“幸せ”とは、つまり、
“幸せだと思える心をもっていること”。

その“幸せだと思える心”は、
日常生活の中で自分で育てることができる。

“幸せだと思える心”は、訓練によって養えるものなのだ。
 

特別なイベントは必要なくて、

朝、家を出たら、青く美しい空が目に入ってハッとした瞬間、
ホッと一息お茶をいれて飲む その瞬間、
温かいシャワーを浴びて、「あぁ、気持ちいい」と感じた瞬間、
夜、布団に入る瞬間、
フワフワの猫をなでている時、
大切な人と笑って言葉を交わした時、
温かくて小さな子供の手をつないで 家に帰る時、
道端できれいな花を見つけた時、
空を見上げると、思わず声を上げるほど美しい夕焼け空だった時、

ひとつひとつ、いちいち「あぁ…幸せだなぁ」と思う“癖”をつけると、
まず、どんなささやかなことにも感情が動くようになる。

そう、いちいち、何にでも感動をしている、
小さな子供がそうであるように。

そして、感情が動くようになると、
どんなことにも「幸せだ」という感情を感じられるようになる。

日常起きるささやかな事柄に「幸せだ」と感じられるようになると、
無理に「ありがたい」と思おうとしなくても、
「ありがとう、ありがとう」と何万回も言い続けなくても、

自然と、自ずから、
常に「感謝」の感情を感じられるようになる。

常に「感謝」の感情を感じている人の元へは、不幸はやって来ない。

“幸せ”が、
“幸せだと思える心をもっていること”であるのとまったく同じように、

“不幸”もまた、
“不幸だと思える心をもっていること”。

“不幸”は、
不幸だと思える心をもっている人にだけ、
訪れることができるのだ。