本牧読書日記。國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)。

「言語が消滅する前に」(23年3月ブログ記載)で初めて読み注目した著者・國分功一郎。

本書は彼の上梓活動の原点ともいうべき11年初版のベストセラーである。

書名からの第一印象は「暇と退屈」が満ち満ちている老年者向きの本に思える。しかし違う。

大学に入り暫くして最初の「サリエンシー(興奮状態)」にも習慣的に慣れだした頃(我々は「習慣」によってサリエンシーから身を守りつつ生きている)の若い人が感じる「暇と退屈」なのである。

著者の明治学院大、多摩美大などでの講義体験がもとになっている。

P417「ある時、本書でも取り上げた「定住革命」の話をした。いつもジャージ姿、いかにも「部活の帰りに寄ってるだけ」で、授業中は寝てばかりだった女子学生が、突然目を開いて真剣に授業を聞き出し、授業終了後に長い感想文を提出した。その学生は学期末にホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を論じたすばらしいレポートを書いてきた。……ゼミナール形式でハイデッガーの「形而上学の根本諸概念」を読んでいた時には、ある学生が「どうしても退屈の第二形式が分からない」と言ってきた。彼は、なぜハイデッガーがパーティーに際して退屈するのかが分からずに悩んでいた。しかし、向かいに座っていた女子学生は、いや、ハイデッガーのいうこの退屈は自分にはよく分かると真剣な目をしてつぶやいた。すばらしい研究や芸術作品や哲学は、人に訴えかける力をもっている。それを教えてくれたのは学生たちである。本書がそうした研究や芸術作品や哲学との出会いの一助になることを願っている」。

ハイデッガーの「退屈の三形式」とは次のような類型を指す。

第一形式は、例えば田舎の何もない駅で一時間も列車を待つ時の「退屈」。

そして周りの田園をブラついたり遠くの山々を眺めて過ごす「気晴らし」。

それは「退屈」を否定すべく意味もなく付近をブラついたり、早く帰って仕事なり義務を果たそうとの「強制」概念に自分を結びつける「退屈」である。

第二形式は、パーティーで楽しく談笑したり食事・酒・タバコを楽しみ、気持ちのよいベランダで休んだり、何不自由ない時に感じる「退屈」。ハイデッガーはこれを嫌う。

そして第三形式は「何となく退屈だ」という声。

p.274「第一形式において人は退屈を気晴らしによってかき消そうとする。言い換えれば、退屈の言うことを聞く必要をなくしてしまうことに向けて努力する。ぐずつく時間によって振り回されることのないよう、何かやるべき仕事を探すわけだ。第二形式においては、そもそも私たちは聞くことを欲しない。退屈に耳を傾けようとしていない。退屈に直面せず、ただそれにひたっている。ならば、第三形式においてはどうだろう？ハイデッガーはこう言う。ここで私たちは、退屈に耳を傾けることを強制されている。「なんとなく退屈だ」という声。この声は私たちの存在の奥底から響いてくる。だからこそ、そこからは逃れられない。いや、逃れられないように感じる。退屈に耳を傾けることを強制されている……第三形式でのハイデッガーの結論は「グダグダしていないで心を決めてしゃきっとしなさい！と活を入れることに他ならない」。つまり第一と第三は「強制」という結論に達することにおいて通底しているとハイデッガーは言っている。

著者が注目するのは第二形式である。

「第二形式こそは私たちが普段もっともよく経験する退屈ではないかと思えるのである。私たちの生活は何のためやらよく分からない気晴らしに満ちている。テレビで芸能人がゲームをしているのを延々と眺めているのは気晴らしである。休日に特に欲しい物もないのに買い物に出かけるのも気晴らしである」。……以下、スマホでのツイッター、メール、更に「高尚」だと思われる事柄(古典文学、名画鑑賞、クラシック音楽)も「私たちの生活は気晴らしに満ちている。……第二形式は私たちの生活においてもっとも身近な退屈なのだ((注)つまり不満はない。満足している時間での退屈を指す)」。

「暇つぶしと退屈の絡み合った何か、つまり生きることとはほとんど、それに際すること、臨み続けることではないだろうか？((注)これが前述の男子学生が分からず、女子学生が分かると言った「退屈」なのだ)。「ハイデッガーが退屈の第二形式を発見したことの意義は本当に大きい。退屈と絡み合った気晴らし、気晴らしと絡み合った退屈、退屈させる気晴らし……そうしたものは、何か人間の本質を言い当てていると言ってよいように思われるのだ」。

「満足しているのに「何となく退屈だ」の中で、人間は自分の可能性を示されている。ではその可能性とは何なのか？答えは驚くほどに単純である。「自由だ」とハイデッガーは答えるのだ。退屈という気分が私たちに告げ知らせていたのは、私たちが自由であるという事実そのものである、と退屈はお前に自由を教えている。だから決断によってその自由を発揮せよと言っているのである」。

これが本書の中核を成す言説である。

ハイデッガーと著者はまことにうまく言い当てていると思う。

ただ僕には第二と第三は境目が見分けられない程に近接していて、その後の本人や周囲の対応によって第二と第三に分化(言い換えれば「自由」と「強制」とに分化)していくのではないかと思われる。

更にこれらは「平穏な環境」において可能なのであって、飢餓や紛争等の「異常状態」では成立しないだろう。アフリカの飢餓地域、あるいはウクライナやガザでは「暇と退屈」自体が存在しない。

本書で取り上げられるのはハイデッガーだけではない。パスカル、バートランド・ラッセル、カント、アドルノ、ホルクマイヤー、モリス、ガルブレイス、そして僕の知らない名前の人々が数多く出てくる。ルソーの「自由人」や動物と人間の「環世界」論、更に「記憶」が時として人間に残る「傷」となり精神的障害にまで及ぶとの話などが出てくる。充分には理解できない部分も多いので、この辺は後日に関連する本を読んだ機会に、もし思い出す事があったら触れる程度と致したい。

ただ書き留めておきたいことがあるのでここに転記する。

P498「哲学は長らく「人間本性・human nature」について考えてきた。しかし、それと並んで「人間の運命・human fate」について考える必要があるのではないだろうか。そうすれば、運命に基づいて発生する現象であるにもかかわらず、普遍的に観測されるが故に本性に由来するものととられてきた、そのような現象や特性を、本性から区別することができる。たとえば、退屈を巡る矛盾の謎は、人間の運命に注目してはじめて理解できる」。

「本性と運命」「退屈と気晴らし」。僕はこの対語に82歳にして実に共感を覚える。

そうなんだ！人間は物心つく頃から「暇と退屈」に見舞われ、自分ながらの「気晴らし」を獲得して、生活と哲学を形成していくのだ。それこそが「本性と運命」のドラマでもある。

小学3年生の頃だろうか、僕は夏休みのけだるい午後にタタミの上で仰向けになり首の下に手をやり足を組む「カツオ君」スタイルで「何かツマンナイ」と家事中の母親に訴える。母は「自分で面白いことを探したら」と、つまり「しゃきっとしなさい」との声を発する。そんな光景を思い出した。

当時のイガグリ頭時代以降、僕はまずまず平穏な生活を長く送ってきた。

学業や仕事に「強制」はあったにしても随時の退屈と気晴らしは常に同行していた。

そして70余年後の現在。

「暇と退屈」への「気晴らし」として、そして「しゃきっとしなさい」の「天の声」には読書・音楽・ブログ作り・テレビ等で応じ、自分の「本性と運命」について考える。

少年期と老境、この両端の「暇と退屈」の年月の間に僕の人生があったのである。

最後に本書について大変気持ちのよかったことを書きます。青年の書であることです。

表紙の帯には「東大・京大で１番読まれた本」とあります。

本書はそもそもが大学での講義をもとに書かれた本であります。

連想するのは22年3～4月にブログに書いた「記号論講義」と「東京藝大で教わる西洋美術の見かた」。それぞれ東大駒場と東京芸大の新入学生への講義録でした。

その頃の「感情史とは何か」「バイアスとは何か」も同様に若い諸君に読んで貰いたい本。

こういった本を読む「まともな大学生」が健在する限りは、そして彼等が中心となる次世代日本が形成される限りは、僕は実に安心することができます。

本書はその意味で希望に満ちた本でした。