・・・。
とにかく、
時というのは、身体に変化をもたらす。
(体力が落ちる、とか
病気が出る、生理が上がる、とかの
目に見えない変化もあるが)
しわが増えるとか、姿勢が変わるとか、
体形が変わるとか、
そして、
白髪が増えるとかの
目に見える変化は、やはり、
会う相手に時の経過を感じさせる。
ただそれは、
(率直に言うなら”老い”は)
単純に時の経つ”残酷さ”、とは言えない・・・
と私は思っている。
”老い”とは・・・
時の経過と共に一人の人間の身体に蓄積される、
沢山の、
経験と記憶、思考、知識。
そしてそれを以って産出される、
”何かしらのもの”達。
人は産まれた瞬間から、”老い”ていく。
”老い”ながら、日々蓄積する様々なものを、
人の身体という土壌に根を生やし、育て、
豊かなものにしていく。
時の経過と共に蓄積していく経験や知識を栄養にし、
葉を生やし、花を咲かせ、種を作り、
そして種をまいていく。
一人の人間の身体は、
様々な経験・知識・記憶・思考で
いっぱいいっぱいに満たされて、
その人となりを形成していく。
形成された”その人”らしさが
周りに影響を与え、
周りはその人に魅了されていくのだ。
老いは、究極、
生きた分だけ手に入れることのできる、
人間の深み、だと
私は思っている。
勿論、時が経つことの
残酷さや憂いみたいなものは
確かにある。
自分以外の物事は、(自分ではどうにもできないことは)
自分とは別のところで勝手に移ろっている。
時間は巻き戻せない。
時が経つことで、希望を絶たれたり
永遠になってしまったりすることも
たくさんある。
だけれども、時の経過が私達に与えてくれる
沢山の経験が素晴らしいことは
きっと誰もが知っていることだろう。
自分自身のことも、
人との出会いも、
生きながら人と紡ぐストーリーも、
人が生み出したものから受ける様々な影響も、
私自身がこの世に生を受け、存在し、
経験していかない限り
今日にそれ自体が存在することはない。
産まれた瞬間から蓄積されていく
”経験・知識・記憶・思考(=老い)”は
かけがえのない、尊いものだ。
あとは、
その”老い”自体を、土壌となるその人自身が
どう生かし、どう生きていくか、に委ねられる。
尊い”老い”は、
私に何をもたらすのか。
一般的に、なぜか”老い”が持つ意味はネガティブで
どちらかというと”若さ”というものの方が
称揚されがちだと日々感じる。
前の記事(憧れの白髪①)でもうっかり書いてしまうほど
私達は
「若々しい」とか
「体形維持」とか
当たり前のように使ってしまう。
空しいかな、そんな固定観念の中に、
私たちは生きている。
”老い”に生命の美しさを感じる私でさえ
無意識に、
若さの魅力に取りつかれているようだ。
無意識の部分すら、
若さへの魅力に取りつかれた我々の意識を
打ち砕いていくことは難しいように感じるが・・・
(そこは敢えて打ち砕く必要もないのかもしれない)
”老い”る事でしか手に入れられない魅力があることも
確かではあるはずなのだから、
私達は日々時間の経過とともに歩む”老い”を
もっと自分自身のことと捉え
”老い”自体に寄り添い、
時を・歳を重ねていけることの喜びを感じて生きる方が
幾分幸せなのではないかと思ったりする。