6年前母の日は...

 

母の日どころじゃなくて...

 

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母の膵臓ガンが見つかり

近くの大学病院で余命宣告を受け

(主治医の対応にもかなり問題があり※書くと長くなるので省略)

母は手術も抗がん剤も嫌やと言い張り

 

粒子線治療に希望を見い出し

(当時は医療機関も限られていて)

ちょっと遠方にはなるけれど、

兵庫県立粒子線医療センター(山陽新幹線「相生」)で

セカンドオピニオンを受けてみようということになり


新幹線「こだま」に乗って(私も「新神戸」で合流し)

向かいました。

(※そのときの母の顔には既に黄疸が出始めていて

(本人には言わなかったけど)

日に日に悪くなっていくのが怖かったのを

今でもよく覚えています。)

 

もともと予約されていた担当医が急遽休診で

代診にセンター長

これがまず最初の運命の出逢いと言うべきか。

 

「連携している神戸大学医学部附属病院

良い先生がおられるから

とにかくいっぺん話聞いてきて」と。

その2日後に予約が入る(在り得ないスピード気づき)。

 

14時。膵臓外科T先生との運命の出逢いでした。

話は延々と続きました...

終わったのは15時半を過ぎていたと思います。

「一緒に頑張りましょう」と母の肩をポンポン。

T先生になら母の命託せる...

そう確信した瞬間でした。

 

週明けに検査入院。

検査後は一旦退院して手術日を待つ予定が

膵炎が悪化、

退院できる状態になく=手術できる状態になく

退院はキャンセル。

ガンが胆管を圧迫し始めており

胆管の通りをよくするためステント留置。

 

そのまま3週間が経過。

一日も早く手術がしたい。

 

なんとか、GOサインが出て

手術日が決まる。

朝8時半、手術室に入る。

執刀はT先生。

「終わりました」と出てこられたのが

17時半。

「膵炎が酷かったけれど

全部取り切れましたので。」と。

 

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6年後の今日、が在るのは

100%先生のお陰ハート

 

先生に救われたのは

だけではなく

 

つい先日の外来で先生思わず

「だけどよく助かったよね笑」と初めて。

 

「まだまだ長生きしてね気づき」と(今度は)母の膝をポンポン。

 

 

上差し母から届いた写メ『ミルキーリップ』

 

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今日、こんな話をブログで書いたのには少しワケがあって...

 

どうかどうか

お友だち(左差し勝手にウインク)に

良い治療が提案され

希望が叶いますように...

 

心から祈ってますクローバー