― 模諜枢教 ―

 

 押し開けた扉に片肘ついたテギョンは、片側の口角を上げている。

 よろけたのでも、見えずに手を突いたのでもない。

 先ほどとはまったく違う姿に、戸惑いを覚えずにはいられずに凝視する。

 その視線とテギョンの視線が交差するのだ。

 何も映さず、ただ暗く澱(よど)んでいただけの目が、今や輝きを放ちミニョを見つめている。

 

 「・・・・・・見える・・・・・・の?」

 

 ミニョは戸惑いながらも顔を輝かせる。

 ゆっくり、だけど颯爽と近づいてくるテギョンに胸が高まる。

 テギョンの指が、しなやかにミニョの鼻の頭をスッと弾いた。

 

 「見えている。」

 

 グッと寄せられた顔にドギマギしてしまう。

 二人だけの世界、戻ってきたテギョンが嬉しくて涙が滲む。

 でもそんな感動も消し去るここは模諜枢教だ。

 

 「何があった?」

 

 シヌはゆっくりと近づいて、固まってしまったミニョに代わって訊く。

 テギョンはミニョに近づけていた顔を、首を折るようにしてシヌに向けた。

 

 「この数日の事を覚えているか。」

 

 まっすぐに立ったシヌが落ち着いた声で訊く。

 

 「覚えている。」

 

 そう返したテギョンの声も落ち着いている。

 ミニョは驚いた後でホッと息を小さく落とした。

 これまでのテギョンなら頷くか首を振るか、目で語るかのどちらかだが、今のテギョンは話すのかと驚いて、記憶があることに後から気が付いたのだ。

 これで何があったのか分かると安堵したのだ。

 だがジェルミは、むしろその記憶に反応した。

 

 「だったらミニョの首の跡を見ろよ。」

 

 ジェルミはミニョの首を指さした。

 テギョンはその跡を見ようとしてか、ミニョの顎を掴むと右に左にと倒して首に触れる。

 

 「そんな風に触るな。」

 

 顔を赤くしたジェルミは、怒りに震えている。

 

 「それこそミニョが分からなかったって証拠だ。」

 

 ジェルミの勝ち誇った顔。

 

 「ジェルミ、テギョンさんは見えてなかったのよ。」

 

 ミニョの訴えは逆にジェルミを焚き付ける。

 

 「見えてなくても声は聞こえていたはずだ。」

 

 苛立つジェルミは、ミニョがテギョンを庇う事が我慢できないし許せない。

 首を絞めたんだぞとミニョを見る。

 ミニョはとっさに首を手で覆って指の跡を隠した。

 そしてテギョンは煩わしそうに手を振り払う。

 

 「あ~~うるさい、今はお前の声もはっきり聞こえている。」

 「まさか、目だけでなく耳も耳も聞こえていなかったのか。」

 

 シヌはそう言ったがその顔はやはりって顔だ。

 

 「なら、・・・・・・どこにいた?」

 

 これにテギョンは困ったように目を細める。

 何をどう話せば通じるか、自分の見ていた世界を信じられるだろうかを考える。

 

 「言えるわけがないさ。

 見えずに西京から模諜に来ることなんてできないんだから。」

 

 ジェルミはまだ怒りを抑えられずにがなり声だ。

 それをうるさそうに見たテギョンだったが、相手にならないといった感じで顔をそむけると眉を寄せた。

 

 「どこに か・・・・・・」

 

 それがどこなのかはテギョンも知らない。

 分かっているのは子供の頃にも居た事がある場所ってだけだ。

 

 「・・・・・・昔、あの蛇の小屋に居た頃に行ったことのある場所だといえば信じるか。」

 

 少し考えてから答えたテギョンは真剣な顔だ。

 

 「それはどんな所だ。」

 

 間を置いて訊き返したシヌに、テギョンは顔を曇らせる。

 

 「ほら、やっぱり言えない。」

 

 横からジェルミが口を挟む。

 テギョンは細めた目をジェルミに向けたが、また逸らして結んだ口を左右に動かす。

 

 「そこは、・・・・・・地獄だ。」

 「地獄!?」

 

 あり得ないってジェルミの声にざわめきが被さる。

 だが落ち着いた声でシヌが言い返した。

 

 「地獄のような場所、って事か。」

 

 テギョンの生い立ちを思えば地獄に居たと言うのも信じられる。

 ただ、その子供の時に居た場所に、今また行くことになったのか。

 シヌは言った後でテギョンを見つめた。

 テギョンの変化をどう捉えるべきか、その地獄こそが彼の修行の場だったのではないか。

 シヌはテギョンを見つめながらそう考えたが、それは口にしなかった。

 それにシヌが訊いたとしても、そこで修行をしていたわけでもないテギョンには答えられなかっただろう。

 テギョンが火神でなければ耐えることなどできないだろう場所であり、出口のないその世界では自分を見失ってもおかしくない。

 そこで感じる無常や無限は、十分に修行と呼べるものだが、それをテギョンが知るはずもない。

 「じゃあテギョンさんはずっと別の場所に居て、私の姿は見えてなくて、声も聞こえてなかった、ってことですよね。

 つまり、私を誰かと間違えたわけじゃない。」

 

 テギョンに確認するように訊いたミニョは、最後の言葉はジェルミに聞こえるように言った。

 

 「だけど握ったんだ。

 見えてなくてもその手が絞めたんだ。

 こうやって首を!」

 

 ジェルミが自分の手で自分の首を絞めて見せる。

 

 「違う。」

 

 テギョンのよく通る低い声が響いた。

 

 「いや違わないか、だが俺は首を握ったんじゃない。

 俺の手が掴んでいたのは砂塵だった。」

 「砂塵・・・・・・砂?」

 

 ミニョが目を丸くして訊き返す。

 

 「縹炎・・・・・・の ような?」

 「・・・・・・縹炎よりひどい。」

 

 思い出そうとするテギョンは苦悩に顔を歪ませる。

 

 「・・・・・・至る所で火が燻っている。

 焼けた砂、熱をはらんだ空気が纏わりついて息苦しい。

 ・・・・・・前に進もうと遮る砂を払おうとして、」

 

 テギョンは自分の手を見つめ思い出す。

 

 「・・・・・・俺の腕を打つ砂・・・・・・水。

 ・・・・・・濡れて・・・・・・」

 

 テギョンは額を抑えてあやふやな記憶を取り戻そうとする。

 

 「・・・・・・水・・・・・・なみだ。

 あれは、・・・・・・おまえの涙。」
 

 テギョンの目がミニョを見つめた。

 

 地獄とも呼べる場所に二度行った。

 そして二度とも戻ってこれた。 その両方にミニョが絡んでいる。

 ミニョがいなければ戻れなかった。

 

 テギョンはミニョに向かって笑顔を見せた。

 これまでに一度も見せた事のない心からの笑顔だ。

 ミニョはその笑顔に口をポカンと開けて見惚れてしまう。

 頭の中ではこれまでとは全く違うテギョンに、正直困惑しているし、戸惑ってもいるのに、それを吹き飛ばすだけの破壊力が目の前のテギョンの笑顔にはあった。

 

 ―― コホン

 

 ミニョが固まっているのを見て取ったファランが咳払いをする。

 その咳払い一つで、それまでの和んでいた空気が一瞬にして緊張の色に変わる。

 先ほどの異様なテギョンではないからこそ、これが母と子の初対面という事になる。

 テギョンはミニョの肩を掴んで引き寄せると、守るために自分の後ろに隠した。

 黒衣のファランは冷ややかに見下ろしている。

 初めて見るだろう我が子に何の感情もないかのようだ。

 だがテギョンもまたこの対面に冷静だった。

 ただ、見返した目はファランよりも静かな怒りを抱いていたが、それは当然と言えた。

 

 生まれたばかりで獣だけが棲む山に捨てられたのだ。

 憎んでも恨んでも、許せるものではないだろうことは、誰もが感じている事だ。

 だがそんなテギョンに感情的になる者がいる。 ジェルミだ。

 この時ジェルミの心境を、これまた誰もがほとんど間違うことなく理解している。

 ジェルミはテギョンに取って代わった継承者であり、すべてをテギョンから奪ったようなものだが、ミニョは奪われたのだ。

 だからきっとジェルミはテギョンが嫌いなのだろう、といったような事だ。

 だがこれは兄に対抗する弟のような構図が浮かんでくる。

 

 「話し出す前に火功で点けた火を消すのが先だ。」

 

 ファランのように冷めた目ではなく、テギョンのように感情の見えない顔でもなく、ジェルミは鼻息荒くそう言った。

 だがこれにテギョンは『はぁあ?』と問うように口を開け、肩をすくめて馬鹿にする。

 

 「それはどういう意味だ。」

 

 ジェルミがワナワナと震えて言う。

 周りからは兄が弟をからかっているとしか見えない。

 テギョンはファランに対しては冷たい顔だが、ジェルミに対してはその冷たさはない。

 

 「そのまま、何が言いたいのか分からないって意味だ。

 俺が火を点けたってのは、どこから出てきた話だ。」

 

 呆れたように返すテギョンの袖を、ミニョが後ろからクイクイッと引っ張った。

 

 「実はテギョンさんが休んだ場所と蝋燭に火が灯った場所が同じだったからだと・・・・・・」

 

 説明するミニョにしても半信半疑だ。

 

 「休んだ? 俺が?」

 

 テギョンに訊き返されてミニョは頷きはしたが、テギョンと共に考え込んでしまう。

 見えていなかったのだから、どうやってそこに行けたのかと思ったのだ。

 ミニョは前髪をクシャッと乱して説明する。

 

 「え~っと、それはつまり、見えてないけれどここを目指してのだから考えがあった。

 でもまっすぐじゃなくて、途中で右や左に折れて休んでた。

 休んでいたのかどうかは分からないけど、まっすぐに来なくてその、うろうろしてたのはどうして?

 何が、見えていたの?」

 

 蝋燭の火よりもそっちの方が気にかかるミニョは、真顔でテギョンの袖を握り締めている。

 

 「休んだ意識はないが、何かを考えるのに移った場所なら、そこが熱くなかったからだ。」

 「あ つ く・・・・・・?」

 

 ミニョが小首を傾げて訊き返す。

 

 「俺が居た砂の世界は、至る所で火が熾っていた。

 熱く、息さえ燃えているような所だ。

 そんな中で、火のない場所を選んだわけだが、この世界では火が灯っていたわけだ。

 それは面白いな。」

 「面白い・・・・・・?」

 「ああ、俺のいた所とこの世界は、連動しているって事だからな、面白いだろう。」

 

 テギョンの指がミニョの頬を軽くつねるから、ジェルミの目が吊り上がる。

 だがそんな事はテギョンは一向に気にしない。

 

 「つまり、テギョンさんのいた世界と私のいた世界は、どこかで繋がっていた・・・・・・」

 「ミニョ!!」

 

 少し嬉しそうに考えるミニョをジェルミが呼ぶ。

 そんな話は信じられない、ミニョも信じるなって顔だが、

まだ分からない事ばかりなのにと、ミニョは困ったように眉を下げ、テギョンはどうでもいいと相手にしない。

 テギョンの視線は再びファランに向かった。

 

 「俺は模諜の都などどうでもいい。

 焼けようと流されようと構わない。

 火が消えないにしても俺のしたことじゃないし、知ったことじゃない。」

 

 ファランを見据えたままでテギョンが答える。

 

 「俺を捨てた事も、殺そうとしたことも、恨んでもなければ憎んでもいなかった。

 だから親を探しもしなかった。」

 

 この告白にファランの眉がピクリと動いた。

 

 「だがミニョの事は別だ。

 ミニョを守るために必要なら、俺はこの都を焼くことも厭わない。」

 

 テギョンの纏う空気が一瞬にしておどろおどろしく変わり、手にした剣が青い炎に包まれる。

 ファランの手がサッと上がると、潜んでいた教徒たちが姿を見せて取り囲む。

 一触即発、その時、何かが爆発したような音が立て続けに聞こえてきた。

 その場は騒然となりながらも教徒たちは構えの姿勢は崩さず、剣に手をかけテギョンと向かい合ったままだ。

 ファランだけは少し慌てた様子でいくつかの指示を出すのにテギョンから目を離していて、ジェルミはファランを守ろうとしてか仁王立ちだ。

 そこに駆け込んできた教徒が爆発を告げ、次の教徒が模諜の都の至る所で起こっている火事を告げる。

 

 「火事! 爆発!? 一体何をした!!!」

 

 ジェルミがテギョンに向かって声を荒らげ、ミニョは感情的にならないでと、後ろからテギョンの袖を掴む。

 

 「消火は?」

 

 ファランの声が響く。

 模諜の都の大火こそがファランが危惧していた事で、そのための準備に怠りはない。

 都に配置されていた教徒によって消火そのものは難しくないと伝えられると、ファランは小さく安堵の吐息を落とした。

 だが伝達役の教徒は続ける。

 

 「爆風によるけが人が多数出ている模様。

 このままでは救済所はすぐに手一杯となるかと。」

 

 目を閉じてその報告を聞いていたファランは、ゆっくりと目を開けて伝達役の教徒に言う。

 

 「必要とする人員をまわしなさい。

 そうして、一層気を引き締めるよう伝えるのよ。

 これで終わりとは限らないから。」

 

 最後の言葉は、テギョンの方に顔を戻して言う。

 その目はこの火事も爆発も、テギョンによって引き起こされたと断定している。

 テギョンの剣は青い炎に包まれたままで、いかにもそうだと言ってるように見える。

 そしてその表情も、纏う空気も復讐の鬼のように殺気立っている。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

遅くなりました。滝汗

水曜には更新しようと思ってたのに、

木曜になり金曜になり、土曜になって11時も過ぎてしまった。ポーン

自分で言うのもなんだけど、

いったい何が言いたいのって文がダラダラとあってゲッソリ

いや確かに首が痛かったけど、だからってこれはひどいって書き直すのに時間がかかってしまいました。

 

その原因となった寝違え、

これって寝違えですかって医者に訊くほどひどかった。

でも今は随分と良くなりました。

イタイって電光のような矢が、首から頭にかけて射られる。

それがひっきりなしだったので、頭も働かなかったのだけど

少しずつ矢の回数も減り、今は時々までに回復しました。

続いているのは首のだるさで、これには時間がかかると言われた。

私は元々首の骨に歪みがあって、

(痛みの出た場所とは違う場所なんだけど)

そっちの影響もあるとのこと。

 

寝違えのはずがチーンこんなことになるとは・・・・・・

恐るべし寝違え、

恐るべしファン・テギョンって事で次回に続きます。真顔

 

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