本牧徒然雑記。「7月暦絵。・慶應義塾大学経済学部C組」。

1960(昭35)年4月、僕は慶応・経済に入学しました。第二外国語はドイツ語のクラス。

先ず触れなければならないのは日本中が「安保反対」で沸き立った「60年安保」の春だったことです。授業は普通に進められましたが、クラスでは討論会が度々行われ一度は国会へのデモにクラス参加しました。シュプレッヒ・コールだけの平和的な行進で、社会党等の国会議員が何人かデモ隊を歓迎して出迎えていました。学生や労組の盛り上がりに大きな期待をかけていたのです。

早大等に比べて慶応は明らかにおとなしい方だったのですが、それでも学内全般が「安保反対は塾生の常識」の雰囲気でした。

デモ隊の運動は急速に尖鋭化して遂に6月15日の「樺美智子さんの死」がその頂点でした。

批准後は岸退陣・池田内閣「所得倍増計画」と、今度は運動が急速に衰退して経済重視・高度成長時代の日本になっていったのです。実に大変換の年でありました。

70年安保との大きな違いは国民の幅広い層の支持を得ていたことでした。

その要因の一つは「反米」よりも「反旧体制・反岸」の気運にあったように思われます。

僕自身も社会主義に関心を持っていたものの、決して反米ではなくむしろ親米・反ソ。

冷戦下の日本では最小限の防衛力は致し方なし。軽軍備の「吉田ドクトリン」の考え方です。

一番嫌悪したのは保守右派の「逆コース」路線。戦争に導いていった「皇国史観」のような「反知性」の政治家達です。戦後15年、岸首相に代表されるこれらの勢力が不死鳥の如くに復活してきているとの危機感でした。自民党はその後の経済立国・高度成長があったお陰で、主流派に先導された「資本主義政党」にやっと脱皮できたように思います。それまでは旧態依然の政党だったのです(最近また「先祖返り」の懸念がある。これについては別に触れます)。

「極論」に対する警戒は左派に対しても同様に抱きました。

社会主義・共産主義に対する疑念が決定的になったのは、一年生の時の「歴史学研究会」と二年生時の「ベルリンの壁」でした。

僕は「歴史学研究会」に入会しました。高校時代に出会った「一橋大・上原歴史学」(4月暦絵記載)的な歴史学をもっと知りたいと思ったからです。ところが、この会は左派学生達の溜まり場でした。「日本資本主義論争」とか「革命論」とか難しい問題を、深く勉強した訳ではないのは新入生にも分かるような生硬で不毛の議論で延々と続けているのです。僕は呆れて傍観していました。

年末から課せられたテーマが日本戦後の平和教育のスタートとなった教科書「くにのあゆみ」についての論考だったので、一年生の終わりにその小論文を提出して早々と部との縁を絶ちました。

論文を読んだ幹部から再入会の誘いがありましたが、虎口を逃れる思いで断ったのです。

部はその後「70年安保」の慶大の拠点になったようです。

暴力と挫折と社会からの総スカンに終わったのは当然の結果だったのです。

翌年築かれた「ベルリンの壁」は社会主義国の正体の決定的な露呈でした。

ひと言でいえば「言うこと」と「やること」の大違い。

それ以前から共産中国訪問団のすっかり洗脳された報告(例えば50年代末の「大躍進」さえ美化された)に疑問を持ったり、ソ連の国連での拒否権乱発に「信用できない国」との印象はぬぐえません。

記憶に残る報道もありました。朝日新聞記者のソ連体験記です。国内旅行の宿泊で暖房も温水シャワーも不良、電球も切れている。堪りかねて管理人室に文句を言いに行ったら管理人(当然役人)の部屋は暖房ポカポカ電灯煌々で、「ああ、これが社会主義か！」と痛感したとの内容でした。

こうした下敷きの上での「ベルリンの壁」ですから僕には決定的でした。

本当に自己讚美できるような国家・社会だったら何故「壁」を作る必要があるのでしょうか？

しかも「防護壁」ではなく、壁を乗り越えて脱出する人々を射殺する「壁」です。

「壁」は国内の実態という「真実」を証明していたのです。

テレビの「古民家再生のカールさん」は「壁」依然の青年時に境界の川を深夜泳いで西ベルリンに逃れたそうです。当時の東ドイツはこの読書日記でも何冊か読んでいます。

もっとも経済学の範疇では「近代経済学」にも何かピッタリしたものが感じられませんでした。

強いていえば「思想の欠如」でしょうか(但し英文の近経教科書ポール・A・サミュエルソン「Economics」の新鮮さは特別なものでした)。

当時はゼミの1/3位は慶大でも「マルクス経済学」であり、「マル経」を勉強した事のない「近経」の教授は稀ではなかったでしょうか。僕は迷った末に三年生・三田に移ってからのゼミは「マル経」を選択しました(これは失敗でしたが次回で書きます)。

つまり現実の「政治・社会体制」は別として、基礎的な経済学(史的)理論としての「マルクス経済学」への関心であり、ごく単純な意味での「唯物論」・「剰余価値論」、そして下部構造が歴史を動かす原動力であるとの考え方への共感だったのです。一年生の夏休みから年末にかけて読んだのが「資本論」(但し第１巻のみ)とその後に読んだ何冊かの関連書。歴史や人間活動の根源は「経済そのもの」との思想です。

それは資本主義が商業資本や金融資本に覆われることがあっても、原動力はあくまで「産業資本」であり「生産活動」によって支えられている、勤勉実直な生産者の活動の上に成り立っているのだとの観念に通じます。この考え方はずっと現在の僕にまで続く「哲学」なのです。

その後に知ってマルクス以上に関心を持ったM・ヴェーバーは、「プロテスタンティズム」とか「エートス」とか上部構造的要素主体に論じていますが、基本的に「労働そのもの」に価値を置いているので僕の中では矛盾しません(「ヴェーバーがもし長生きしたらナチズムへの態度はどうだったか？」みたいな最近の研究があるようですがそうした「if」は論外として…)。

元々が貧しく悲惨な人々への同情・ヒューマニズムから発したと思われる社会主義・共産主義の思想と経済体制は結局のところ「全体主義」という上部構造(政治体制)に支配されたから、そしてそれが不可避的な「本質」であったから瓦解したのです。

それが実現したのは30年後のことになりますが、既にその予兆はあったということでしょう。

それにしても一触即発の「キューバ危機」等も実際にあったのです。

いま思い返してみれば世界はよくぞこの冷戦時代を乗りきったものと思います。

僕は経済学に対して興味を深めると共に他の分野でも新しい知識を求めました。

他の授業では「社会学」(「中間階層論」)や「宗教学」(「最高存在論」)といった分野が非常に面白かったし、読書、音楽、映画等は「趣味」として自由に楽しみました。

といっても今の若者達ほど多彩な世界に囲まれている訳ではありませんから、地味というか組織に属さず個人的な範囲での狭いものでした。

そうした中で忘れられないのは「松本」での経験です。

僕の一年生がちょうど信州大学医学部の兄の六年生でしたから、夏・冬・春の休みの殆どは兄の下宿で過ごしました。浅間温泉の裏山でスキーを単独練習した後、兄とその友達と野沢温泉などへ。山は夏の白馬岳。浅間温泉の共同浴場や、遠い親戚の経営する老舗旅館でご馳走になったり、まだ観光地にはなっていない安曇野で釣りをしたりと、それまでに経験したことのない環境で「松本」を楽しみました。

兄のコレクションで一番気にいったのはオイストラフのベートーベン「クロイツェル・ソナタ」。第一楽章の「プレスト」は青春の新しい生活での不安に揺れる僕の心に響いて繰り返し聴きました。

同様の気持ちに襲われたのは映画館で観たアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」。

冬の夜遅くバスから降りたら零下8度だったり、兄の友達に誘われて慣れない酒を飲んで人生初の二日酔いを経験したりと、こうした若き日の思い出は褪せることはありません。全てが新鮮でした。

でも、その30年後に自分の息子が兄と同じ学部生となったので、「松本」が夫婦で頻繁に訪れる更に親しい街になるとは当時夢にも思っていませんでした。

「夢にも思っていなかった」事はそれだけではありません。

現在の世界と日本は、60年以上前の僕には「夢にも思っていなかった」ことばかりです。

情報化社会がその典型例でしょうが、僕らの世代の一例を挙げれば「福祉国家・日本」です。

一年生最初の「経済原論」の授業は「社会保障か再軍備費か？」のディスカッションでした。

当然、圧倒的に社会保障の充実にあてるべきとの結論で、これは国民の総意でもありました。

「社会保障」と呼べるような制度らしきものは未だ未整備状態だったのです。

そして翌61年4月は「国民皆保険」の発足日。「福祉国家・日本」の画期的な第一歩でした。

3月末に20歳を迎えた僕はその一期生だったのです。(ちょうど47(昭22)年4月小学校入学で「新制度教育・第一期生」だったのと同じように。僕らは「戦後日本の時代の子」だったのです)。

当時、自分の将来についてどんなことを考えていたのでしょうか？

漠然と「サラリーマン」とは思っていたでしょうが、特段の方針はない「いい加減」な若者でした。まして

「老後」なんて、80歳を越えた自分なんて想像の域を超えていました。

そして今日。「福祉国家・日本」のお陰で安楽な毎日、無責任なブログを書いている自分があるのです。その裏では莫大な借金を次世代に残して…。「思ってもいなかった」事の極みといえましょう。

次回は「8月暦絵」に続けます。

画像は本牧山頂公園への我が家からは一番近い入口「ハロー坂入口」。

名前の由来は米軍占領時に将校家族ハウスの敷地だったので「ハロー坂」。

高度差僅か4～50mの上り坂で、散歩での静かな馴染みのコースです。

なお、不用画像(文庫本)が入ってしまいました。この本についても書いたことがありますが、削除方法が分からないのでそのまま送稿します。

(7月5日掲載)。

「7月暦絵」。