昨日のお話。


周りの人たちには罪はない。

配慮する必要もないと思う。

それでも・・・


私は最後の判定から3年少し過ぎた今も・・・【妊娠】【出産】という言葉を聞くとザワつき、なぜかつらい気持ちになる。


それはきっとこの世の終わりの時まで続いていくのだと覚悟はしているのだけど、それでも乗り越えることの難しさに戸惑うこともある。


昨日、2人目の孫が生まれそうだという話で盛り上がっていたエリアがあった。

そういう話にこころの耳栓で聞き流せるほど、授かれなかった想いは簡単じゃない。


授かりたかったけど、授かれなかった。授かりたくなかった訳ではなく、授かれなかった。


だけど、それは授かれなかった人の責任みたいな・・・そんな気がする時がある。被害妄想的かもしれないけど。


そして追い討ちをかけるのが昨今特に話題の【少子化対策】。

ニュースを見ていると心が折れそうになるときがある。


【授かること】は簡単じゃない。

当たり前じゃないって不妊治療を始めてから気づいた。


もっと早くに始めていたら、違う人生があったのだろうか?と思うこともある。


授かれなかったのだから、それは【まんま】で受け止めるしかないと思っても、気持ちは簡単じゃない。


【生まれる】という言葉に罪はないのだけど、周りの人にも悪気もなければ配慮も必要ではないと思うけど、その言葉を耳にすると、【産めなかった】というつらさがワァーッと襲ってくる。


母親になれなかった世代から、祖母にもなれないという世代に入り、それでも【授かれなかった】想いを抱えて歩いていくことは、けっこうズッシリ重たいものだと感じる。


普段の生活で毎日感じることではないけれど、たまにこんな想いに襲われることがある。