先日このブログで浅丘ルリ子に関係したことを書いた(「浅丘ルリ子」)。その後、映画を何本か見て、ネットを検索するなどしたところ、浅丘ルリ子という人の人生は一筋縄ではいかないような道筋だったことがうかがわれる。「う〜ん」と考え込んでしまうような生き方をしている。

浅丘ルリ子は1940年(昭和15年)生まれで、現在79歳である。この7月で80歳になる。父は中央大学卒業後大蔵省に入省し、満州に派遣(満洲国経済部大臣秘書官)され、そのときに浅丘ルリ子が生まれている。4人姉妹の次女である。

ここで疑問が生じる。良家の子女と思われる生まれだが、なぜ芸能界に入ったのだろうか。芸能界というのは特に昔は、良家の子女が入るような世界ではなかった。芸能人は卑しいとされる職業だったからである。

その芸能界に浅丘ルリ子は中学生時にデビューし、その後花形女優の道を歩む。仕事のために中学校にも満足に通うことができず、高校には進学していない。

戦後の混乱で父は仕事を失い、その後も貧しい生活が続いていたという。とすると、見方を変えれば、浅丘ルリ子は良家の子女ではなく、親兄弟を支えるために、高校にも行かせてもらえずに稼がせられていたのかもしれない。

そういう視点から見ると、小林旭との破局もうなずける。小林旭が浅丘の父親に会いに行き、結婚の話を出したところ、女優を続けさせたい、どこの馬の骨ともわからないような男に娘をやるわけにはいかないなど、散々なことを言われ、それが破局のきっかけになったという。

浅丘ルリ子の父親にとって、浅丘ルリ子は貴重な財産だったのだろう。稼ぎ手を失いたくなかったのかもしれない。現代の価値観からすると少し下衆な父親に思えるが、貧困があちこちに存在した昔は珍しくなかった。また、娘も自ら進んで身を犠牲にし、家族を支えようとしたものである。

 

加えて、一応は大学を出て大蔵省に入省した父親である。落ちぶれたとはいえ、プライドが高く、娘を玉の輿に乗せたいという気持ちもあったのだろう。育ちの悪い小林旭ではお眼鏡にかなわなかったに違いない。

 

一方、小林旭の価値観は、妻は家庭に入って子供を産み育てるということを重視するものだった。浅丘ルリ子も、小林旭と結婚するならば仕事は辞めなければならなかったと述べている。となると、浅丘ルリ子としては、小林旭をとるか、父親(生家)をとるか、二者択一を迫られたことになる。

結局、浅丘ルリ子は父親(生家)を選択した。しかし、そこには迷いが残る、心の傷が残る。小林旭は男ぶりが最高で、浅丘ルリ子が惚れるに値する男である。あの美空ひばりが半ば強引に拉致して結婚したくらいのいい男である。小林旭を好きになってしまうと、その代わりとなるような男に巡り合うのは難しそうである。

第一子長女なら後くされないように気持ちを処理できたかもしれないが、次女である。小林旭のことはきれいさっぱり諦めて、別の人生を歩むというのはできなかったように思う。

30歳の時に石坂浩二と結婚したことがそれを思わせる。小林旭とは何から何まで正反対の石坂浩二を夫として選んだからだ。小林旭を選ぶような女性は石坂浩二を選ばないし、石坂浩二を選ぶような女性は小林旭を選ぶはずがない。小林旭を忘れようとするあまりに、自分の心に嘘をついたように私には見える。

石坂浩二は仕事をやめろとは言わない、子供を産めとも言わない、家柄も良い。父親が要求し、小林旭がクリアできなかった難問をあっさりクリアして結婚となった。しかし、一番の問題は、浅丘ルリ子自身が石坂浩二のことをあまり好きになれなかったことではないかと私は思う。小林旭はそこを見抜いていて、「石坂浩二とは2年で別れる」と言ったそうである。

おそらく、浅丘ルリ子と石坂浩二の結婚は愛情の上に成り立ったものではなく、お互いの都合による結婚だったのだろう。小林旭は美空ひばりと別れた後に、女優と結婚し、幸せな家庭を作った。子供もできた。そのことに対する対抗意識もあっただろう。また、小林旭と別れた後、失恋の痛手で一人で生きるしかなかったということでは寂しすぎると感じたのかもしれない。

小林旭と別れてからの浅丘ルリ子は演技もすっかり変わってしまった。別れてからの浅丘ルリ子は女優として、役者として、仕事として、演技をするようになった。悪いことではない。それがゆえの大女優である。

しかし、私の好みからいえば、浅丘ルリ子が魅力的だったのは小林旭と別れる前である。そこには男を好きになっている可愛い娘がいる。見ていて気持ちの良いものである。自分の心を閉じ込めることなく、偽ることなく、自然な形で女らしさを表している。

そういえば、「男はつらいよ」の最後の作品「寅次郎紅の花」で、浅丘ルリ子は山田洋次監督にリリーと寅さんを結婚させてくれるように懇願したという。渥美清の体調が大変に悪そうで、これが最後の作品になるかもしれないと不安を感じてのことだったそうである。

結婚というものは、思い切って無理にでもしなければ、スルリと逃げていくものであることを誰よりも実感しているのが浅丘ルリ子である。たとえそれがドラマの中の出来事であったとしても、好き合っている同士で結婚させたい、結婚したい、今しかない、と思ったのではないだろうか。

しかし、結局はその願いも叶わなかった。浅丘ルリ子にはそういう運命がついて回っているのかもしれない。ちょっと切ない話である。