今日の小論文の授業は、慶應大・法 2010の問題を扱った。

古代ギリシア、ペルシア戦争後、膨張を続け、他の都市を圧迫するアテネに対し、アテネ陣営に属さない都市はスパルタを盟主に同盟を結び対抗した。

両陣営間には休戦協定が結ばれたが、スパルタ陣営の都市コリントスはアテネと戦闘状態に入った。

コリントスはスパルタに対アテネ開戦を訴え、アテネは休戦協定の遵守と法による解決を訴えた。
双方の使者の発言内容(課題文)を読み、あなたならどのような判断をすべきと考えるか、という問題。

自分は、アテネの膨張を放置すれば、いずれ諸都市の自由は失われる。アテネは法に基づいて解決すると主張するが、弱肉強食は自然の理と堂々と述べ、現に小規模とはいえ戦闘を開始している。開戦やむなし、という内容の答案を書いた。

しかし、解答例をよむうちに自分の判断はかなりマズいと思うようになった。

戦争の影響を過小評価していたのである。ギリシアの実際の歴史を離れても、国内を二分する同盟の盟主ほどの大国同士が全面衝突入すれば、破滅的な影響をもたらす。

そもそも、配下の国の衝突を同盟全体に拡大するのを防ぐのが超大国に求められる自制能力である。

その上で、相手の動きを牽制し、自陣営の要求実現に向けてあらゆる手段を尽くし、武力の使用を最小限に抑える。

これが外交の大原則であり、この限りなく不可能な真剣勝負を遂行するのが超大国の力量である。

あらゆる紛争の解決の前提にはこの認識がなければならない。

こんな現代社会の、いや原始時代以来の基礎知識のイロハのイの遥か前のことも取り立てて意識せずに開戦やむなし答案を書いたのだから、自分の無知に呆れるばかりである。

それにしても、この慶應の問題の真のテーマは「正義の戦争はあるのか」「もはや友好関係の樹立の追求ではどうしようもない紛争をどうするか」だと思う。

今まで自分が聞いた正義の戦争についての主要な主張はすべてこの問題文を切り口に導き出せる。なかなか深い出題だと思う。

実際の社会でも一人一人が考える責任を負っている問題だが、忘れてしまっている。

そして、アフガニスタン戦争やイラク戦争の開始の時のようないざ判断を求められる事態になって、誰も現実的な解決法を持ち合わせていないということになる。