国立の前期試験が終わった。









………記述式は勉強したかどうかがすぐに分かる。マークは誤魔化せる。記述はそうは行かない。勉強した人が必ずしも成果を出せるわけではないけれど、その反対は必ず分かる。

白紙答案はさすがに出さなかった。けれど空欄は大量に作ってしまった。今頃採点官は激怒していることだろう。

書けた、と思った問題でも試験終了後見直してみると正解が分かってしまったり、そもそも意味不明だったり。

要約で緩く書いて5字も余るというのは致命傷がある証拠だ。

字数制限があるもので、指定字数に届かないというのもまた同様。

英作文は関係代名詞のthatを抜かして構文が崩壊した。気付くのがある、況んや気がつかないものをや。

数学は典型問題があったし、授業で何度もやったところだったのに解けない問題があったし。

そして何よりも、地理が壊滅したこと。これが一番大きい。



要約、自由英作、地理論述、もっと添削してもらえばよかった。予習復習少しはやればよかった。時間配分の研究をしっかりすればよかった。そして、講師達の忠告に従えばよかった。時間を浪費しなければよかった。

これで受かったら、他の受験生に失礼だというくらいの勉強不足だ。



、と文章にすると感情的になっているようだけれど、試験が終わった時は至って冷静だった。やらなかった。解けなかった。当然の理。

いやしかし、ここに自分自身の欠陥があるのでないのか、と思う。悔しいと嘆かない。初めからやらないのだから。そして結果を受け入れてしまう。ここに進歩はない。ひょっとしたら自分はいつまで経っても前進しないのではないか。自分ができることの範囲は変わらないのに他の人はできるように「なる」ことでできる範囲を広げ、取り返せないほど越されてしまうのではないか。

これが今日思ったことであり、去年の合格発表の日に異常な冷静さで思ったことなのだから。そして去年、一年の目標はまさにこの欠陥を克服することだ、どこかそれなりの大学に入ったら二度とチャンスはないかもしれない、と思ったのだから。



と、こんなことをわめきちらしながら、同じ寮の同じ大学を受けた人と電車に残って帰ってきた。迷惑な客だ。

わめいたあとは冗談を言い合うほどに戻っていた。これこそが本当は恐ろしいのだが。

さて、寮の話に移る。今日の寮はほとんど全員が試験が終わり、祭り状態だった。そんななかで、そろそろ別れの春が迫っている。すでに数人が退寮した。自分がいつも話していた友人は2月末で実家に帰る。

今日の夜はすっかりいつもの状態に戻って、退寮する友人の部屋に遊びに行った。普段とあまり変わらない話をしてきた。けれど、帰ってきた今になって思うのは、これが一年さんざんつるんだのとしっかり顔を合わせる最後の数回の一回なのだな、と。どれくらい、この日のことを覚えていられるだろうか。

彼は一応受かったところがあり、他の退寮者も早々にキメた人もいるが、悉く外して退寮の人もいるし、退寮者の大部分は発表待ちのまま退寮だ。できるかぎりの人が合格を決めんことを、連絡が取り続けられんことを。