何年か前から、日本の一部を除いた野党、一部を除いたマスコミが「忖度」「忖度」とやかましい。まるで馬鹿の一つ覚えのようにしつこく繰り返す。一体何をそんなに騒いでいるのか、私のような一介の市井の人間にはさっぱり分からない、一介の日本人にはさっぱり分からない。

そもそも忖度とは何か。ネットで辞書を調べると「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。」とある。良いことである。褒められるべきことである。家庭をそして社会を成り立たせるために必要で大切なことである。

親は子供の気持ちを忖度し、子は親の気持ちを忖度する。友人も恋人同士もお互いに忖度しあう。会社では上司は部下の考えを忖度し、部下は上司の意向を忖度する。商売をすれば消費者の意向の忖度は必須であるし、病院では医師も看護師も病人の気持ちを忖度して説明を行い、治療の同意を得る。忖度なしでは家庭も社会も成り立たない。

何より、市会議員は市民の、県会議員は県民の、国会議員は国民の意向を忖度することが存在できる理由でもある。

 

忖度はいわゆる「モリカケ」問題で一挙に注目を浴びた言葉である。このうち森友学園に関しては、どうやら詐欺師が絡んでいるらしいので、しかとしたことは言いにくい。しかし、加計学園に関しては何が問題になったのか全く分からない。

加計学園の理事長は安倍総理の友人である。その友人が、国のために獣医学部の新設に名乗りを上げた。大変に良いことである。安倍総理は良き友人を持った。
何か新しいことをしようとすると、既得権益を守ろうとして横槍を入れてくる不逞の輩はいつの時代にもいる。安倍総理としては国のために、加計学園が円滑に獣医学部を新設できるよう配慮することは当然のことである。

安倍総理も、加計理事長もお互いに顔を合わせていない、獣医学部新設のことで話し合ったことはないなどと言っているようだが、そんなことではよろしくない。お互いに綿密な打ち合わせをして、獣医学部の新設が抵抗勢力に潰されることのないようにするのが本来である。獣医学部新設は国の政策である。国の政策を行うのに総理大臣が一所懸命になるのは当然である。総理大臣の友人がそれに手を貸すのは良いことである。

であるにもかかわらず、日本の一部を除いた野党やマスコミは、まるで総理や加計学園が悪いことをしていたかのように無駄な追及を続けた。
なぜだろうか?
それは、一部を除いた日本の野党やマスコミが、中国・朝鮮的な思考をするせいである。たとえ生まれ育ちが日本であっても、中国や朝鮮の流れを汲んだ者たちが主流になっているのが、一部を除いた日本の野党やマスコミであり、彼らは中国・朝鮮を日本に当てはめようとする。

どういうことかというと、中国や朝鮮は忖度だけで終わることがない。中国や朝鮮では忖度があれば、そこには必ず贈収賄などの具体的な不正が行われている。100%と言っていいくらい私腹を肥やす金の動きがある。

日本でもそのようなことが例外的に生じることはある。しかし、それは犯罪であると皆が知っており、談合の多い建設業界ならともかく、通常は裏で私腹を肥やす金は動いていない。

そんなことは日本人ならみんな分かっている。私はサラリーマンとして何十年も勤務したが、上司が厳しいのは付け届けをしなかったからで、上司が優しいのは付け届けをしたからだなどということはなかった。日本はそのような社会ではないはずである。
しかし、中国や朝鮮を母国としている日本の一部を除いた野党やマスコミにはそういうことが分からない。忖度=不正だと思ってしまうのである。忖度という言葉を汚してもらっては困る。

日本には美しい言葉がある。「情けは人のためならず」である。人に親切にすれば、その時は相手が喜ぶだけで自分にいいことはないが、いつの日かめぐりめぐって、よい報いとなって自分に戻ってくるという意味である。日本人は誰かに親切にしたからといって、つまり忖度したからといって、すぐに賄賂をよこせとは求めない。

 

ましてや友人であれば、総理の立場が危うくなるようなことは、仮に総理から求められたところで断るというのが日本的である。お代官様と越後屋のやり取りを日本人は嫌う。中国人や朝鮮人には分からないことである。
そして、実は総理が加計学園から裏金を受け取っていたなどということが万が一にでもあったとしたなら、その時はあきらめて刑務所に入ってもらいましょう、というのが日本である。