部屋の窓から大っきな桜🌸の木が見える。
毎年、気にしてみていたのに(^o^;すっかり忘れてた。

カーテン開けてヽ(^。^)ノ
おおっ!!!!

この桜の木は樹齢どのくらいだろう?
どれだけの人が、この桜の木を眺めながら様々な思いを抱えていただろう?
そしてこの桜の木は、そんな人たちの姿をどのくらい見てきたのかなぁ?

きっと数え切れない。

満開の桜を見るたびに思う。
来年も見られるかなぁ?

そしてその未来が「今」になった時「今年も桜の花を見られたなぁ」。
それをこの数年繰り返している。

来年の桜は、私にとっては【当たり前に見られるもの】ではないから。

【今】を積み重ねた先に【未来】を【今】にして【過去】になっていく。
未来の自分の姿は描けないし想像もつかないし、今は考えてもいない。
でも【今】を生きているのだから、【今】自分がどうしたいか、何をやりたいか・・・それだけで歩けることは、病気を抱えたからこそだと思っている。それは不幸ではなく、むしろ私にとっては幸せな生き方だと感じている。

だから来年、桜が見られても、見られなくても【今】をただただ積み重ねていく。

そんな【今】が生きてきた時間の中で1番好き。