私がなぜ

こんな辛い経験をプレゼントだと思えたか


それはMRIの検査前までに

いろんなことを考えていろんな感情を経験できたから



義理父、義理母、義理兄をガンで見送ったから、それなりに理解していると思っていたけれど、全く違っていた

こんなにも辛くて絶望するものなのかと、治療のあと旅立った姿を想った


風、鈴を見送って、私はふたりに出会うために生きて来たのかもしれないと思い、もう何も欲を出すこともない、なるようにしかならない残りの時間を過ごして、早くふたりの待つ場所へ行きたい、と

それが怖くてたまらないのだ

これから旅行にも行こうと言っていたのに

パンを焼いたり野菜を作ったり、

庭に咲く花も見られなくなるのか

何より家族は家のことを全くやらないから、どうなってしまうのか‥

生きている時に捨ててしまわないと、娘たちに迷惑がかかる、そんな時間は残されているのか

いなくなることが怖くてたまらなくなった

死とは、そんなことなのか、と、


やはり私は知らないことだらけなのです


経験しないとわからないことがまだまだたくさんあるということなのです

見たり聞いたりして知っていても、経験していないのなら、理解していないんだとわかったんです




そしてそんな不安は、

私だけではなく、夫も、長女も、次女も、

それなりにたくさんたくさん考えてくれたようです




MRI検査は午後1時から

朝7時から飲食禁止です


ひとりでは行かせられないと、

長女は休んで、夫は午後から駆けつけてくれました

検査時間も長く、解析にも時間がかかり、3時間待ってやっと呼ばれました




不安な腫瘤はありません

細胞の変形は炎症によるもののようです

全く問題はないとは言い切れませんので、

次は3ヶ月後にエコー検査をして、

変化がないかを今後観察していきます

今のところはガンの兆候は見られませんから、もし今後何らかの変化があったとしてもごくごく早期の段階で治療が開始できます





ひとことで言うなら、


灸を据えられた


だと思うんです


かなりキツめのお灸です




風と鈴かもしれません、

義理父、義理母、義兄かもしれません、

ご先祖さまかもしれません、

私を見守る親しい人たちかもしれません




しっかり生きなさい

もっと力強く、もっと楽しんで、

精一杯人生を味わいなさい

そばにある幸せにもっともっと感謝しなさい



そう教えてもらったのだと思えました




よかった‥

この日は私も家族も、

この言葉を何度呟いたかわかりません









今日のお弁当   2024.5.17


長女は私が死ぬことばかりを考えて、冷蔵庫の中の残り物さえ味わって食べなくちゃ、いつ食べられなくなるか不安だった‥って