”確信”していた? | 学ぶ、敬う、そして。

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元・片想い日記。遥か昔、大学生の頃、同性の先生に恋をしていました。2010年の初期は、先生への恋路ブログでした。先生への恋は叶わなかったけど、それ以降同性パートナーオンリーの日常です。永らく休眠してましたが、2019年ブログ再開→頓挫→2023ぼちぼち再開。備忘録

こんばんは。

 

さっき、昔の記事を読み返していたら

ドキッとする文章を見つけました。

 

 

2010年1月25日、

先生と授業で会える最後の日。

放課後、私は、先生にくっついて一緒に帰ろうとしていました。

駅までご一緒させてもらえたら、と思い、

付いていった結果

なんと

最後の晩餐をさせていただくことになったのです。

 

思いがけない流れに

混乱と興奮で帰宅した私。

「告白できず残念だった、けれどお食事に行けて嬉しかった!」

というような内容の記事を

1月26日にUPしていました。

 

そして、今日、

その次の1月29日の記事を読んでいたら

引っかかった文章がありました。

 

それは

 

 ”だって、告白こそ出来なかったものの、

  気持ちはもうバレバレみたいだし!

  (最後に会った日、そう確信したんです^^)”

 

 

という文章です。

 

 

29日のブログの内容は割愛しますが

ここの、この”最後に会った時、そう確信したんです”という一文。

 

 

これ、書いたの私ですし、

私の主観なんですよね。

 

 

 

 

…。

 

 

でも、思い出せないんです。

 

なぜ、私は、

先生が私の気持ちに気付いていると

”確信”したのでしょう。

 

 

客観的に見たら、

私の気持ちってすごくわかりやすかったかもしれません。

でも、発信してる、当の本人には

なかなか測れないものなんですよ。

 

・・・なぜ、気づいていると確信したのか。

 

絶対何か、根拠があったはず。

 

・・・。

でも思い出せません。

 

もったいない。

 

なんてもったいない。

 

 

 

そして、

私が”確信”したのにも関わらず、

それに対して、良くも悪くも、扱わなかった先生は、

やはり、私の気持ちには答えない、

という選択をされたわけです。

(普通に考えて、当たり前なのですが。)

 

 

 

ただ、私は好意を全開にしていたけれど

直接伝えることはなかったので、

先生のほうから、

そういう話題に触れることはしなかったわけです。

腫物に触る的な。

 

 

当然といえば当然だけど、

 

私が動かなければ、話は進行しなかったのですよ。

悪いほうにも、いいほうにも。

 

 

 

 

うやむやにしたかったのは

 

私のほうだったのかもしれませんね。

 

 

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