今日は予備校で激励会があった。

その途中、校舎長の話の時のこと。校舎長の話は最初の方は完全にス…、いや、しばしの沈黙とその後の失笑を招いたのだが、最後の方で言うことには、今年一年を試す時が近づいている、去年の2月22日を思い出してほしい、と。



少し、その頃のことを思い出してみた。まったく、その頃の自分は今の毎日を想像できただろうか。

コンビニで昼食を買う。地下鉄に乗って予備校に行く。7階か8階まで上って自習の席を確保する。過去問を解く。時には私大の入試に行くこともある。また地下鉄に乗る。寮の夕食を食べ、全国から来た友人と喋る。共同浴場の湯船に5、6人で脚を曲げて入る。四畳半(もない)自分だけの「城」に戻り、備え付けのベッドに潜る。アメーバをチェックし、ブックオフで買った新書を読みながら寝る。まあ、「よろし」だけれど(勉強面以外は)、一年前に戻ったつもりで考えると今の自分は想像もつかないな。

いや、数ヶ月前に戻ったつもりでもダメかもしれない。そのころはというと、朝は駅までダッシュする。人であふれるターミナル駅で満員電車に「パック詰め」されて運ばれる。毎日強烈な個性派講師の授業を受ける。昼休みは外まで延びるコンビニの列に並ぶ。予習に追われてたのはこのころか。週一回、小論文の課題を前にウンウン唸ってたのはほんの2ヵ月と少し前のことだ。

思えば夏は生活リズムの乱れと暑さと汗と、日々の関心はそれだった。アメブロを始めたのはこのころか。

そして去年の2月は、高校の教室にいた。家から雪のある道をバスに乗って高校にいく。教室につくと、もう授業はなかったけれど、何人かが受験勉強をしていた。うち1人は同じ一橋志望で、前期後も教室で後期の勉強をするメンバーに残っていた。とはいえ、実は彼女は前期でしっかり決めていたのだが。

この間やこの前のことを書いていると際限がないから、後でまとめて書くとして、同じ「日常」として自分が対応していることも、実はまったく違うものなんだな、と思う。日常生活をしている時には、今自分がしていること、送っている日々の生活は当然と思っている。頭では分かっているはずなのに、「日常」を処理する自分はこの日々があたかも永久に続くかのように振る舞うことさえある。

けれど、少し視点を前に戻してみると「日常」は当たり前でもなんでもないと気づく。ただある種の慣れ(自分の場合数日のこともある)のせいでそれをもうずっとしているかのような身体感覚を覚えてしまうだけだ。

前期試験が終わったら、結果への不安や、入学手続き、4月からは新しい日常で頭がいっぱいになってこんなことは意識の底に隠れてしまうだろう。その前に今思うことをまとめてみた。

4月には今現在の「現実」の身体感覚はまったく当然のものではなくなるだろう、そしていずれ全く思い出せなくなることだろう。