私は自分の天皇に対する認識が極めてニュートラルなものだと思っている。つまり、天皇のことを好きでもなければ嫌いでもない。なぜなら、天皇は私の全く知らない人だからである。テレビに映っているのはよく見かけるが、自分の好悪の判断材料になるような映り方はしない。つまり、好きとか嫌いとか言うだけの材料を私は持っていないということである。

しかし、現在の天皇制、つまり日本国憲法の天皇に対する規定は私の大のお気に入りである。実に好ましいというか望ましいというか、そんな印象を持っている。何かと話題に上る憲法第9条に関しては、人間性を無視した悪法であると感じるが、現行の天皇制に関しては、アメリカさんに感謝したいくらいである。

何をそんなに気に入っているかというと、天皇が一切の具体的な権限を持たない点である。私は感覚的に、天皇が政治・経済について具体的なことを言い出すようになると、日本は治まらないだろうという気がする。例えば、天皇が「日本は韓国ともっと仲良くすべきだ。」「消費税は15%まで上げるべきだ。」などと言い出そうものなら、日本は上を下への大混乱になるに違いないと思う。

やはり日本の天皇というものは、国民の90%が「まあ、そうだよね。」とうなずくことばかりを言うべきである。つまり、「国民の幸せを祈ります。」「平和な社会が続くことを願っています。」「その労を深くねぎらいたく思います。」などである。

と書くと、そんな影響力のない、当たり前のことしか言わない天皇など必要ないのではないか、そんな予算は無駄ではないかということを言いだす者が出てくるように思う。しかしそれは誤りである。天皇は重大な任務をこなしている。

天皇の重要な任務として私が思いつくものが二つある。一つは外交である。1500年以上も単一王朝が続いている国など世界に一つもない。驚異的な存在である。そのことだけでも、日本の凄さ、特異性、文化などを世界に訴える力は強い。しかも、日本がそういうものを持っているからといって、どこかの国が「じゃあうちも作りましょう」というわけには絶対いかないものである。外国から無条件ですごいと思われる天皇の存在は国民の大きな財産であるといえる。

外国の要人が日本に来たときに、総理大臣に会うとともに天皇にも会う。それだけでも日本の格式の高さを示す力が十分にある。総理大臣は実務のトップであるが、天皇は身分のトップである。言い方を変えれば、身分の低い総理大臣と、実務権限のない天皇である。その両者が分業体制を敷いているわけであり、お互いに補い合って負担が軽くなり、かつ相手への説得力が増す。うまくできているものだと思う。

もう一つ重要な任務は、天皇に対する信仰である。私は家の宗教が禅宗であるせいか、信仰心がほぼない。自力本願であり、自分で悟りを開いて仏になるものだと思っているので(それが本当に正しい禅宗かどうか知らないが)、誰かを、あるいは何かを信仰する気持ちはさらさらない。

しかし、世の中には私と違って、誰かを、あるいは何かを信仰したい人がたくさんいる。おまけにそういう信仰心に厚い人たちを食いものにするような、極端な場合はオウム真理教のような怪しい宗教があって、油断も隙もあったものではない。まごまごしていると全財産ばかりか、命まで奪われてしまう。

その点、天皇は国の保証付きの安心できる信仰対象である。ちゃんと国民の幸せを祈り、労をねぎらってくれるのに、お布施一円取ろうというわけではない。素晴らしい。天皇を信仰している限り安全である。

 

そのようなことを皆が感じるせいか、先日の天皇即位後の一般参賀では14万人もの人が皇居に集まったという。短い話を聞き、遠くから眺めるだけなのに14万人である。日本で最も信者の多い宗教であり、国教と言っても過言ではない。
天皇は日本で何百万人、何千万人という自分を信仰する人を抱えているわけであり、その重責たるや計り知れないものである。

もっとも、天皇が信仰対象であると公に言おうものなら、政教分離がどうのとか、他の宗教との兼ね合いとか、いろいろ七面倒なことになるような気がする。とはいえ、どのように定義しようが、どのようにまずいことが生じようが、どのように異を唱えようが、実態は実態であり、目を背けるわけにはいかない。皇居に集まった14万人の人たちは、善かれ悪しかれ天皇教の信者である。私の心中ではそういうことにしておく。

 

ところで、今お布施一円取るわけではないと書いた。大変に結構である。でもでも天皇さん、ものは相談ですが、もうちょっと私の税金まかりませんか?

 

やはり天皇は権限を持たないほうがいい。信仰+権限ということになると、私のように税金まけろなどと言いだす不逞の輩がいくらでも湧いてくるに違いないから。