本牧読書日記。稲吉晃「港町巡礼」・海洋国家日本の近代 (吉田書店)。

小さな新聞広告を見て「巡礼」の書名から港町の旅行記かと思って読んでみたところ全く違っていた。サブタイトル「海洋国家日本の近代」がふさわしい内容の充実した良書でした。

僕は「港町」に興味がある。最近では「軍港都市の15O年」と「暁の宇品」(昨年1月ブログ)を読んで、それぞれに「近代日本」における歴史上の位置があることを知った。しかし本書で取り上げられた15の「港町」の特色ある小史に触れると、知らなかったことばかりでいかに自分が無知であるかを思い知らされる。例えば長年住んでいるこの横浜だって、明治の不平等条約の困難な改定交渉の中で大きな波にさらされていたことには全く気づいていなかった。横浜は確かにペリー来航以来「表玄関」の港町である。海外物流では今なお重要な拠点である。しかしこれは東京に近いとの地の利が非常に大きいのであって、横浜単独の力量かといえばその日本第二の人口と同じく「自力」だけではない。

本書第二部「移動する人々」で描かれる5つの港町の歴史にもそれぞれの特色がある。

それらが西日本に偏在していることから、特に戦前にはアジアに開かれた港湾都市としての歴史的位置を見出だすことができる。ここではその面に限って以下に略記してみる。

5港とは広島(宇品・呉)、台湾基隆(キールン)、神戸、長崎、下関である。

①軍隊と暮らす・広島。

城下町広島では1880年代に近代港湾都市としての本格的築港工事が着手された。そして日清戦争開始時に鉄道が広島まで到達していたことが日本軍の一大基地となったことの大きな要因であった。主要軍隊駐屯地としての性格と港町としての性格を併せ持ち、対外戦争における日本軍の輸送基地としての宇品と工廠・鎮守府・呉、その本部としての広島と、大きな役割を果たすことになった。軍港特有の全国から集合する人員を収容する施設、物流、各種請負業と、街の発展に軍部抜きでは考えられない条件が整備されていった。例えば軍隊衛生のための上下水道普及が異例的に早期に完成している。

軍が進む先は中国、東南アジア。軍港・佐世保と共に広島の重要性は極点に達した。

そして原爆投下の日までそれが続いたのであった。

②植民地を経営する・基隆。

台湾北端の基隆は天然の良港。日清戦争勝利によって日本統治下となり本格的な築港がされ台湾縦貫鉄道建設と共に日本の南方進出の橋頭堡として多大な機能を発揮した。大阪商船による神戸ー門司ー基隆定期航路が開始され、本土との交流や日本人移民が盛んとなった。基隆中心街には今も岸田総理曾祖父開業の呉服店建物が残っている。日清・日露・第一次大戦によって「一等国・海洋国家日本」の意識が高まり、海外勢力圏拡大に伴って海軍首脳には「東シナ海・黄海・日本海」の海域を、欧州における「地中海」と同様の認識でとらえる者さえ現れた。基隆はその拠点港としての位置にあったのである。

台湾経営においては民生長官・後藤新平による穏健統治政策に因るところが大きい。都市計画、インフラ整備等の政策遂行である。基隆は軍港ではなく貿易港であり、台湾人70%日本人25%位の安定都市。主要地位は日本人が占めていたとはいえ、社会事業に取り組む実業家・石坂荘作などの人物が輩出した。こうした草の根的な融和があったからこそ親日感情が現在にまで残っているのだろう。

③故郷を離れる・神戸。

日本有数の港町・神戸は洋館や南京町など日本に定着した外国人の存在を示す建物が多い。一方で日本から多くの移民が旅立っていく港も神戸であった。山から海へと市内を貫く多くの道路の内のひとつ鯉川筋は別名「移民坂」と呼ばれる。山側の突き当たりはかつて「国立移民収容所」があったからである。海側の突き当たりは「メリケン埠頭」。移民先の多くはブラジルであった。最初は1908年(明42)「笠戸丸」の781人。明治後期には政党に連なる実業家や壮士が移民会社を経営していた。航路は今の感覚では太平洋に向かったと思いがちだが、パナマ運河もない当時はインド洋~アフリカ南端~大西洋と地球半周。ペリー来航の逆コースみたいなものであった。一体何十日を要したのだろうか。

働いたのはコーヒー農園。日本にはコーヒー文化が導入された。高級カフェ「プランタン」(コーヒー一杯30銭)や庶民的なパウリウタ(同じく5銭)と開店が相次いだ。戦前の移民総数はハワイ(23万人)ブラジル(19万人)米国(10万人)である。出身地は広島・山口・熊本・福岡が多い。因みに台湾・朝鮮も同様の傾向=西日本が多い。対して満州は長野・山形・福島。樺太は北海道・東北である。親族・縁故者呼び寄せが多い結果とは思うが、やはり距離的親近感も影響しているのだろう。国策化した移民政策は戦前の「黄禍論」から始まり第二次大戦中・後の米国居留地や満州における大悲劇に見舞われた。

④国境を越えてつながる・長崎。

長崎が江戸時代唯一の交易拠点であったのは江戸から遠く離れていたからこそ許された特権であった。そして19C末・明治後期以降は長崎を経由して行き来する留学生・亡命政治家の出入り口になる。彼等が頼ったのは長崎で大きな存在感を誇った上海を中心とする華僑のネットワーク。福建・三江(江蘇・浙江・江西)・広東などの出身者たち。帆船時代から季節風を利用して来航。彼等は寧波、天津などの中国沿岸港から朝鮮各港、更にはマカオやルソンなどの東南アジアへと貿易網を築いており、その拠点の一つとしての長崎港という「前史」があったのである。渡航してきた魯迅、蒋介石など多くは東京へと進んだが長崎に留まる留学生も多かった。長崎医専では1905年からの6年間で50人を越える中国留学生が学んでいる。亡命政治家では清政府の急進的改革(戊戌の変法)に失敗した康有為、梁啓超、更には孫文がいる。彼等を援けた犬養毅や国粋主義者のこともよく知られている。

長崎港の有用性は日華連絡航路開設によるところが大きい。上海に居留する日本人の内、割合が最も高かったのが長崎県出身者であった。上海では「会社派」と「土着派」があり長崎県人の多くは虹口の日本人街に集住した「土着派」。中小の商店主やサービス業、雑業に就く人々で、多くが日本の生活を捨てて移り住んだ人々であった。

⑤水産会社の故郷・下関。

明治以降の下関は遠洋漁業の根拠地である。林兼商店(後の太洋漁業)の機船底曳網漁、田村汽船漁業部(後の共同漁業ー日本水産)の汽船トロール漁と、近代漁業で大量の漁獲量を独占し始めた。そのために地元漁業者との摩擦を発生させ、近海から東シナ海、更に遠洋へ遠洋へと進出せざるを得ないようになっていった。漁場は南氷洋や太平洋北海であり、捕鯨やニシン、サケ、マス、カニ漁である。今度は領海問題が発生するし海上危険や「蟹工船」の労働問題も深刻の一途をたどる。漁獲量も浮き沈みが激しい。戦後は捕鯨禁止運動。まことに多難な業界だが現在は食品加工産業併設などでたくましく生き抜いているように見える。こうした中で唯一新潟出身の堤商会を除いては、上記の会社の他、一井組(後の日魯漁業)を含めて全ての主体者は下関出身の強者たちなのである。

下関は九州への旅の途中立ち寄っただけだが、よそ者にも海峡に臨む港町特有の景色と洒落た雰囲気が察知されて魅力的な街であった。

本書の記述範囲は1960年代で終わっている。何故か？第一に「人の往来」では飛行機主体となり船の役割は著しく低下した。第二に「物の往来」でもコンテナー船と国内トラック・鉄道が圧倒的で物流の量と質が劇的に変換した。無機質なコンテナー・ヤードと巨大クレーンが屹立する埠頭、パイプで多量にタンクに吸い上げられる液体・粉体物。それが港の風景となってしまった。もう一般人が「機能」としての港に接する機会は殆どない。僕は夜の東京臨海や本牧埠頭に自動車で迷い込んで慌てて逃げ出したことが何回かある。しかしそれでも、港町の魅力が消え去ることはない。

本書で紹介されているのは第一部「つくられる国家」で箱(函)館、石巻、横浜、博多、宮津。第三部「拡大する都市」で大阪、小名浜、舞鶴、東京、湘南の各港町。それぞれにユニークな視点で歴史と特色が語られている。大港湾都市はもちろん「山椒は小粒」の港町もいずれも魅力を有している。基隆、石巻、小名浜は行ったことはないが充分察することができる。尤も行ったことがある町も「港」自体を見た事は少ない。でもいずれも「港町」の風情は例えば大東京だって海の近くに行けば感じることができる。隅田川往来の運搬船だってその範囲である。周囲を海に囲まれた日本の風土のお陰であろう。

横浜港で大型客船に出会うことは稀である。人々が訪れるのは「港町の雰囲気」を求めているのである。函館、横浜、神戸、長崎には何故か「ブルース」が付き物である。他の港町にも同じような歌があるだろう。「マドロス」なんて何十年前に消え去ったのにまだ死語にはなってはいない。「港町」の人間臭さの魅力。「港町」ではなく「港街」と呼びたくなる親しさ。このブログ「自己紹介」ページの画像「本牧小港」にさえ自然と人間社会の「接点」を感じ取れる境界性等々……。

僕は公・私10回近く訪れている長崎が大好き。「人好し・風情好し・食好し」の最高の港町である。自分がどこにも地縁のない人間だったら長崎を終焉の地として選んだであろう。

本書著者は80年生まれ首都大出身・政治学博士・現新潟大教授。

堅実・綿密な筆だが、きっとロマンチストだと思います。