昔話である。

が、その前に言っておきたいことがある。
一体日本はいつまでパチンコ屋を許容しておくのか。あれは間違いなく違法賭博場である。日本人なら説明するまでもなくみんなが知っている。そんな表裏のある、本音と建前が180度違う、嘘がまかり通る、分かっていながら見て見ぬふりをする、そんな日本の社会をいつまで許容しておくのだろうか。

パチンコ屋を今後も現状のまま生かしておくというのなら、新しい法律を作って、違法状態を解消して、合法的に賭博場であることを宣言してやっていけばよい。そうしないで、実質は賭博場だけれど、建前は違うことにしておく気持ちの悪さったらありゃしない。この点に関しては文化度の低い後進国並である。国会議員は先進国としてのきちんとした日本を作ろうとは考えないのだろうか。

ついでに、カジノに反対する野党にも言いたい。パチンコ屋には一言も触れずに、よくもまあ恥ずかしくもなくカジノ反対と言えるものだ。人間のあり方として基本的なところで間違っている。
しかもカジノのほうがずっと健全である。パチンコ屋は貧乏人の、生活保護世帯の金をむしり取る賭博場である。カジノの100倍も1000倍もの悪さをしている。

昔こんな話を聞いたことがある。生活保護世帯の話である。そこの家の子の話である。
生活保護費の支給日近くになると、家の中に食べ物が何もなくなる。そこで、腹が減ると子供が自分で具なしチャーハンを作って食べるのだという。材料はご飯と塩コショウとサラダ油だそうだ。実際に私も具なしチャーハンを作って食べてみた。なるほど、まあまあ、いけるといえばいける。

いくら生活保護世帯でもそこまで金がなくなるのはおかしいのだが、親はパチンコ屋に行って持ち金を全部なくすのだそうである。それが分かっているので、生活保護費の支給日にはすぐにスーパーに直行して、コメだけは一か月分、不足しないだけ何十キロか買い込むのだという。だから、いくらひどい状態になってもコメだけはある。そこからの工夫が具なしチャーハンだった。

全てパチンコ屋が悪いせいだとは言わないが、あんな悪質な賭博行為を許容しておいて「万引きするな」「交通ルールを守りましょう」などと言えた義理ではないだろう。
個人的には、ぜひ死ぬ前に一度、パチンコ屋のない日本社会を見てみたいものだと思う。

そのパチンコ屋も、昔はもっと可愛げがあった。電車が来るまで時間がある、ちょっと駅前のパチンコ屋で時間をつぶし、「煙草3箱取った」「1000円スッた」などという世界だった。
それが、値上げに次ぐ値上げで、ついには巨大産業となった。どんどん値上げすると、どんどん客が増えたのだが、そんなことは普通の商売ではありえないことである。そこのところがいかにも賭博らしい。そしてゲーム場からまぎれもない賭博場へと変質した。

私がパチンコをやめたのは、あまりにもパチンコに金がかかるというせいもあった。今から20年くらい前、職場のパチンコ好きの人に、パチンコ屋に行くときいくら持って出かけるのかと尋ねたことがある。答えは「8万円」だった。8万円持っていくということは、当然その8万円が全部なくなることもあるという意味である。すごいなあ。薄給のサラリーマンをやって苦労して働いた金なのに。

昔の話で情報の出どころを忘れてしまったが、パチンコ依存症のような人に対して、パチンコをやって一度にどのくらい負けることがあるかと聞いても正直には答えてくれない。そういう人に対してはパチンコで最高いくら勝ったことがあるかを尋ねるとよいのだそうである。勝った金額については皆さん気持ち良く教えてくれる。そして、その人が答えた勝ったという金額以上に、負けた金額は多額であるそうだ。

 

それにしても不思議な話である。なぜ、パチンコ屋という賭博場が、日本のあちこちに幅を利かせて存在しているのだろうか。政治家も、マスコミも、警察も、一般市民もパチンコが賭博であるということを知っていながら。

 

最近は昔と比べてパチンコの売上高も、遊技人口もかなり減っているということである。良いことである。このまま衰退して消滅するとよいのだが、ただし、衰退するということと、だから裏に隠れた賭博を認めたままにしておいていいということは別問題であり、曖昧なままにして知らないふりをしているのは良いことではない。