9月24日の記事「学問の根本?」に書き下し文を追加した。

白文では全く意味不明になってしまうので、書き下し文を追加しなくては、と思っていたが怠けてしまっていた。

ところで、この漢文訓読の文化は今読んでいる『日本語が亡びるとき』にも何度も出てくる。

漢文訓読調の文章は日本の書き言葉で重要な位置を占める。けれど翻訳不可能な文章なのだなあ、と思う。

それなのに、とても多機能な日本のケータイが漢文や返り点、そして何よりふりがなに対応していないのは少し残念。

技術者泣かせの無理なわがままなのだろうけれど。