空気の澄んだ秋の夜空に、月が清い光を放って浮かんでいる。

今日は9月の記事の続き。

今日は19回目の誕生日だ。また一年、私は時を積み重ねた。

そして同時に、多くの人々を「追い抜いて」しまった。



私は多くの先人たちの生きた道筋を遥かな目標としてきた。特に、十代ほどの若さで思考し、行動し、後々まで語られるようになった人々を。彼らの残した足跡は私に奮起せよと語りかけてきた。

しかし、若くして名を残した人なのだから当然に、足跡はある所で忽然と絶えている。

それは偉大な人々に限らない。私など遥かに及ぶことができないほどの努力を重ねながら、今の私が当然と思ってしまっている生活を与えられることのなかった無数の人々の足跡もまた絶えている。

私は日々、それらの足跡の終わりを踏み越えて、その人々が歩くことがかなわなかった道に踏み込んだいる。まわりを見回すと、道の始まりに比べ、足跡は随分と減ってしまっている。

前を歩いている人が、突然姿を消してしまっている。忽然と途絶える足跡を残して。

そして私はその足跡の終わりまでの距離を徐々に縮め、跨ぎ越える。

私の横、私が通り過ぎた道のりでも多くの人々が日々姿が見えなくなっていく。一歩でも先に進みたいという懸命な願いを胸に踏みしめた足跡を残して。

いずれ、私の近くで共に歩んでいる人々も、それらの人々に加わり始めるだろう。

この状況で、私には何ができるのだろうか。無数の人々が歩めなかった地を歩み続ける者として、私には何ができるのだろうか、何をする義務があるのだろうか。

少し、歩みを緩めて思いを巡らしてみた。

歩み続ける者の肩には一歩ごとに、背負って立つべき重荷が加えられている。私たちはそれを日々望み、引き受けている。

しかしながら、ややもするとその荷を放り出そうとする。

いつの日か、私は自らの背後で終わった足跡達を忘れず、課せられる荷を己のものとして背負い、歩み続けられる存在になれるのだろうか。