今日、学校からの帰り、電車の中でのこと。

吊革につかまって立っていると、カーブにさしかかった時、後ろの人に背中をぶつけてしまった。

まずいな、とは思ったけれど、その場ですぐに謝ることができなくて、うやむやにしてしまった。

その人は少し場所を変えて、そのあと、何かをつぶやいていた。なんとなく怒っているような感じがしたけれど、何を言っているか全く聞き取れなかったので、何回かそちらの方を見ることはしたけれど、どうしてよいかわからず、怒ったようなつぶやきはそのまましばらく続いた。

終点に着いて、電車を降りる時、自分より出口近くにいたその人は動かなかった。自分は気まずかったけれど、後ろもつかえているので、その人の横を通って電車を降りた。

続いてその人も降りて来た。何か言っていたのだが、よく聞き取れなかった。

その人はいったん歩き出したのだが、少し行くと自分の方にやってきて、すれ違いざま、その人の傘の先が当たった。



いや、この表現は正確ではない。傘の先を当てた。おそらく、あれは故意だった。

いや、しかし、そうは言っても、自分はここで大きな声で文句をいうことはできない。相手が不快感を示していて、自分に対して抗議をしていたかもしれないことに気づいていて、なおかつ何がその原因になっただろうかも分かっていたのだから。

今回は相手の行動は軽いものだったと言っていいと思う。相手が相手だったら、予告なしでいきなり、傘の先で目を突き刺されていたかもしれない。

仮にそうなっていたとしてもやはり文句は言えなかっただろう。こちらにも過失があり、相手の行動は過去の類似の事件の報道から予測可能だったのだから。この「自己責任」の時代には。この国の場合ピストルは出てこないから、それでも世界的にはかなりましだろう。


変な間合いなど読んでいないで、すぐに謝れ、ということだろう。反省。

教訓。体がぶつかったらすぐに謝ろう、相手は予測以上に不快に思っている。