本牧読書日記。フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス」・家康に愛された男・三浦按針(ちくま新書)。

ベルギー出身の著者は1970年生まれ。専門は日欧交渉史、国際日本文化センター教授。本書は第一次資料に基づく人物評伝だが、歴史的背景を踏まえた人間関係や家康の対外政策などに「物語性」が強く感じられて、読んでいて大変面白い本であった。

1600年4月、大分・臼杵に漂着したオランダ船「リーフデ号」の乗組員・英国人ウィリアム・アダムス(三浦按針)とオランダ人ヤン・ヨーステンが徳川家康に幕臣として重用されたのは有名な話である。

本書はその史実を西洋側史料から改めて検証しているのが特色となっている。

16世紀の新世界進出は先ずポルトガル、スペインの旧教国によってなされた。それを追いかけた英国、オランダの新興国は新教徒であるが布教より通商利益を求めての活動であり、先行2か国の既得権益の掠奪からそれは開始された。英・ドレーク船長の「私掠船」が代表例である。

1598年ロッテルダムの商人資本で編成された5隻の「ハーゲン船団」も実は重武装された商船・掠奪船団であり、経験をかわれたアダムスが航海士チーフとして乗り込んだ「リーフデ号」は、その「愛」という船名とは裏腹の役割りを持つ中古船であった。船団の目論みは大西洋を南下して中南米のポルトガル、スペインの手薄な砦・植民町を襲ってその略奪品をマゼラン海峡を越えてアジアで売りさばこうとの、実に驚くような計画であった。ところが中古船ばかりの船団は修理に手間取り順風季節をとり逃して苦難の航海となってしまった。乗組員は壊血病、食料不足、マゼラン海峡での越冬、現地人との戦闘と、次々と倒れていった。5隻の船は次第にはぐれていき、オランダに戻ったり、チリでスペインに捕まったり、モルッカ諸島で全員殺害されたりして、遂に残ったのはリーフデ号だけ。掠奪品がないまま商品としては故国で積み込んだ毛織物のみ。当初目指した香料産地の暑い南方では買い手がつかない。チリ沖で彼等が決断したのは噂に聞く日本へ向かおうとの、これまた驚くような計画であった。

5ヶ月間の航海の末にたどり着いたのが臼杵である。生き残ったのはたったの18人。「到着」というより「漂着」であった。ところが、それからのアダムスとヨーステンの活躍が目覚ましい。

2人の才覚もあったが家康の政策にぴったりと当てはまったからであった。

アダムスは1564年に英・ケント地方の港町ジリンガムで生まれた。自分の名前が書けるのは男性でも1/3に満たない当時、地主が建てた学校で学び向上心のある子供に育った。船大工として修業の後、王立海軍に入隊してスペイン無敵艦隊との海戦にも参加している。除隊後モロッコとの通商会社に勤務し結婚、２児の父となる。しかし海外への希望は断ちがたくハーゲン船団からの誘いに「渡りに船」でリーフデ号に舵手責任者として乗船したのである(「按針・あんじん」とは舵手・航海士の意味)。

「海賊船」並みの船団に身を投じたのは何故か？それは先進国に追いつく為の英・蘭の国家戦略だったから当時はそれ程異常な事ではなかった。当然に東南アジアでの特権争いにおいて、ポルトガル・スペインのイエズス宣教師達が盛んに現地為政者に吹き込んだのは「英・蘭はまともな国ではない。排除すべき海賊国である。我々は無法者達と闘っている」との強力な宣伝であった。彼等の主張には道理が通っている。しかし為政者側はそれ以上にキリスト教を警戒しだした。海外からの文明や技術の実利は求めるが、それを上回って宗教の脅威を絶対的に否定する。日本では秀吉以来の「禁教」である。

17世紀に入ってからその死までの16年間、家康は更に禁教政策を強化したと僕は認識していた。確かにキリスト教者をかくまった者は死罪にするなど苛酷な禁教政策を実施している。しかし彼自身は旧教宣教師との接触を完全には遮断していないのである。宣教師側はイエズス会に加えてフランシスコ会もいる(ドミニコ会もいたと何かで読んだ記憶あり)。旧教内でも各教派で中傷活動や牽制の動きもある。だが彼等が一致団結したのは英・蘭への対抗。しかし家康はその上をいった。アダムスとヨーステンを重用することによって「全方位外交」を展開した。「あれはあれ、これはこれの、いいとこ取り」である。

現在の東南アジアや南太平洋諸島国が米・中の思惑を最大限利用しているのと同じように…。

それにしても家康のアダムス寵愛ぶりは一段と飛び抜けていた。

家康に直接面会・面談できるのは至難の業であった。実質的な拒否表示の意で無期限的に待たされるか、受け入れられるにしても相当な日数と何回もの懇請が通常であった。例外的にアダムスの場合は側近を通して殆ど即座に許諾されることがしばしばであった。家康から呼び出される場合も多い。アダムスの為したことは、彼の知識の範囲での世界情勢・西洋技術の説明、家康の要請に従っての小型船舶造船(西洋造船技術)、通訳(彼は早期に簡単な日本語を解した)等、そして何よりも英・蘭との通商拡大の懇望である。蘭・英の「東インド会社」が相次いで設立され、アダムスは英国東インド会社の契約社員でもあった。

アダムスは家康と「ウマが合った」面は確かにあったのだろう。著者は「人間的な側面こそがアダムスの真骨頂」と書いているし、それが本書執筆の動機であるようだ。

アダムスは愛国心に凝り固まった人間ではなかった。

幕府との交渉で英国の代弁者であるが、オランダと幕府との仲介の労も惜しむことなく尽くした。個人的には殆ど敵国であるポルトガル人、スペイン人(オランダはスペイン支配からの市民戦争で独立してまだ日が浅い)とも信頼し合ういわば国際人的な人間であったようだ。自分の部下の日本人についても英国商館でトラブルがあった際には日本人を信じてかばった。上司や同僚の眼から見たら「変り者」だったのだろう。当時の常識から相当に違う言動には誤解やトラブルが絶えずあり幾つもの事例が記されている。

しかし上司達も幕府との関係の一つひとつにアダムスを頼らざるを得ず、短期間に日本や家康・幕府を的確に把握した彼を措いては、何事も実現させることは不可能であった。

その為にアダムスは江戸城や駿府は勿論、遠く京都・大阪・海路平戸と、領地の横須賀・逸見(日本人妻と２児あり)や江戸按針町(日本橋室町)の邸宅を留守にして東に西に活躍した。お互いの情報のタイム・ギャップの為に商館幹部との会合や来航船からの情報や文書の共有に度々の齟齬もきたした。

そこで示されたアダムスのアイディアも素晴らしい。例えば商館の設置場所として彼は平戸ではなく江戸に近い浦賀を進言している。また、東北・北海道に興味を持っていたのは北西航路での東西交通を考えていたらしい。両着想共に実現は難しかっただろう。しかしこれらはアダムスが「地球」を的確にとらえていた(天測航法に基づく知識・経験)事や日本の政治地理感覚をも備えていたことの証左である。

本書はアダムスびいきに書かれているにしても、読者は彼が「頭がよく近代感覚の個性派人間」であることに気付くに違いない。商館員とのギクシャクもそれが一因であったかも知れない。

家康は現在TV大河ドラマの主人公である。外国人との間柄はどのように描かれているかは知らないが、とにかく巧妙に使い分けたことは事実だろう。もう一人ヤン・ヨーステンも厚遇された。彼はオランダ・デルフトの名家の出である。本書では控え目なアダムスに比して「自分に都合のよいように話を変えて動く男」として両者はソリが合わなかったと短く触れられている。でも日本語に巧みでコミュニケーション力に優れていたとも紹介されているので家康に重用されるべき人材であったことは確かである。

彼は周知の通り名前が「八重洲」の由来となっているが不幸にも海難死している。

さて、アダムスの「故郷意識」はどうだったのだろうか？

漂着して2年間ほどの幽閉時期で彼の念頭にあったのは刑死の恐怖。それが薄らぐと共に国外追放の懸念であった。実際に彼とヨーステン以外の者は帰国させられたり日本女性と結婚して普通の日本市民となった。しかし彼等2人は意外にも引き留められ幕臣にまでとりたてられ、英・蘭からは頼りにされる立場になってみれば、自分の存在意義はこの地に生きることにあると強く意識したに違いない。

1613年、英商館長ジョン・セーリスの航海日誌にこうある。「彼(アダムス)があまりにも日本国を称賛し、愛着をもって語るので、彼は帰化して日本人になってしまったと我々のあいだで皆が思っていた」。確かにアダムスは英国に戻る気は失せたが如くに見える。しかしそれと同時に「海への思い、海外と常に接していたいとの執念」は消えることなく、一生を通じて保持していたかに思える。

日本での地位の安定と共に彼が目をつけたのが東南アジア・シャムへのジャンク船を使っての交易・交流である。1616年シャムに航海しアユタヤまで遡って交易した。そして7月21日に平戸に帰港した彼を待っていたのは家康の訃報であった。そこから彼の不遇の晩年が始まる。

二代目将軍秀忠による宣教師弾圧から始まる排外政策によってアダムスの人生は暗転した。

同年暮れに英商館との契約が切れ給与も精算された。彼はジャンク船なども売り払い活動収縮へと向かう。客観状況として各国間のアジア市場競争が激化し英・蘭の間でさえ争闘が絶え間なく勃発する。

アダムスは冷たい秀忠に粘って朱印状を得た上、コーチシナ通商に手をつけたりしたが結局赤字という厳しい結果に終わっている。失意の内に1619年に病に倒れた彼は長崎滞在中に遺書を作成した。

そして5月16日、遺書作成のその日の午後5時に彼は波乱の一生を閉じた。

遺書は在英の妻・子2人と、逸見の日本人妻と子2人、両方に遺産を半分づつ遺すとの内容であった。尚、在英の妻とは何回かの手紙のやり取りがあり、それが本書の第一次資料として言及されている。決して妻子を捨ててはいなかったのだ。

遺児達のその後は英国の娘には結婚の記録が残っているが、逸見の後を継いだ息子たちについては諸説あるようだ。鎖国に伴う海外追放に遭ったとの有力説もあるらしい。

ポルトガル人の種子島漂着から島原の乱まで100年近くの海外人との交流史。

前半のキリスト教宣教師時代については多くの著作がありますが、17世紀初頭・家康時代についての本は初めて読みました。本書は海外資料からの目で見ていますが、国内の事情はもっと複雑にいろいろとあったでしょう。アダムスに絞って分かりやすく何よりも面白く語ってくれる本でした。

欧州からアジアへの航路はもっぱら喜望峰回りのインド航路と思い込んでいましたが、海賊まがいのマゼラン海峡ルートがまだ生きていたとは驚きの他ありません。その他スペイン開発のメキシコーフィリピン・ルートも盛んであったし、東南アジアの緊密な海上航路のみならず、近世大航海ルートもまことに面白そうな世界です。次回は「7月暦絵」です。