あれから28年・・・
あの日も今日のように暑かった気がする。だけど、暑さを覚えていない。
ちょうど29年前・・・
分かった時には既に余命◯ヶ月の段階で、だけど、その事を彼も私も知らなかった。
それでも気づいて病院に行ったときの彼の状態から、治るものではないことも、そして恐らく命の終わりも遠くないことを、何となく私は感じていた。
感じながらも否定していた。
今ならあの頃よりもよく分かる。
彼がどれほどの恐怖を抱え、どれほどの苦痛の中で、それでも周りの人の前で笑顔でいたか・・・。
その生き方に私は今も支えられている。
彼のあの最後の1年を知らずに居たら、難病とわかってからの、あの壮絶な痛みや苦しさに耐えられなかったと思っている。
彼がこの世を去って、もう28年。
なのに変わらない想いがここにある。
きっとその想いは、この先も変わらない。
彼がこの世を去ってからの1年は、あまり覚えていない。
季節がひと回りしても、暑さ寒さ、季節ごとに咲く花、風景・・・。
思い出せないくらいに喪失感に包まれていたのだろうと思う。
ただ毎日毎日、彼にラブレターを書いていた。そのノートはものすごいちゃんとした表紙の1センチ幅のノート20冊を超えた。
返事のないラブレター。
でもそのラブレターが、私を喪失感から立ち直られせてくれた。
あふれる想い。
声を聞くことも、会うことも、触れることも出来ない日々を、時の経過とともに癒してくれたのは、このラブレターノートだった。
ずっと大切にして、折に触れて読み返していたのだけど、何年か前に【そろそろ手放しても良いかも】と最初の5冊だけを残して手放した。
今も突然に無性に会いたくなる時がある。
会えないからこそ、会いたくなる時は、会えないことに、彼がこの世に存在しないことを思い知らされる。
だけど・・・いつも感じている。守られていると。
何となく感じている温かさ。
住む世界が違っても、想いは届く、伝わるもの・・・最近特にそんな風に思うことが増えた。
苦痛と闘い、命と向き合い過ごしてきたこの4年。
どんなときも彼の存在があったからこそ、【今】に繋ぐことができた。
そして、出来ることをただただ出来る範囲で無理することなくやっている。
それも彼の想いを知っているからこそかもしれない。
七夕の今日は、毎年、命と向き合う日。
難病診断されてからは、七夕から七夕までの1年を様々な想いや出来事、体調と向き合いながら過ごしてこれたことに、感謝する日になった。
来年の七夕の日までの目標を立てたり、当たり前に未来があるものとして過ごしていないから、来年の今日の日を元気で迎えられるのかどうかも考えていない。
ただただ1日1日を積み重ねていく。その先に【未来】が【今日】になり【過去】になっていく。それだけで1日1日は愛おしくなる。
1年後、どこにいても何をしていても、彼に支えられ守られ想いをかけあっている時間は変わらないだろうと思う。
約束した再会まであと72年。
再会した時、笑顔で胸を張って別れてからの100年を話せるように歩いていきたい。その思いも変わらずここにある。
毎年・・・思う。
彼が今住む世界で、幸せでありますように・・・と。
そして、ありがとう。
