入院友だちが旅立って1ヶ月半。知ってから1ヶ月ほど。
まだまだ思い出にはならないけれど、折に触れて手紙を書いている。
届くことのない手紙だけど、それが私のグリーフケア。
今日、ご家族の方から返礼品が届いた。
彼女の好きな花を贈りたかったけど、生花だとお世話も大変かと思ってプリザーブドフラワーとお線香を贈っていたから。
今年は桜の花の咲くのが少し遅かったけど、最後に桜の花を見られたかなぁなんて思うこともある。
挨拶状から本当に居なくなっちゃったんだなぁと思って、せつなく淋しい気持ちになった。
私と彼女の出会いは決められていた。そう感じる。
大学病院🦴整形外科病棟で大部屋に1人での快適な入院生活を送っていた私。残り3日という時に、彼女が同じお部屋に入院してきた。
対角線上のベッドで、最初は言葉も交わさず・・・話しかけたのは私。
窓際のベッドに居た彼女に、廊下側に居た私が「洗面台使いますね!」と声をかけた。
「どうぞ!」と彼女が答えたあと、どんな会話の糸口があって仲良くなったのか?そこは覚えていない。
彼女は中学時代からの親友に顔がホントそっくりで、その親友の姉かと思うくらいだった。
それもあって親近感が芽生えたのかなぁ?
彼女と出会ってホントに僅かな時間で仲良しになり、3日目、私は退院したけど、その後も彼女のところへお見舞いに行ったり、通院が重なったら検査室や待合室で話したり。
この1年半は彼女と重なる想いや経験を沢山してきて、だからこそ分かりあえる事も沢山あった。
ありがとう・・・という言葉でまとめられないのだけど、やっぱりかけたい言葉は【ありがとう】だった。
きっと彼女も心の何処かで自分の命の終わりを意識していたと思う。亡くなる3日前のLINEに不安をつぶやきながらも、生きることを諦めていない強い想いも感じていた。
最期が近づいてきて人は何を思うのか?と考えたりしている。
わたしだって急変すれば、命にかかわる事態も起きる。
だけど現実的に考えられなくて、それは彼女も同じだったのかなぁ?と思ったり・・・。
その最期に、その抱えている想いを聴くことが出来なかったことが唯一、後悔というか悔しく感じていることかなと思う。
挨拶状を読みながら溢れてきた涙。
絶対に忘れないでいたい。
誰かの心のなかに生き続けること。覚えていてもらえること・・・それが私にとっての私の最期の願いだから。だから彼女のこともそうしたいと思っている。
どこかでまだまだ彼女とは時間を過ごしていけると無意識に思っていた。心のどこかでそれが難しいことも分かっていながら、それを受け入れられなかった。
今でも【どうしてるかなぁ?】と思う時間があってLINEしそうになる。
彼女の生きたかった未来。
私は大切に歩いていきたいと思う。
