去年の秋、久しぶりに開催した短大時代にマネージャーをしていた体育会系クラブのOB会。
体調は万全ではなかったけれど、どうしても会いたい人がいた。
2歳年上の先輩♂で視力をほぼ失くしている。
強膜炎を頻繁に起こしている私も、失明の怖さはいつも持っている。
実際に見えなくなったら・・・そう思ったら「恐怖」に襲われることもある。
先輩はどんなにか私の想像を超える「不安」や「恐怖」と戦ってきたことだろう・・・と先輩の状態を知ってから考えていた。
先輩自身もOB会に参加することは、多くの不安や心配を抱えていたと思う。
私たちの記憶に残っている先輩ではないことを、私も含め仲間がどう感じるのか?迷惑にならないか?きっときっといっぱい考えたと思う。
私はOB会の幹事をしていたから結果、開会のあいさつをしろって言われ「次回の自力での参加は難しいからこそ、今日ここに来られたこと、今日のOB会を楽しみたい」というようなことを話したと思う。忘れちゃったけど(笑)
その挨拶を聞いて、その先輩は「なんでそんなことを言ってるんだろう?」と思ったそうだ。
2次会で先輩の隣になって色々話している中で、私が指定難病で、しかも進行性であることを告げたら「ごめん。知らなかったから」と・・・。
目のこと、そして思うようにならないこと。
抱えていることは違っても、分かり合えることが他の先輩たちよりも沢山あった。
LINEならやり取りが出来ると知って、今は時々LINEで話しをしている。
そして今日のメッセージ
「お互いに無理をせず、しっかりと生きていこう」
いつぞやのメッセージ
「現状維持。低い目標に聞こえるけど、正直これが一番の目標」
わたしたちにとっては「生きる」ことって困難が多い。
だけど「生きている」今を、きっと誰よりも大事にしている・・・と思っている。
そして、やり取りされる言葉の全てが温かく優しく、そして重い。この重さはネガティブな重さではない。
「命」を見つめているからこその負担のない重さ。
見えるものだけが全てではない。
聞えるものだけが全てではない。
「しっかり生きる」って本当はすごくむずかしい。
だけど・・・「しっかり生きたい」と思っている。
誰のためでもなく自分のために・・・。
最近「未来」を考えなくなった。
夢も持っていない気がする。
ただ・・・やりたいと思ったことをアレコレ考えずに、とりあえずやってみるようになったことは、この病気からのプレゼントだと思っている。
元気だったら「時間がある」「明日が来ないって思ってない」「いつでもできる」って結局、何もせずに一生が終わっていた気がする。
何となく感じている自分の寿命からの行動力。
そうでなければ、やらないことはたくさんある。
今年も行けるところには行く。
できることはする。
失敗しても、それはチャレンジしたからこその結果。
「そこそこに頑張る」ということを(笑)ちょっと学ばないとねって言うのが今年の目標かな(^^;)
