ここに来るのは、もう何度目になるだろう?自らもクモ膜下出血のオペでお世話になり、父親がガンを発症し、再発を繰り返しながらも8度目の夏を迎えた。
青天の霹靂。そんな突然の出来事ではなく、父にとってボクら家族にとっての「死」はいつも身近にあるものであり、決して非現実でなく、自らの命がなんの根拠もなく平均寿命・・・・・・あわゆくば、それ以上あるものだなどの錯覚が入り込むような夢の世界の出来事ではない。
父のガンの発症を知った8年前。家族全員が絶望の淵にいた。しかし、今回のドクターからの経過説明の中でも語られたように、父は幾度となく難局を乗り越えて今日まで命を紡いできている。
その中で、いつしか以前より「死」というものが、非現実の側に傾きかけて、どこかでまた奇跡と呼べないほど簡単に奇跡もどきが起きて、父の体も平静に戻るような錯覚をしてしまう事が、多くなっていた気がする。
その結果、「死」と向き合う父に寄り添う気持ちも薄れていたように思う。病気と向き合うのは勿論本人であり、本人の生命力が病に勝るか否か?生き死にってプロセスを抜きにすれば、案外シンプルなものだったりするのは、自身、くも膜下出血から生還した時に、身を持って感じた。
何度も苦痛を伴う前向きな治療に身を投じてきた結果、ふっきれたというか、あきれ果ててしまったかのような父の笑顔の中の孤独さを垣間見た時 自身経験してきた、一人でいる時に覚える不安や孤独感などに支配される闇の様な瞬間を忘れ、どこか薄情になっていたことを思い知らされた。
どんなかたちであれ、生きていて欲しいと願うのは、周りの・・・・・・
ボクのエゴでしかないのかもしれない。しかし
「先生には何度も救われました。また今回も助けて下さいね。ワシ頑張りますから」
と父自身がファイティングポーズをとり続けた以上、セコンドであるボクら家族は決してあきらめず、リングにタオルを投げず、父の生きざまをしっかりと目に焼き付けようと心に誓った。
それにしても、晴れ晴れとした天気の時も、曇天の時も、雨の時も、病院っていうのはいつ訪れても、パッとしない場所である。
