本牧読書日記。王育徳「「昭和」を生きた台湾青年」

・日本に亡命した台湾独立運動者の回想1924→1949(草思社)。

著者・王育徳(1924-1985)は日本統治下に生まれた台湾人。本書は彼の自叙伝である。

旧制台北高等学校から戦時の43年に東大文学部に入学したが翌年疎開で帰台。

戦後国民党軍による二二八事件で49年日本亡命。東大再入学・中国語学・文学博士・明大教授、著書多数。学績もさることながら「台湾青年社」を設立して台湾独立運動主導者として有名。台湾に戻れないまま後半生を独立運動に捧げたのである。

彼が生まれた時の台湾は日本の植民地統治が始まって30年。児玉源太郎、後藤新平達の施政方針で「台湾人は自分たちの慣れ親しんだ習慣を捨てることなく、日本によってもたらされる近代文明をごく自然に取り入れていくことができた。産業、行政、交通、衛生、教育など、ありとあらゆる分野における進歩を短期間に本島人(台湾人)は日本人(内地人)から与えられたのである」(本書p.129)。

彼の少・青年期は家庭における「旧習」と学校での「新世界」との混成生活であった。

生まれは台南市の裕福な商家。父親は正妻の他に2人の妻を持ち、本人は第二夫人の次男。多くの異母兄弟・姉妹と同じ屋根の下に住む。広壮住宅なのでそれぞれが一家族を成し実の母・兄・姉には特別な尊敬と愛情を持つが、戸籍と社会的には全員がひとつの大家族とみなされるのである。

父親中心の台湾富裕家庭での「旧生活」。例えば祖母他界での街をあげての盛大な葬儀や同じ学校へ通う異母兄弟とその母親をまじえての確執・トラブルなど、苦くまた懐かしい追憶である。

一方、本人が学ぶ進学校では「良き日本人」を育て上げようとの日本人校長・教師の熱意のもと、本人も期待に応えて成長を遂げていく。「強制」の感覚はない。努力や秩序を重んじる精神に共感して「新しい世界」の生活習慣や学習を身につけていくのである。これが著者の終生の思想の基盤となった。

京大を出て台湾人初の検事になった実兄(画像・表紙・中学生の本人と一緒の写真。後に二二八の犠牲者となった)からの影響も大きい。関西に嫁した姉の家庭を訪ね各地を訪れた兄弟2人の日本旅行の感激は実に新鮮であった。「憧れの日本」なのである。

話は先に飛ぶがこのように日本人化した台湾上層階級の生活が一変したのが敗戦である。本書p.205「結局、台湾人知識層は日本の敗戦で自分の築いてきた人生、これから築こうとした門出をご破算にされた。東大生も京大生も私大生も区別なしだ。法学部であろうと経済学部であろうと文学部であろうと同じことだった。なぜなら、台湾人は日本人と共に敗戦を経験しただけでなく、戦後支配者が日本人から中国人に代わったために、築き上げてきた全ての社会制度、価値観を破壊されてしまったからだ」。

二二八事件は47年に起きた。まだ中国本土で国民党(蒋介石)軍と共産党軍が戦っていた時期である。台湾に先駐した国民党軍は統率のとれない粗野な軍隊で横暴な行動が目立ち台湾人の反感を買った。

事件はタバコ売りへの役人の暴力から火がついたのだが、戦後混乱期の中・台反目が背景をなしていた。特に日本人価値観を植え付けられた上層市民が抱いた違和感が大きかったのだろう。殺害され未だに遺体が見つからない実兄や著者のような亡命者もそうした「時代の犠牲者」だったのだ。

もっとも元々日本人と台湾人が完全に融和していたかといえば、当然にそうではない。

台湾人も元来が福建省などからの中国人移住者の末裔である。

日本人との差別も強かった。p.87「私が学校に上がった当時、台南市は人口10万(うち日本人は1万5千人)で、2つの小学校と5つの公学校があった。小学校と公学校の区別は前者が主として日本人子弟を収容するのに対し、後者は台湾人子弟を収容する点にある」。つまり少数のエリート台湾人だけが日本人に近かっただけなのである。子供の頃から区別されていた。

この辺の事情が37年日中戦争開戦以後、著者の中学時代から学生間でも露呈してきた。

日本人、台湾人それぞれのグループが相手の下級生を暴力制裁し、次はその加害者グループを相手側の上級生グループが報復制裁するといった際限のないトラブルの続発である。

「日・台の新世界」と思っていた階層でも民族意識と旧弊が復活したのである。

「民族融和」の「建前」が崩れ始めていたのである。

本書は読んでいて実に面白い本であった。波乱の人生を語る語り口が上手であることと、著者の日本に対する好感が溢れているからである。過去にどんな事情があったにしても好感を口にして貰うと快いものである。「台湾には親日家が多い」とはよく聞く。

今日、時として反日感情が先鋭化する中・韓に比較して確かに台湾には温和な印象がある。

しかし著者のようなタイプの親日家は李登輝を最後にして20世紀で終わっているのではないだろうか？訪日台湾観光客の日本観はきっとかつてのそれではない。共に産業立国としてお互いの良い点を認め合う対等の関係であろう。韓国とも同様である。決してアナクロニズムに陥ってはならない。

僕が本書を読むに至った動機は昨23年11月ブログ「ひとり遊びぞ我はまされる」に書いた。

そこでの川本三郎も丸谷才一も「大人(おとな)」である。

僕の解釈での「大人」とは、立場も経歴も思想もそれぞれに特色と違いがあっても、年月を重ねるに従って次第に理解し合う仲になることである。

本書には著者・王育徳の娘の近藤明理さんの解説がある。

それによると、王育徳は台湾独立運動でややもすると先走る若い同志を抑えて、難しい組織運営を貫徹したという(会は死後の92年に解散)。そして最後の大仕事として成し遂げたのが、国籍がないために何の弔慰金も受けとることがなかった2万8千人の戦死した台湾人日本兵の為に奔走し、遂に自民党から共産党まで国会全会一致の可決で法律化したという。この法律を「戦後日本で制定された中で一番良い法律だ」という人もいる。一般からも3千500万円余の当時では多額の寄付金が寄せられたという。

だから僕は王育徳も第一級の「大人」として評価したい。その意味でも良い本であった。

こうした本から本への「連鎖」は読書の大きな楽しみのひとつだ。

丁度街から街に歩く旅の喜びと同じである。

これからも是非多くの「大人の物語」に出会う旅にしていきたい。

先月、台湾総統選挙があり民進党政権が継続された。

一方、議会は与党過半数割れ。台湾有権者のバランス感覚が働いた結果であるという。

台湾海峡問題は台湾人も日本人も「現状維持」を望んでいることは明白である。

「現状変更」のいかなる微小な動きも大事に至る危険をはらむ。

実にセンシティブなバランスなのである。

泉下の王育徳氏はいかに見守っているのだろうか？