友人とのコンビを解消し、横山ノックに弟子入りする。

 

漫才を続けてはいたが、誰と組んでも折り合いが悪くてコンビを長続きさせられずにいたところ、22歳時に西川きよしとコンビを組んでから安定する。才能を伸ばし、人気も出て、26歳時には、上方漫才大賞を受賞する。

 

しかし、間もなく無免許運転中にタクシーとトラブルになり、運転手に傷害を負わせたことで、懲役3月執行猶予3年の判決を受ける。仕事の方も2年4か月の謹慎となる。その後も、不祥事は散発する。33歳時には、タクシー運転手と口論の上、車に蹴りを入れる、38歳時から「久米宏のTVスクランブル」に出演していたが、酒に酔っての暴言や、気に入らないからと全く話をしないということもあり、40歳時には飛行機に乗り遅れて番組に穴を開けるなどもした。

 

その後も、酒に酔ってのテレビ出演や、ドタキャンなどが続き、45歳時には酒気帯び運転でバイクとの人身事故を起こし、吉本興業を解雇されてしまう。

 

その後、映画に出たり、芸能界を干されたタレントと漫才コンビを組んだり、参議院に立候補したりする。48歳時には暴行事件の被害者となり重傷を負う。犯人不明、真相不明の事件とされている。

 

以後、漫才復帰の道を模索することもあったが、基本的には酒浸りの生活であり、アルコール性肝硬変で死去する。1996年、51歳だった。

 

結婚生活は、24歳時初婚、長男、長女誕生。27歳時離婚。31歳時に再婚、次女誕生。長男は人気俳優として脚光を浴びたが、タクシー運転手に対する傷害事件やアメリカ人少年への暴行で2度逮捕されたことがある。

 

以上、ネット上で簡単に検索できる範囲でざっと調べたところを書いた。

 

基本的には出生時、幼少時の環境に大きく左右された人生といえるだろう。明らかに生まれも、育ちも普通ではない。私生児であり、養母が遊郭を経営していて、子供の横山やすしが養父の夕食の準備をさせられていたというエピソードからそれを感じる。

 

戦時中の私生児である(今は非嫡出子というが、当時ならててなしご(父無し子)とでも言ったのだろうか)。実母は後ろ指をさされながらの出産だっただろうし、実母自身がこんな子生まれなければいいと思っていた可能性だってある。そして、出生後はすぐに厄介払いである。

 

養子先の養母も不思議な存在である。テレビ番組では遊郭経営と紹介されていたが、遣り手婆だったということだろうか。ひょっとすると客を取っていた可能性だってあるかもしれない。学校に行けば教師だって、父兄だって、養母の素性に気がついていただろう。

 

そんな生まれ育ちをした男の子は何を感じるだろうか。おそらく、自分という人間には何一つ価値がないということだろう。そもそも生まれてこない方がよかったのが自分であり、実母も養母も社会の底辺でうごめく屑のような人間である。人としてのプライドや誇りなどは持ちようもない。

 

上には上があり、下には下があるというのが人間社会であるが、横山やすしにはそう感じられなかっただろう。この世に自分より下の人間がいるとは思えなかったに違いない。

 

となれば、何としてでも、1ミリでもいいから上に行きたい、這い上がりたいと思って自然である。じっと大人しくしていたのでは、そのまま沈んで消滅してしまうのではないかというような恐怖に支配されていたことだろう。1日24時間、1年365日、いつもそのような思いで生きていたと考えていいように思う。

 

小さい頃からとにかく負けず嫌いだったという。また、中学生時にはもう友人とコンビを組んで漫才をしていたというから、目立ちたがりで、人気者になりたがっていたことが分かる。これ以上ないくらいの底辺社会にいてくすんだ自分を、少しでも浮かび上がらせたいという一念だろう。

 

アルコール性肝硬変で亡くなったことからも分かるように、無類の酒好きであった。警察に捕まったり、番組に穴を開けたりなど、全て酒が絡んでのことである。不幸な自分を慰めてくれるものは唯一酒しかなかったに違いない。

 

人間、酒に酔うといろいろなことが頭に浮かぶ。女に囲まれ、金に囲まれ、偉そうな奴に意見し、気に食わない奴はぶちのめし、みんなから拍手喝采され、などである。酒飲みはみんなそんなところを持っているが、横山やすしが他の人間と違うのは自分が最低、どん底の人間だと思っていることである。

 

それだけに、酒を飲んでの想像は、微に入り細に入り、自分で想像してそれが憧れになり、夢になるというようなものであったろう。今にも飢え死にしそうな人間が、食べ物のことを考えるようなものである。

 

それが漫才に表れる。絶望と、夢と、あきらめと、憧れと、しょぼくれと、勢いが同居しているような漫才である。横山やすしほど不幸な人間はそんじょそこらにいるものではないことから、その言葉や態度は人を惹きつける。

 

私は横山やすしの芸を見て絶賛したいが、当時周りにいた人たちはたまったものではなかったに違いない。わがまま、感情的、気まぐれ、乱暴、でたらめ、ルーズなどなど、迷惑千万な存在であったことだろう。「潰したいが才能が惜しい」「才能は惜しいが潰したい」と周りが揺れ動いたと思われる。そして、最終的には自滅して早逝したのである。

 

いい人生だったと思う。平々凡々な人生を送るしか能のない私などと比べると、月とすっぽんである。天才的な芸を見せ、その分周りに迷惑をかけて死んでいった。男の人生というのはそういうものであり、それでいいと思う。

 

生まれ変わるとしたら、横山やすしのような人生を歩みたいと思う。しかし、実のところその自信はない。とてつもない勇気と覚悟が必要に思える。やろうと思ってできるような生やさしいものではない。幸運ともいえるし、不運ともいえる。

 

そういえば、私の好きな演歌で、「浪花恋しぐれ」というのがある。歌のモデルは上方落語の初代・桂春団治という人らしいが、横山やすし同様に破天荒、破滅型のとんでもない芸人だったらしい。大阪にはたまにこのような常軌を逸した芸人が現れるのだろうか。

 

社会を作るのは総理大臣でもなければ官僚でもない。桂春団治や横山やすしのような男である。いずれまた、第2、第3の横山やすしが現れるようであれば、日本もまだまだ捨てたものではないのだが、今の日本にそれだけの器量があるだろうか。