移民については心情として反対である。良いことなど何もなさそうに思える。その理由は、なんだかんだ言って日本人が優秀だと思っているせいである。世界で一番優秀かもしれない。

と書くと、異論がありそうだが、ここで私が世界一優秀な日本人と書く日本人とは、そこら辺を歩いている何の変哲もない兄ちゃん姉ちゃん、おじさんおばさんのことである。日本は格差の少ない社会であり、特に底辺層のレベルが異常に高い。最近それが崩れてきているという指摘もあるが、だとしても諸外国とは比べ物にならない。

実は日本はこれまで、優秀な底辺層で成り立ってきた国である。世界レベルにおいても、物を作れば優秀、サービスをすれば一流、戦争をすれば強いのは、ひとえにそこら辺を歩いている兄ちゃん姉ちゃん、おじさんおばさんの能力の高さである。意欲がある、理解力がある、創意工夫がある、礼儀正しい、落ち着いている、清潔である、統制がとれている、公共マナーがいい、犯罪が少ないなど、底辺層の質の高さがうかがわれる。

日本の技術者は優秀だが、企業経営者はタコであるという見方がある。中には優れた経営者もいるだろうが、概して正しいと思われる。なぜそのような現象が生じるかというと、一般社員の能力が高いからである。大抵のことは社員に任せておけば(押し付けてしまえば)解決してしまう。物を作れば工員の優秀さで、サービスをすれば店員等の優秀さで、戦争をすれば兵隊の優秀さで諸外国と渡り合えるのである。経営者や管理職、将軍や将校は優秀である必要がなく、レベルが低くなる。

同様に、日本の一般国民は賢いが、概して政治家はタコである。一般国民から見て常識に欠け、どう考えたって隣のおじさんおばさんの方がまともという政治家はたくさんいる。これに関しても、一般国民の優秀さで世界に伍しているのである。そのため、日本で政治家を尊敬する人は少ないというか、どちらかというと「政治家=ろくでなし」だと皆思っている。

そんな国に移民を入れるとどうなるだろうか。当然移民が最下層を形成する。道徳的にも文化的にも能力的にも、一般の日本人と比べるとはるかに劣る。公共マナーは守られないだろう、街は汚れるだろう、各種トラブルが増加するだろう、犯罪も増えるだろう、簡単なことにやたら手間暇かかるようになるだろう、製品の品質は落ちるだろう、満足なサービスも受けられなくなるだろう。

ある程度のレベルのそろった単一民族の国を崩していくことは、そこに住んできた者にとって大変に苦痛なことであり、できれば今のままに保存し、引き継いでいってほしいと思う。特に私のようにこの先それほど長くはない老人にとってみれば、このまま平穏な日本でいてほしいという気持ちがある。

ここで話は変わるが、私の好きな言葉というか概念に「フールプルーフ」と「フェイルセーフ」というものがある。その反対に嫌いなものとして「精神一到何事か成らざらん」がある。
「フールプルーフ」は馬鹿対応、すなわち、でたらめな操作をしてしまっても大事に至らないようになっているシステムである。また、「フェイルセーフ」とは事故対応、すなわち問題が生じても被害を最小限に抑えられるシステムである。
この「フールプルーフ」と「フェイルセーフ」は安心をもたらすシステムである。多少間違おうが問題が起きようが何とかなる。次の手を打てる。ちょっとでも間違うと全て台無しになってしまうシステムと比べると、取り扱う者に与えるストレスは格段に低い。また、実際問題大事故が少なくなり、生産性が上がる。

しかし、日本人はこの「フールプルーフ」と「フェイルセーフ」が大の苦手である。そういう考え方をしたがらず、そういうシステムを作りたがらない。多くの日本人は私の嫌いな「精神一到何事か成らざらん」、「為せば成る」、「一発必中」などを好む。
そのため、事故が生じると実際に作業を行っている者、取り扱っている者、作っている者など、個人に対して訓練を行い、個人の能力を高めることで問題を解消しようとする。例えて言えば、自動車事故が起きたときに、事故を起こしにくいような車や道路を作るのではなく、運転手の技量を向上させて事故を防ぐという方法を選択したがる。戦いに負けても、貧弱な武器や作戦を見直すのではなく、再訓練して強い兵隊を作り、敵に立ち向かわせるという方法を選択したがる。「精神一到何事か成らざらん」と個人に発破をかける。
この方法の長所は、対策が簡単ですぐに対応でき、金もかからないことである。また、事が大事に至って責任を問われるような場合にでも、現場にいた個人を罰することで決着がつく。

しかし、実際に作業に当たる工員なり、店員なり、兵隊なりの能力を高めることで対処できる範囲には限界がある。人は必ず誤りを犯し、事故は必ず起きる。それがものの見事に表れたのが福島の原発事故である。「フールプルーフ」と「フェイルセーフ」が全くできていなかった。原子力発電所くらい大規模で、かつ危険で過激なシステムになると、個人個人の訓練や熟達ではカバーすることが不可能になる。本気で「フールプルーフ」と「フェイルセーフ」に取り組まなければならなかったが、日本人はそれが苦手で嫌いであり、放置していたところにあの地震と津波である。

そこで今、移民の登場である。仮に移民が1000万人も入ってきたとしたら、これまでの「精神一到何事か成らざらん」、「為せば成る」、「一発必中」は完全に崩れ去るのではないだろうか。そんなものを受け入れられるだけの能力の高い移民が入ってくるとは到底思えない。祖国で食い潰してやってきた移民に自覚を持たせ、能力を高めようとしてもそれは無理というものであり、何をさせても間違い多発、事故多発となるに違いない。よって、国を維持していくためには「フールプルーフ」と「フェイルセーフ」に真面目に取り組まざるを得ないのではないかと思う。移民反対の私ではあるが、一方ではその変化を日本人に期待したい気持ちがある。つまり、「フールプルーフ」と「フェイルセーフ」を進んで取り入れ、さらには、移民を使いこなすために経営者は賢く、移民を治めるために政治家は有能である日本へと変化していくことを期待したい気がする。

あるいはまた、日本の文化と伝統には底力があるかもしれず、入ってきた移民を質の高い日本人に作り変えてしまうかもしれない。私の嫌いな「精神一到何事か成らざらん」などの精神主義が脈々と移民にも引き継がれ、一層強固な文化として定着していく可能性もゼロではないだろう。それはそれで見ものであると思う。

反対に移民を大量に入れることで、日本社会が大混乱に陥り、国力が削がれ、北海道はロシアに、対馬は韓国に、沖縄や九州は中国に取られてしまう暗い未来の可能性もないとは言えない。そんな未来は私の死後でも御免である。

世の中は50年、100年単位で見ると何が起きるかわからない。昔の人は国家100年の計と言った。さて、今の日本人に100年の計を立てて国を支えていけるだけの賢さがあるだろうか。