昔々、今から1400年以上も前に聖徳太子が発布したとされている十七条の憲法の最初に「和を以て貴しとなす」という言葉がある。加えて「人はみな徒党を組み、道理をわきまえず、君主や親に従わずに隣近所と争いを起こす」との指摘もされているそうだ。ということは、争ってばかりいたために「和を以て貴しとなす」という言葉を、憲法の最初に持ってくる必要があったとの推測ができる。

私は何となく「平和な国日本」というイメージを持っているが、それは平安時代、室町時代、江戸時代と政権が長期間にわたり続いたことと、戦後、平和憲法、平和憲法としきりに連呼されてきたせいのような気がする。しかし、実のところは決して平和な国ではない。一番良く知られているのは戦国時代で、下剋上という言葉は17条の憲法に真っ向から反するものである。日本人は争ってばかりの民族と考えたほうが辻褄が合うような気がする。

日本人がつまらないことで争ってばかりいるというのは、現在の国会を見ると一目瞭然である。国会ばかりではなく、沖縄基地問題などもアホかと思う。争ったり歯向かったりすることが大好きなのである。どうでもいいようなことで相手を責め、筋を通さず、まとまる話もまとめようとしない。

平安時代、室町時代、江戸時代と確かに平和な時代が長く続いたが、これも実は争いのためではないかと私は邪推している。何かをしようとすると必ず反対する勢力が表れる。そのため、新しい時代に突入したくても、現状を変えることができないのである。一見平和な時代が長続きしているように見えても、それは反対勢力のために身動きできなくなった結果、問題を抱えながらもズルズルと現状が維持されていくに過ぎないのではないかと思う。だから一旦膠着状態から解放されてしまうと、下剋上というように血で血を洗うようなことにもなる。

そうした中で現在一番の傑作は憲法9条の改正だろう。念のため記載しておくと、
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
とある。

中学生でも分かる真っ赤なウソである。日本は自衛隊という戦争をするための立派な軍隊を持っている。現在に至るまで何十年間も軍隊を保持している。どうごまかしても日本国憲法と自衛隊は両立しない。よって、常識で考えると日本国憲法を改正するか、自衛隊を潰すかのどちらかである。

しかし、そんな単純で、明瞭で、簡単なことのできない国が日本である。非武装中立、恒久平和などというものは絵に描いた餅であり、妄想であるということは、正常な精神状態にある日本人であれば誰しもが気がついている。だから、憲法を改正して自衛隊を容認し、交戦権を持つしか道はないのだが、それが遅々として進まない。不思議な国である。

そんな日本と似た国が世界にもう一つある。それはイギリスである。かねてより、イギリスのテレビドラマなどを見ていると、文化度の高さやドロドロとした精神性などが日本とよく似ていると思っていたが、最近のEU離脱問題に対する対処を見ていると、まるでお笑い草である。どのような形で離脱するのかをめぐって争いが続き、期限が過ぎても決められずにモタモタしてばかりである。

日本もイギリスも、大陸近くに位置する島国の先進国である。地理的条件によって国民性が規定されている部分があるのかもしれない。だが、そんなイギリスですら、フォークランド紛争では勇猛果敢なところを見せた。竹島を韓国に略奪されたままウヤムヤにしている日本とはえらい違いである。日本もこの先いつの日か、せめてイギリスくらいの戦闘力を身につけることができるようになるかどうか。

まあ、日本には日本の良さもある。食い物はイギリスに比べると月とスッポン、日本の勝ちであるという話をよく聞く。