私は魂の実在を信じる者だけれど、

自分が魂とつながっているという感覚はもてずにいた。
 

ただ生きているだけを“辛い”と感じているような人間が、
“魂とよくつながっているなぁ”とは、とても思えない。

魂という親元から迷い出てしまったために、
常にどこか不安で心配で、
心から喜び、笑えない迷子の子供状態。

 

魂とのつながりが強い人は、
後ろで親が見守ってくれていることを知ってる子供のように安定していて、
親の声が聞こえている、つまり、
直感がよく働いていると感じる。
優れた直感で、遠回りし過ぎない人生を歩んでいる印象がある。

 

“回り道”は楽しいこともあるし、
学びにつながることも多いものだけれど、
でも、地上での時間には限りがあるし、
できるなら直感とつながって、
遠回りし過ぎない人生を歩みたいと思う。

で、そのために魂とつながる=直感をよく働かせるための良い方法を1つ見つけた。

今日参加した瞑想のクラスで、
“脳をみぞおちに降ろして瞑想をする”というのを教えてもらった。

脳をエレベーターととらえて、
一呼吸 吐くごとに、その吐息の“圧”で、
脳エレベーターを少しずつ下に降ろしていく。

最初の吐息で顔の真ん中辺りへ、
次は、少し狭く感じるけれど首の辺りへ脳を降ろし、
その後は胸の辺りへ。
最後、4つ目の吐息で脳エレベーターをみぞおちに降ろす。

なぜ“みぞおち”なのか。
瞑想の先生はわかりやすく説明してくれ とても納得したが、
ここでは、国際生命情報科学会誌の抄録から引用。

『~当センターの臨床時にも被験者にハイヤーセルフの存在する位置を確認しているが、
ほとんどの被験者が「みぞおち」の周辺に光のエネルギーを感じると答える。
太陽神経叢のあたり、
みぞおち周辺に物理的粒子のような気のエネルギーが存在しているように思える。
~以下略』

 

 

魂のことを、
“ハイヤーセルフ”と言ったり、“本当の自分”と言ったり、
いろいろあるようだけれど、
とにかく、
魂とつながるみぞおちは、思考にとって とても安心できる場所らしい。

…というようなことを聞きながら、

脳ではなく、

みぞおちに意識を集中して瞑想をしていると、
いつになく、とても心地の良い時間となった。

その後、直感で答える質問などにも、

みぞおちに意識を向けるだけで、
不思議と最も適当と思われる答えが、

瞬時に浮かび上がってくる。
少なくとも、そのように感じる。

直感云々は抜きにしても、
いつも荒れ狂う思考で暴風雨状態、とてもお天気とは言えない私の脳も、
意識をみぞおちに移すだけで、
不思議と落ち着いてくる。

思考が落ち着かず、
気持ちがざわざわ・とげとげしたり、

また、何かを決めないといけないような時には、

それが例え、

「今日の晩ごはん、何にしよう?」的な、
「別に“魂”に聞かなくてもいいだろう」というような他愛ない問いであっても、
脳をみぞおちに降ろして、
みぞおちを意識して考えてみよう。

きっと、より良い答えが浮かぶはず。