本牧読書日記。マクシム・レオ「東ドイツある家族の物語」・激動のドイツを生きた、四代のファミリーヒストリー (アルファベータブックス)。

著者は70年生まれの作家・ジャーナリスト。自分の両親、父方・母方の祖父母・曾祖父はどのような人生を送ったのか。重層的で優れた「ファミリーヒストリー」であり「時代史」でもある。

時代はワイマール・ドイツ~ナチス国家~東・西ドイツ~東ドイツ消滅の期間。

主として語られるのは18世紀にポーランドから移住したユダヤ系の母方の家系である。

姓を変えて普通のドイツ人として生活していたが、四代前(曾祖父の父親)は共産主義者、後にアウシュヴィッツに消えた。息子の曾祖父は弁護士でありブルジョア階層。だがナチスの台頭と共に危険となり一家は身ひとつでヴィシー政権下の南仏に逃れた。しかし曾祖父は結局身元がバレてピレネー山脈のギュルス抑留収容所に送られてしまった。そこからはその息子ゲアハルト(著者の祖父)の波瀾の物語。

19歳の彼は仏人流偽名のキッチンボーイとして働いていたが、身に危険が及んだ時に救ってくれたのがレジスタンスの組織。彼は共産主義レジスタンスの一員となる。独・仏通訳の能力を活かして駐仏ドイツ軍の内部工作という危険な役割を務め重用され評価を高めた。しかし独軍のワナにはまって遂に逮捕され特務機関S・Sの拷問を受けた。彼はそれに耐えた。一方取り調べのドイツ軍の担当者にはS・Sの指示にそのまま従わず、ゲアハルトをひそかにかばう姿勢を見せる者もいた。

戦争末期、連合軍ノルマンディー上陸で独軍の劣勢が始まり出す時期である。

報復としてレジスタンス同輩は街路に吊るされ、無差別に選別された村民は処刑された。

ゲアハルトは仲間によって再び救出され、活躍して仏軍少尉にまで昇進する。

戦後東独に戻ったゲアハルトは共産党幹部として特権的な地位を得る。

ジュネーブやデュッセルドルフに駐在して外交・ジャーナリストの名のもとに、実は東独スパイ網の重要なキイマンの役割を務める。彼は共産党独裁東ドイツの生粋の信奉者である。

娘アンナ(著者の母)も父親の影響下、故国愛に燃える少女となった。入党もしたし特別待遇も享受した。シュタージ(国民監視・密告者)も彼女には遠慮した。そうした「七光り」の中でも彼女は多くの若者と同じように体制に疑問を感じ始める。成人して報道機関に勤めるとフェイクニュース作成のひどさに呆れる。東欧の市民デモに登場する戦車は初報では「アメリカ軍戦車」という驚くべき意図した誤報となる。

侵略者はいつも「資本主義強国・アメリカ」というマニュアル通りの報道体制なのである。

今でもプーチンがウクライナをEU、米国の「ネオナチ」に脅かされていると断じるように、「反ナチ」は特に老人層には即座に納得できる逆の意味の「錦の御旗」なのだ。

当時、他のソ連同盟国よりはずっと整備された優等国と、僕なんかが想像していた東ドイツの実態には今更ながらに驚いてしまう。国民は権力におびえながら、壁のすき間から漏れる西側の豊かさと情報、自由の声を憧れと共に聞き取る。体制側はどうしてもこれを阻止することができない。若者だけではない。それ以上の年齢層もホーネッカー体制にウンザリするか、それ以上の感情に支配される。

シュタージさえあわよくば西側に脱出したいと願望しているのだ。

母親アンナは大学院で学び直してどんどんと目覚めていく。コチコチ体制派の祖父ゲアハルトもアンナの夫・ヴォルフと激しく口論しながらも内心は気付き始める。しかしそれを口にすることは絶対にしない。ある年、彼は一番上の孫である10代の著者を伴って欧州製の自家用車で懐かしのフランス旅行をする。こうした特権にも驚く。「平等」の筈の共産国は実は宗教国家並みの超階層社会なのである。

旅行中見せるゲアハルトの屈託なき姿。孫が初めて見る祖父のむしろ「異形」である。

東ドイツを始めとして戦後のどさくさの経緯で共産圏に組み込まれた中・東欧諸国の人々の姿は、貧富に関わらず殆どがこうした「本心」を隠す「異形」の社会ではなかったのではないだろうか。

人々は今や異形と仮面を脱ぎ始めたのである。

一方、農民出身の父系は母方と相当に違う。これを祖父のヴェルナーで見てみよう。

ヴェルナーの青春時代はナチスの台頭期。街頭ではナチ党員と共産党員が殴り合っていた。

彼はどちらにも少々の嫌悪と大部分は無関心とを持っていた。

しかし次第にナチ支持に傾いていった。理由は「労働者たちがヒトラーについてどんなに口汚くののしったとしても、ヒトラーは働き口を作ってくれるから」。

徒弟期間が終われば解雇され一週間に二度、ゴルマン通りの失業対策係に出頭する。期間雇用と失業手当の繰り返しの生活の中で、ナチスが政権を握る頃から景気が上向いてきた。35年以降は正規雇いとなって「ちゃんとした給料」を貰うようになる。36年のオリンピック・マスゲームのメンバーになって貰った参加章は彼の誇りとなった。仕事は鋳型製造の職人である。どんどんと忙しくなる。彼は一生懸命働く。ナチス支持の気持ちは本物となっていった。ダンスパーティーでジークフリートとめぐり逢い結婚した。42年には息子ヴォルフ(著者の父)が生まれた。新居のバルコニーには民家には不釣り合いな特別に大きいハーケンクロイツ旗を妻の反対を押しきって掲げた。

軍需生産の鋳物工のため召集の遅かった彼にも44年、遂に令状が届く。戦場はエルザスのアルデンヌで、前進するアメリカ軍戦車を地面に掘った穴に入って迎えうつ。西部戦線におけるドイツ軍最後の悪あがきであった。彼は戦死を免かれ敗走のあと捕虜となる。収容されたのはフランスの収容所。終戦時同じフランスの地で母方祖父が勝利のフランス軍少尉、父方祖父は惨めな捕虜。同じドイツ人だというのに各々の立場と運命は分かれた。しかし父方祖父もどっこい、たくましく生きていく。

苛酷な重労働捕虜から解放されて家庭に戻ったヴェルナーは、愛人をつくり家庭では暴力を振るう人間になっていった。48年ジークフリートと離婚。再婚して以降は一族の視界から消え去った。その後に生まれた著者は優しい祖母ジークフリートとは度々ではないが会う機会があり可愛がられた。

祖父ヴェルナーと初めて会ったのは、このファミリーヒストリー取材でインタビューの必要があったからである。そこで祖父のその後を初めて知る。

彼が東ドイツに住んだのは仕事探しで職場がたまたま東ドイツにあったため。信条も何も全く関係ない。ここでも強い意志を持って帰国したゲアハルトとは大違いである。ただヴェルナーは置かれた位置でうまく立ち回る能力を有していた。女性に人気があった通りまことに調子がよいというか世渡りの上手な男であった。手に職を持つ彼は職業学校の教員として大歓迎され、教育大学で共産党幹部の目にとまりすっかり感化されて出世街道を進む身となっていった。建設功労賞を受賞しメーデーでは先頭に立つリーダーとなる。数年前には熱烈なナチ支持者だったヴェルナーが今は東ドイツ共産党社会の中堅リーダーとなっているのである。世の中を渡っていくには左だ右だの思想よりとにかく世相に合わせて巧妙にかつ柔軟に(と言うと格好がよいが有り体に言えば節操なく)変身・対応していく能力・性格こそが重要なのである。彼はその典型だろう。これは東ドイツだけではない。西ドイツでも欧州諸国でも全世界至るところ・至る時代でひとつの「法則」のように思われてくる。それが悲劇に終ることも多いだろうが…。

父親に去られて母子家庭に育った著者の父親・ヴォルフはがんじがらめの社会の中で「不良」として育っていく。仕事はデザイン・美術装飾。アンナと結婚して著者・マクシムが生まれる訳だが、思慮の深いアンナに比べて本書で彼の影は薄い。義父ゲアハルトと会えば口論の間柄。だと言って確固たる反体制の信念を持っているようにも思えない。

こうした家庭に育ったマクシムは進学試験(アビトゥーア)に失敗した。東・西ドイツでは中学卒業後は進学系か就職系かはっきりと進路が分かれる。就職→進学への転進チャンスは無いわけではないが非常に困難。マクシムはどうやって作家にまで転ずることができたか、はっきりとしたことはわからないが本人の能力の他に母アンナの影響が強かったのではないか。

さて、そこから本書最後の4分の1くらいは、80年代頃から大巾に緩みだした東ドイツの国家と社会の秩序、数々の矛盾の露呈についてが語られる。ゴルバチョフ登場から一気に加速して遂に混乱の中でベルリンの壁が打ち破られるのだが、その顛末は周知の通りである。

ただ「東西ドイツの統一」だけは最後の最後に決まったことらしい。東ドイツの主要な人々には青天の霹靂の驚きであった。ゲアハルトのような体制信奉者のみならずアンナのような良識派知識人達も、もはや時代遅れの一党独裁は終焉すべきだが、自由選挙・多党議会の民主主義による東ドイツ再建を希望かつ予測していたようだ。言うなればドイツ社会民主党(SPD)のような考え方だったのだろう。

共産党対社会民主主義政党の対立。どこの国でも古くて新しい問題。冒頭に書いた母方4代前の当主も共産主義と言っても今でいう社会民主主義者。それが原因で失脚したようだ。

その他いろいろと補足したいところはあります。特にシュタージや学校教育などが活写されていて、テレビの新潟・十日町の古民家再生の「カール」さん、彼は青年期に境界の川を泳いで西に脱出した経歴の持ち主なので、本書を読めば当時の様子をよくとらえており「まったくその通り」と称賛することと思われます。でも僕の筆が及ぶところではないので割愛します。興味のある方には一読されると期待を外さないと思います。僕は保阪正康さんの書評で読んでみました。

最後に訳者・木畑和子・成城大名誉教授は訳註で著者の間違いを指摘するなど非常に優秀。母アンナ(現在「歴史研究者」になっている)と親交があってその縁で子息の本にであったらしい。

著者は他にも多くのベストセラーを書いているようです。

「東ドイツ ある家族の物語」

「東ドイツある家族の物語」