細々としかやれていない不妊当事者、難病当事者としてのサポート活動。
不妊治療を始めたときは、【妊活】という言葉の響きは、それなりに使いやすい単語だと感じていた。
でも不思議と周囲の人、友人や知人、同僚などには「妊活している!」とは言わず「不妊治療をしている」と言ってきた。
意外と【妊活】って使わなかった。
そして、上手く行かない治療が時間を重ね、授かれないかもしれないという想いにイヤでも襲われる経験が増えてくると、【妊活】という言葉は、ラフでカジュアルな反面、【そんなに簡単じゃない!】という思いも運んできた。
不妊治療を終える頃、【妊活】という言葉に、違和感以上の抵抗を感じ、それでも適切な言葉に出会えず、活動をするための屋号にも【妊活】を入れる以外の選択肢が見つけられなかった。
そして、一昨日の夜中、ふと頭に浮かんだ言葉。
それが【授活】。
【妊活】=妊娠するための活動。でも、妊娠出来れば良いわけではない。
妊娠して、無事に出産して、子育てをする・・・それが願いで頑張っている。
ただ妊娠すればOKな訳ではない。
感じていた違和感が妊娠するための活動に【授かる】が見えなかったから・・・と言うわけではないのだけど、私にとってはかなり強めの抵抗だった。
【授活】という言葉が浮かんで、やっと【腑に落ちた】感じがしている。
授活は不妊の方にだけ使う言葉として捉えてはいない。
私の場合は、不妊治療により授かったのは【子ども】ではなかった。
ピアとして当事者を支援していきたいという強い想いだった。
それぞれの方に、それぞれの【授かりたいもの】があり、病を持つ人には持つ人の願う【さずかりたいもの】がある。
立場や抱えているものが違っても、授かりたいもののために起こす行動は【授活】と捉えている。
それぞれの方の元に、それぞれの【授かりたいもの】が訪れますように。
