深い深い森の中で、大木が倒れる。その音を聞くものは誰一人いない。さて、そこに「音」は存在するのか?

 

という昔からの、ZEN問答みたいな命題を思い出す。

 

女優さん、モデルさんが、売れて、媒体の露出が多くなり、より大勢の人間の視線にさらされるようになると、どんどん綺麗に、美しくなる。

 

これは厳然とした事実だ。

その「存在」は日に日に大きくなる。

 

着る服、化粧などは、二次的要因に過ぎない。

 

「多くの人間に認識され、見られる事が、女優さん、モデルさんを美しくする、大きな存在にする」

 

 

見られる女優さん、モデルさんは、不特定多数の見る人間の視線によって、存在出来、育てられる。

 

 

言い換えれば、「見られる人間」は、不特定多数の「見る人間」なしには存在出来ない。

 

誰からも「見られる」事の無い女優さん、モデルさんは、存在が「無い」。

 

これは物理的な話ではなく、概念的な話。

森で大木が「そこにあっても」、「存在が無い」という事に同じ。

 

 

 

俺はそう思う。

 

不特定多数の人間の視線で、人は、存在し、また存在しない。

 

 

 

なーーーんて、ボーッと考えた。

 

ただ、それだけ

 

( ̄(エ) ̄)y-゚゚゚